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2024.03読んだ本

2024年2月から読書欲がふつふつとやってきて、
せっかくなら記録に残しておこうと思いnoteをしたためます。
なんと、15冊も読みました(2024年3月31日追記)


泣きたい日の人生相談-岸見一郎

2月からアドラー心理学をよく読むように。岸見一郎さんはアドラー心理学の第一人者で、大ベストセラーの「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」などを手がけている。現在は岸見一郎さんが書くアドラー心理学の本を片っ端から読んでいて、こちらもその一冊。読者の悩み相談に岸見一郎さんが答えるという形をとっている。

彼はその作文で「今日も無為に過ごした」と書いたのです。それに対する先生の批評は『本当に無意に過ごせるとしたら、たいしたものだ』と言うものでした。人間が無意味に時間を過ごすことなどできない、ということです。確かにその通りです。生きることは動くこと、そして変化することです。生きている限り、変化しないということはありません。
-p73

人は働くために生きているのではなく、幸福に生きるために働いている
-p98

愛とためらいの哲学-岸見一郎

岸見一郎さんシリーズ。そういえばこの前実家に帰省したとき発掘したのだけど、そのときは「もう必要ないなあ」と思ってブックオフにおさめてしまった。岸見一郎さんを読み始めるからには、やはり改めて手に取りたいと思って図書館で借りました。

自立とは、決して一人で生きること、自分のことを自分だけでできるようになることではありません。むしろ「私」のためではなく、「私たち」のためを考え、私ではなく「私たち」の幸福を達成するという課題に向き合えるようになることです。
-p151

戦いの庭 咲く女-ジェーン・スー

他の女性たちがどんな風に生きているのか、自分よりもいわゆる”上”にいる女たちはどんな人生を歩んでいるのか。自分が女性である以上、気にならないと言ったら嘘になる。みんな、どんな毎日を歩んでいる?

そんなときにこの本の存在を知り、図書館で借りました。ジェーン・スーさんのポッドキャストは日常的に聴いていたけれど、本を読むのは初めて。スーさんらしいきっちりとした、しっかりとした文体は私には書くことができないなあと思いつつ、その世界観にスッと入り込んで読破。13人の女性たちがどんな人生を歩んできたのか、スーさんの取材を通して見えてくる。

50代以上の女性の世界は今よりもずっと型にはめられていて、それでももがき前に進む女性たちの人生は興味深かった。それでも、もがいて生きていた。どんな時代にも、女性たちはみんなもがいて前に進んでいる。

この先も、どうせ周りが文句を言って私を汚したりするに違いないから、絶対に自分で自分に汚点をつけてはいけない。どこまでも自分を正しく可愛がってやろうと思ったんです。
-p244

どんなに嫌な自分でも、いつも真正面から自分と戦いたい。「あなたの敵は?」と聞かれたら、今日の私と答えます。一番の味方は、明日の私。明日の私に褒められるように、今日の私と戦うのよ。
-p257

謙遜は大嫌い。これはできます、これはできませんと正直に言わないと。自分と間違わずに把握していたいっていつも思う。それでも間違うけどね。
p-257

全てを人のせいにする、ずるい人間にはなりたくない。私は自分を好きでいたいし、誤魔化して生きる自分を好きになれるはずがないから。
-p.257

自分のせいでなくても、私が処理するしかない問題なら仕方がない。自分のことだけを考えていたら、それは無理だよ。都合のいいところだけを欲しがるのは、ただのエゴ。みんな利害関係が違うんだから。他人の立場を考えながら発言できるのが大人で、自分の立場しか考えずにしゃべるのは、90歳過ぎてもガキ。
-p260

池上彰の世界の見方「インド」-池上彰

図書館でふらふらしていたら目にとまった一冊。これまでインドは3回訪れたことがあって、行くたびに色々な感情をプレゼントしてくれる。「もう二度と行くもんか!」「インドっていいなあ〜」「お腹が痛過ぎて早く帰りたい…」などなど、日本で生活しているときよりもはるかに感情の動きが激しい。だけど、どこか憎めない。読んでいるうちに「ああ、もう一回行きたいなあ」と思ってしまう自分がいた。

