見出し画像

勇気と元気、はたまた正気

こんにちは、三毛島まおです。
お久しぶりですね。
しばらく文章を書いてなかった気がします。

また、のんびりのんびり、かいていきます。


さて、現在の私の状況をまずは説明しますね。

ここは閉鎖病棟。
あるところのA1病棟にいます。

わたしはいま、入院しています。

はやいものでここに来て、明日で1ヶ月です。
でも私は、もうでたくて仕方ありません。


1か月前の私は、自傷が止まりませんでした。
動けない日も続き、かと思えば夜に衝動的に外に出たがる。

通い始めたジムにも行けず、できることと言えばスマホでSNSにはりつくことくらい。


完全にこわれていました。


自傷は、最終手段なら、と黙認して居てくれていた親にもついには怒られてしまいました。

私は唯一の逃げ場、希死念慮のはけ口を奪われパニックです。


親と話し合いをしているのに涙が止まらず言葉は詰まり、終いには過呼吸をおこすような。

もう限界でした。


私の中にいる、希死念慮を顕にする存在Aが、わたしをのみこんでいました。


傷だらけの私の腕を手当しながら涙を流す母に、
少し落ち着いていた私は危機感と大きな罪悪感をもちました。

その勢いで、私は訪問看護さんへ連絡。


「入院したいです。」


後に入院先の主治医に言われたのですが、
私と同じ病気の人で自ら入院を望む人は少ないらしく、すごくびっくりしたそう。


私の担当をしてくれている訪問看護さんは仕事がとても早い方で、
連絡した数日後には入院が決まりました。



入院手続き、診察がおわり、
部屋に案内された私はびっくりしました。


そこは、保護室だったんです。


あぁ、そういえば先生、「医療保護入院」とかいってたっけ。。


カバーもされていないマット、まくら、薄い布団。

洗面台もなく、剥き出しのトイレの横に小さな小さな手洗いが壁のくぼみに付いていました。

もちろん、天井にはカメラ。

マットの横の格子の先には触れることさえ許されない閉ざされたカーテンと静かな部屋に秒針が鳴り響く時計。


ここで、生活?


いきなり帰りたくなりました。

もちろんのこと、スマホも使えませんし、
部屋から出られないので娯楽も皆無。

人との接触も食事を運んできてくれる時くらい。


私は早くここを出なければ。


死にたがりのAを無理やりにでもおさえこみ、
必死にいい子をしました。

なかない。

さけばない。

全て大丈夫。


程なくして制限が緩くなりました。

作戦は成功。


それでも、普通の病棟に行くまでは1週間かかりました。

これでもかなりかなり、早い方らしいのです。

わたしにはむりでした。



普通の病棟の、4人部屋へと移った私。

今度は不安感に襲われました。

主治医の先生曰く、これは「社交不安」だそう。


人との接触が、めちゃくちゃ不安感でいっぱいなんです。

ここで、主治医の先生に、いまの軸となっている病体は統合失調症ではないのではないか?といわれました。

たしかに、現在わたしに被害妄想と幻覚はありません。
いまの薬が効いていて安定してる感覚もない。


薬の調整が始まりました。


躁鬱なのか、すごく意味がわからないほど元気な日が数日続いたと思えば、
とんでもない鬱、希死念慮がきたり。


いまはまだ調整を初めて2週間なので、
なにもわかりません。減らしている薬の影響があるのかな、?くらい。


そして、3日ほど前からAが私のことを飲みはじめました。

続いてホームシック。

離人感までもがでてきました。


母親に、LINEでかえらせて、なんで帰れないの、と責め立てたりしてしまいました。

入院したがったのは、私なのにね?

入院前の症状が、諸共出てしまいました。

今もそんな感じです。

死にたいし、帰りたいし、いなくなりたい。


早く溶けたらいいな。




ということで。現在は希死念慮と戦っている真っ最中。


文章もまとまらずすみません🙇‍♀️


早く這い上がれるよう頑張りたいなと思っておりますので、よろしくお願いします。

ここまで読んでくれてありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?