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とあるカードリーディングから「身を委ねる」ことについて

先日、とあることについて、カードに尋ねてみた。いつもいつも頭から離れない、あるひとつの切実な願いについて、聞いてみた。そして、ちょっと長々書きたいと思ったので、書いてみた。
カードに聞いた結果は、これ。

運命の輪の逆位置。そしてバックカードには、愚者。
このタロットを引くとき、小アルカナばっかり出るのに、このときばかりは大アルカナが出てきてくれた。大事なときは出てきてくれるものなのだろうと、なんとなくほっとした。
さて、読んでみよう。
運命の輪の逆位置…。中央の輪っかに乗った、鳥のような人のような謎の生き物が気になる…
その願いを自分の手で叶えることは難しい。運命の輪に身を委ねること。
うん…そのままでしたね。
さて、バックカードの愚者。
聞きかじりの知識しかないけど、バックカードというのは、全体のテーマを表すものらしい。それが、愚者。ということは、天真爛漫であれ、ということかな?策を練って、時期を伺うとか、いつかチャンスが巡ってきたときのために備えておくとか、そういうことは考えないほうがよい、ということなんだろう。そうでもあるし、周囲を気にするより自分の気持ちや在り方に集中すべし、ということのような気もする。周囲がどうであれ、自分の在り方は自分で決められる。(これが難しいのだけど…)そうして自分を保ちながら、あとは身を委ねる。そうなんだなぁ。やっぱり、そうなんだなぁと思う。身を委ねる。ここでも言われた。「身を委ねる」は、じつは、わたしのテーマなのだ。
それとどこで出会ったのかというと、5月の半ばにのびたまごさんにお願いした、木星in牡羊座の1-oracleでいただいたメッセージにて。
いただいたそのときはメッセージを受け取ることが、とても難しかった。「身を委ねることを学んでいく」というのが、木星が牡羊座に入るにあたって、私がいただいたもの。まったくの予想外であり、なんなら「それ、私がやったらいちばんダメなやつ!」だと思っていたので、受け取るどころか拒否すらした。
「身を委ねる」ことと、「自分を他者に明け渡す」ことは、まったく別だとはわかってはいるけれど、依存傾向が強くて、自分を明け渡しがちだと自覚していたので、コントロールを手放すよう促されるのは受け入れ難いことだった。
と、いま書きながら、コントロールを手放すなんてまさにそうだし、受け入れ難いことを受け入れることもまさに「身を委ねる」を学ぶことだなとしみじみする。
とはいえ、いただいたということは、いま必要であるということ。メッセージを繰り返し読んだり、カードの絵を眺めてみたり、いつも心の片隅にそっと置きながらじっくり味わうことに。それからしばらくして、いただいたカードが大アルカナの13番、「吊るされた男」だと気づき、タロットの開封動画などで「吊るされた男」の話をいろいろ聞き漁るうちに、じわじわといまの自分に必要なことだと受け取れるようになっていった。それが6月半ばくらいだったと思うから、どんだけ時間かかっとんだ!と呆れるくらいだけど、それぐらい受け取るのが難しかった。
そして、いま7月も終わろうとしている。葛藤しながら、「身を委ねる」を学んでる最中。いや、まだ学ぶまで進めてないな。悩みの前で立ち止まって、これも「身を委ねる」なのかー!て言ってるところ…「こんなわたしです」と委ねる身を周囲に見せようとし始めたところ…
道のりは遠いし、どうなるかわからないし、何かを壊してしまったらと思うと、ものすごく怖い。でも「自分の在り方」を大事にしたうえで辿り着く場所なら、不安や恐れ、傷つくことにすら「身を委ねる」ことで辿り着くところなんだろう。そのときに自分を支えてくれるのは、大事にしたい「自分の在り方」なんだろう。
さて、その「自分の在り方」って…?それがそもそもしっかりしてないよね…焦。堂々巡り感しかないけれど、だからこそあのメッセージをいただいたんだなと、最初に戻る。
「身を委ねる」への道のりは、長く険しい。また働くこともふんわり考え始めたりもしていて、自分て何がしたいのかとか、思ってたより自分に潜る夏になりそう。




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