アドラー心理学入門-岸見一郎

岸見一郎さんが1999年に発行した1冊。アドラー心理学の基礎をとことん解説してくれる。それにしても岸見一郎さんの文体は分かりやすくて読みやすい。

自分という道具は、他の道具とは違って取り替えることができません。この自分という道具はたしかに癖があるけれども、大切なことはこれをどうやって使いこなすかということです。そのためにはこの自分という道具を好きになる、あるいは英語の表現で言うと自分を受け入れる(accept)ことができなければなりません。
-p100

フィクションにすぎない「ガラス」から自由になって、この自分が人生の主人公なのだ、と生きていければ、と思います。
-p156

察しと思いやりの世界はうまくいくと最上の世界になるが、歯車が少し食い違うと収拾がつかない憎悪と僻みの世界を作り上げてしまう
-p166

わからないと思って付き合うほうが、人は分かり合えるものだと思って付き合うよりはるかに安全でしょう。
-p169

全世界とか全人類というものはなくて、目の前にいるこの人しかないのです。この人との関係を離れて、全人類という抽象的な概念を考えることは意味がありません。全人類のために何かをするということではなくて、あるいは全人類をなんとかしようというのではなくて、今日ここでこうして接しているこの人との関係を少しでも変えようと努めることが、ひいては全人類を変えることにつながる、と考えてみたいのです。
(中略)
「この浜には何千というヒトデがいる。全部を海に返してやるなんてできないでしょう。数が多すぎる。こんなこと、どこの浜でもあることだ。あなたがやろうとやるまいと、たいした違いはないんじゃないかな」と。
(中略)
「でもね<この>ヒトデにとっては大きな違いだろうね」と。
-p180

私たちは民主主義が自殺することがないように絶えず気を配っていかなければなりません。そのために誰かに強制されたり、あるいは、与えられたものを正しいものとして無条件に受け入れるということなく、自分で考えて正しい判断をしていかなければなりません。さもなければ衆愚政治という言葉があるように、民主主義は質の悪いものになってしまいます。
-p183

世界一やさしい「才能」の見つけ方-八木仁平

自己啓発本の中でも話題の1冊。前作の「世界一やさしい『やりたいこと』の見つけ方」も先月読んだ。新作だったので思わず購入。前作と内容は同じだろうか?と気になったけれど、そうでもない。八木さんの用いるエピソードは同じでも、「才能」の見つけ方に焦点を当てて解説をしている感じ。

この本を読んでいるとワクワクしてくる。読んだテンションで早速ワークに取り掛かろうと思いつつ、机の上に本を置いたまま。取り掛かるまでに時間がかかる。くそう、早く取り掛かれ。わたし。

NHK「100分de名著」ブックス  三木清 人生論ノート〜孤独は知性である-岸見一郎

岸見一郎さんの本を読んでいると、ときどき出てくる「三木清」という名の哲学者。気になって探してみたけど、あいにく私は難しい本は苦手だ。同じ理由で、古文までとはいかなくても現代と若干違う文体も読めない。痒い所に手が届くとはまさにこのことで、この本は岸見一郎さんが三木清著作の「人生論ノート」について解説してくれる。いい言葉がたくさんあった。

しかし、成功と幸福は別物です。その違いを三木は次のように対比しています。成功は「直線的な向上」として考えられるが、幸福には「本来、進歩というものはない」。また、幸福が「各人のもの、人格的な、性質的なもの」であるのに対し、成功は「一般的なもの、量的に考えられ得るもの」であり、純粋な幸福は「各人においてオリジナルなもの」だが、近代の成功主義者は「型としては明瞭であるが個性ではない」。
-p27

娯楽というものは生活を楽しむことを知らなくなった人間がその代わりに考え出したものである。それは幸福に対する近代的な代用である。幸福についてほんとに考えることを知らない近代人は娯楽について考える。
-p36

娯楽は生活の中にあって生活のスタイルを作るものである。娯楽は単に消費的、享受的なものでなく、生産的、創造的なものでなければならぬ。単に見ることによって楽しむでなく、作ることによって楽しむことが大切である。
-p38

出発点が旅であるのではない、到達縁が旅であるのでもない、旅は絶えず家庭である。ただ目的につくことをのみ問題にして、途中を味わうことができないものは、旅の真の面白さを知らぬものといわれるのである。
(中略)
人生は先が見えません。予め敷かれたレールの上を歩んでいくのではなく、自分で人生を形成していかなければならないのです。
-p131

