1873年ウイーン万博
日本國の国際社会へのデビュー
1873年は、明治政府が世界に公式デビューを飾ることになったウイーン万博 Weltausstellung in Wien - Expo が開催された年である。ヨーロッパ社交界とウイーンっ子に大きな衝撃を与え大成功を納めた。その後ジャポネズムやvienna modernを生み出すきっかけが日本國の展示品であった事はあまりにも有名である。(この事は色々紹介されてるが、日本国内がまだ安定していない時になぜこの時に参加したのか?と思う。このあたりは是非もっと深掘りしたいところである。)展示会では世界最初の動く歩道など、面白いものが所狭しと紹介されていたようで、それらは新聞の紙面を飾った。
ウイーン万博の日本として誇るべき裏話の1つに、当時展示品の他に日本の種子、香辛料なども紹介され、中でも日本から持ち込まれた大豆は、現在、全ヨーロッパで食べられている大豆の原種となっている。(但し、日本では美味しい大豆だが、今あるヨーロッパの品種は味という点では微妙でありる。これは食文化というテーマで取り上げたいと思う。)
2つ目の裏話には、日本パビリオンを皇后シシィが大層お気に入りだったことが記録に残っていて、ウイーンのシェーンブルグ宮殿庭園内の日本庭園は(万博の時に注文されたものではないそうだが)、日本ブームが長く続いてヨーロッパの庭造り文化にも定着していたとこや、オーストリアの知識階級が日本の伝統文化を高く評価している結果であったと容易に想像できる、しかし皮肉にもオーストリア帝国の衰退を物語るようにこのシェーンブルグ宮殿の日本庭園は近年再発見されるまで、忘れ去られていたのも事実である。
これら当時の万博の記録は、ウイーンMAK応用美術博物館に保管、世界博物館に展示されて、外務省外交史料館には日本側の記録が保管されている。ウイーン万博会場となった建造物は残念なことに炎上して失われてしまったが、当時の施設で残っているものに、世界で最も珍しい手動で動かすこともできるプラターの観覧車が今も動いている。
つづく vienna modern
2021年2月16日
ウイーン夜間飛行
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