おつかれ、今日の私。-ジェーン・スー

地元の図書館にあったので借りてみた。私はスーさんがやっているポッドキャスト「となりの雑談」と「オーバーザサン」、TBSラジオ「生活は踊る」のリスナーで、音源を聞くたびにスーさんの卓越した言語力と共感力、分析力、思考を落とし込む力などに圧巻されている。

同作は、スーさん著作の「戦いの庭 咲く女」と比べて柔らかな文体で読みやすい。スーさん自身の体験談をベースに、スーさんが考えたことや思ったことなどを綴っている。日常ってしんどいよね、みんなそうだよね。スーさんが背中を押すのではなく、背中を撫でてくれるようなそんな1冊でした。

入浴が問題を洗い流すわけではないことは、私もよくわかっている。でも、「ああ、いい香り」とか「温かくて気持ちい」とか、軽い気持ちになる瞬間を作ることは、暴飲暴食よりずっと自分にやさしいよ。
-p20

なんでこうなるのか、私はうすうす気づいている。視覚的な変化よりも、行動の変化によって「なりたい自分」を叶えることに価値を置いているからです。
-p40

未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学-宇野重規

かつてヘルパーとして滞在していた「ほとり」で、店主のからちゃんがお勧めしてくれた1冊。図書館をぶらぶらと歩いていたら発見したので、改めて読んでみた。政治はもっと身近で、すぐ近くにあることなのだから。

でも、カントに言わせれば、人間の自由とは、自分できちんと決められることです。それもただ単に好き勝手に、思いつきで決めるのではなく、きちんと自分で考えて、納得した上で結論を出すことが大事なのです。もし好き勝手に決めているだけなら、それは自分の感情に流されていることになる。その瞬間の思いつきで判断しているなら、偶然に従っているのと同じです。そうだとすれば、うまくいっても、いかなくても、結局は偶然です。
結果はどうであれ、自分の頭で考え、自分の責任で決める。そこに人間として生きる意味があるというのがカントの信念です。自分のことは自分で決める。自分で自分のボスになる。理性のスイッチはちゃんと自分の中にあるのだから、あとはそれを押すだけです。
-p155

資本主義卒業試験-山田玲司

夫が「山田玲司のヤングサンデー」というトークライヴプログラムを契約していることもあり、家にいると山田玲司の声が聞こる今日この頃。
最初はあまり関心がなかったのだけど、岡田斗司夫との対談動画を見て、すっかりトリコになってしまいました。最近は、ほぼ毎日山田玲司の切り抜きやトークライヴを見て過ごしています。

そんな山田玲司さんが書いた同作の「資本主義卒業試験」は、目に留まりすぎるタイトルで、瞬間的にメルカリで購入。現代で生きる私たちは一体どうして資本主義に取り込まれているのか、幸せってなんなのか、今の世界はどんなシステムによって機能しているのか、、、そんな資本主義にまつわるさまざまな思惑について、喋りと同様に分かりやすく言語化してくれています。

会社員だったころ、自分の欲望について考えたことがあった。幸運なことに、その欲望を叶えてあげられるくらいのお金があったので、ひたすら自分の欲望を叶えることに。「SNSで話題になっていた化粧品」「良さそうな時計」「かわいい洋服」……止めどなく溢れる欲望を叶えてきてふと気づいたのは、「欲望に終わりはない」ということ。目の前の欲しいものを購入しても、また新しいものが欲しくなる。すでに自分が持っている商品には目もくれず、ひたすらに新しいものを追いかける。これって、いつ終わりがやってくるのだろう?

そんなシステムで経済が回っていることに気づいたとき、欲望は少しずつだけど小さくなっていった。終わりはない。キリがない。果てしない。メーカーに踊らされていただけで持っているものはまだ使えるし、流行りに乗っていなくても持っている洋服でこと足りる。「まだそんな一昔前の
洋服を着ているの?」「新しいものを持っていないなんて、ダサいと思われる」……世の中にはそんな”呪い”がたっくさんある。その呪いを作り出しているのは、私たち人間という。皮肉なものだ。

「これではお金は手元に残りません。高額納税か高級消費の二択で、出費することは決定しているシステムですから。すごいですよね、税を払うか?散財するか?どちらかを選べ、ですよ」
-p28

「では、100キロ出すとドライバーが眠くなる車はどうでしょう?」
「それはすばらしい。事故でまた車を買わなくてはいけなくなる」
「計算が出ました。10年後に発覚すれば、28の関連業界が儲かります」
「儲かりますなあ……」
(中略)
資本主義の「利益を増やし続ける」という原則は、人の体に関することにまで及んでしまうと、儲けるために人の体を壊すことになっていくんだ……。
(中略)
なるほど……これは自殺だ。
体を作る食べ物や水や空気は「自然環境」が作るからー。
「あらゆる経済行為は体や自然環境を傷つけてはならない」という厳重なルールを組み込まないかぎり、僕らは「全力で自殺へ向かっていく」ことになるんだ。
-p209-215

頭を「からっぽ」にするレッスン 10分間瞑想でマインドフルに生きる-アンディ・プディコム

私はあまり頭がゴチャゴチャするタイプではないのだけど、気になったので友人のお家から拝借。

瞑想ってもっと「何も考えてはいけない」「集中しなければいけない」ものだと思っていたけど、実際には「あ〜私は今こんなことを考えているなあ」「そうかそうか、悲しいんだね」「ふ〜ん、嫌なことがあったのか」など、止めどなく溢れ出る思考を俯瞰して見ることらしい。

実は最近、ちょっとした交通事故に遭って精神が不安定な毎日を過ごしている。どうやら私は、交通事故にまつわるシステム-書類作成、保険のやり取り、通院-などが苦手らしい。そのせいで、珍しく頭の中がゴチャゴチャとして正直しんどい。そんなときにぴったりなのがこちら!まずは10分からやってみよう。そうだ、まずは10分!

つまりマインドフルネスとは、そこにいるということです。ほかのことに気を取られたり、上の空で考え込んだりせず、「今この瞬間」に目の前で起こっていることをそのまま体験することです。
-p28

私たちはなぜか、幸福こそが人生のあるべき状態であり、そうでなければ何かが間違っていると思い込んでいます。
(中略)
毎日が幸福という感情を追い求め、それを維持しようとする終わりのないレースのように感じられ人生が苦役のように思えてきます。
(中略)
多くの人にとって、全人生がこの幸福の追求を中心に回っています。けれども、本当に幸せな人がどれだけいるでしょう。つまり、頭がからっぽになったことを確かに感じられている人がどれだけいるでしょうか。私たちは一時的な幸福を追い求めて走り回り、頭の中で喋り続けています。
-p33

忙しい生活を送り、たくさんの責任や選択肢を抱える私たちの心と体は、常に働きすぎの状態にあります。
-p43

その時の気分がどうであれ、心は本来、青空のようにつねに変わらないものだという考えです。機嫌が悪かったりむしゃくしゃしている時は、ただ雲がよく見える分、それに気を取られやすいというだけです。それが空全体にたった一つしかない考えだったとしても、ついそればかりに目がいってしまうのです。
-p62

幸福はただの幸福だ。大騒ぎするものではない。来ては去って行くものだ。悲しみもただの悲しみだ。大騒ぎするものではない。来ては去って行くものだ。
-p70

「もし私が二度と悲しみを味わわずにすむ方法を教えるといったら、聞きたいかね?」
「それはもちろん」
「だが一つ条件がある。二度と笑うこともできなくなるのだ。」
「ふたつはセットなのだ。どちらか一方だけを手に入れることはできない。コインの裏表のようなものだ」
-p77

私のいう幸福とは、どんな感情が湧いてきても、心地よくいられる能力のことだ。
(中略)
人によってはある気分を感じやすい傾向というものがある。幸せを感じやすいものもいれば、不幸な気分に沈みやすいものもいる。だが、大切なのはその下にあるものだ。なぜなら感情は誰にもコントロールできないからだ。
-p78

中でも最も大切なのは、感情そのものが問題ではないということです。それにどう反応するかが問題になるのです。
(中略)
不快な感情が湧いてきた時、私たちはそれを追い払おうとします。それを感じたくないし、近くにいて欲しくないと思います。しかし、このような反応は、その感情をより大きく見せるだけです。
-p84

過去の体験から感情にただ「いい」「悪い」とレッテルを貼るのではなく、感情そのものの性質に好奇心や興味を持つ姿勢です。
(中略)
魅力的に見える感情の跡を追いかけたり、怖そうな感情から逃げたりせず、それらが通り過ぎて行くのを道端に座って眺めていることです。瞑想は、感情が湧いてくるのを止めるためのものではありません。思考が浮かんでくるのを止めるためのものではないのと同じです。思考と同じく、感情も一人でに湧いてくるものです。重要なのは、それらの感情をどうやって迎え、どう反応するかなのです。
-p91

あなたのなかの幸せに気づく チベット聖者の教え-ザ・チョジェ・リンポチェ 福田典子訳

ひっさしぶりに、めちゃくちゃ気持ちが落ちている。もちろん理由は、事故にまつわるエトセトラなのだけど。どうして悪いことをしていないのに、ただ治療をしたいだけなのに、痛いから治したいだけなのに、こんなに病院を行ったり来たり、先生の都合で振り回されたり、保険屋さんに電話したりしないといけないのだろう…そんなことばかりぐるぐるぐるぐる考えて、ひっさしぶりに落ちました。

今の私にきっと必要なのだろうな。この前読んだマインドフルネスの本しかり、同書しかり、「今ここ」を考えながら感情を俯瞰するのが必要な時期なのかも。悲しみも喜びも、いつか去っていくもの。それをただ、眺める。

「人が何から身を守るべきかといったら、自分の中に生まれるネガティブな思いです。自分のこころをときどき見つめ直してね。妬みや僻み、エゴなどのネガティブな思いに結界を張ることだよ」
「ありのままを見るんだよ。ただ見るだけ。そういうこころを自分は持っているんだなと知るだけでいい」
-p101

問題が起きたとき、人々は「なんで私なの?」と言ってしまったり、言いたがったりします。まずはそれをやめるということが大事です。
(中略)
トンレン瞑想は、「私だけではなく、たくさんの人々が同じような境遇になっている」ということに気づくことに役立ちます。
-p182

チベットでは、滅多にないほどの窮地に遭うと、相手に対して祈りなさいといいます。「あなたのおかげで自分はこういう機会を得られました。ありがとうございます」と、その人に感謝しなさいというのです。
(中略)
「許せない」という気持ちを持ち続けて、いちばん苦しむのは誰だかわかりますか。自分です。憎しみや怒り、恨みを溜め込んでいる心はとても不自由で、苦しい。
憎い相手に感謝をしたり、幸せを祈ることは、他者を無罪放免にするのではなく、自分を楽にしてあげることなのです。
-p213

その気持ち、なんて言う?-NHK「言葉にできない、そんな夜。」

ライターとしての自分のキャリアにずっと迷っている。どうして書いているのか、本当に書きたいのか、ライターを辞めたいんじゃないか…書くことについて自分とたくさん対話をしていたときに、見つけた1冊。

私は朝井リョウが大好きなので、表紙に「朝井リョウ」の文字を見つけて即購入しました。朝井リョウ、どうしてそんなに魅力的なの。

服装にもメイクにも
いつもより数倍気を配りながら、
自分は今誰に向けて外見を
整えているのだろうかと思う。
気になっていたあの人だろうか、
見下してきたあの人だろうか。
それとも、過去の自分だろうか。
-朝井リョウ
-p88

「夏は暑い」と書いたところで、読者は能動的になりません。あまりに当然のことなので、自分の人生から記憶を差し出す必要がないんです。でも、「夏のコンビニは寒い」だと、夏の強い冷房の寒さ、というやや個人的な記憶になるので、蘇るものがあると思います。
-p162

絵や写真でも伝えられるじゃないかと思うかもしれませんが、そうではないんです。赤い花の写真を見せられたとして、相手が「きれいでしょう」といいたいのか、「なんという花か知りたい」といいたいのか、何か言葉を添えてもらわないとわかりませんね。
-p205

「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから-飯田朔

私は朝井リョウが大好きだ。きっかけはいつだったか、いつから好きだったのか、具体的なことは正直覚えていないのだけど、たぶん「第二期朝井リョウ」の本のどれかを手にとって、これまでの読書体験をひっくり返すくらいの読書体験をして、トリコになってしまったのだと思う。

「今までの本と違う!何これ!本ってこんなに面白いの!?」と興奮するくらい全く違う本と出会って、それから約10年間、朝井リョウを追っかけ続けている(朝井リョウの本を全て持っていると思っていたのだけど、昨日確認したら3冊足りなかった。メルカリでポチりました。もちろん、図書館で読破済みだけど)

朝井リョウ好きとして思うのは、ここ最近の朝井リョウは何やら負のオーラが漂っていて、いわゆる楽しい読書体験ではない。「朝井リョウ、悩んでんのかな〜」「朝井リョウ落ちてんな〜」と思いながらも、朝井リョウが大好きなので追いかけて読んでいる感じ。この”どこか負のオーラを感じる”を言語化してくれたのがこちらの1冊。後輩力の高い友人(実際に後輩だけど)から「これ読んで!あげる!」と言われて読んだのだけど、「なんて素晴らしい本をくれたんだ!!サイコウ!!」と私はとても喜んでいます。ありがとう、かわぞえ。

最近いろいろなメディアに触れて感じるのは、この世の中は”競争”で成り立っているということ。別に競争なんてしなくても生きていけるのに、「スキルを身につけないとおいていかれる」「転職にはこの資格が必要」「隣のあの子に勝たないといけない」「大手企業に就職するのがかっこいい」とか、いろいろな”呪い”が蔓延している。それを”当たり前”のように受け取って、自分の意思に関係なしに、資格を取ったりスキルを身につけたりしている。そんな”競争社会”からおりてもいいんじゃないか、別に競争に勝たなくたっていいじゃないか、この本はそういうことを教えてくれる。

まったく違う国に来ているのに、同じようなタイプの店を見つけ出し、同じように店主と話をしている。大陸の反対側までやってきて、日々やっていることは何も変わらないのである。
-p23

いま世の中で力を持っている競争主義的な考え方とは、いわば「⚫︎⚫︎しないと大変なことになる」というその「大変なことになる」という地点を一種の脅しの根拠にして、多くの人を競争に駆り立てる考え方である。
-p107

豊島が持ってしまった勝ち負け主義とは、ただ単に敵に勝てばいい、というスタイルではなく、どういうわけか「業界的正解を目指す」とか、「擬態する」「自分を偽る」といったことで結びつくものだった。
-p119

「好きなことをやらなければ」という考え方で身動きが取れなくなることについても注意を促している。
-p130

このかすみの物語では「好き」自体が「世界」と天秤にかけられ、下手をすると彼女自身の手によって博されかねないような危うさがある。
-p236

世界は夢組と叶組でできている-桜林直子

ジェーン・スーさんと桜林直子さんのポッドキャスト「となりの雑談」を聞いていて、桜林直子さんの話はとても面白い・興味深いと思うようになった。メルカリやヤフオク、さまざまなネット通販、書店で探してみたけれどすでに販売は終了。全然見つからなかった。くそう、読みたいとずっと思っていたら、地元の図書館にありました。なんてこと。灯台下暗し。本を読んだあと、ネット通販で偶然見つけたので即購入。やったー。これで本棚に置いて、いつでも読める。

桜林さん曰く、人間には夢をもともと持っていてそれに向かって努力する「夢組」と、明確な夢はないけれどそのときどきに選択をしていく「叶組」の2つがあるらしい。

私は明らかに後者で、人生のところどころでやってくる選択をクリアしながら人生を歩んでいきたように思う。だからこそ、「パティシエになりたい」「ピアニストになりたい」など具体的な夢に向かって努力する人たち=「夢組」にとても憧れていた。私にはないものを持っている、と思っていた。

「やりたいこと」には「行動の欲」と「状態の欲」、ふたつの入り口があるのではないか。」
わたしが「やりたいことがない」というとき、その「やりたいこと」とは、職業や仕事の内容ではなく、時間を忘れて夢中になりたい、これならいくらでもしたいというような内側からどうしようもなく湧いて溢れてくる「行動の欲」のことだった。
わたしには「行動の欲」である「やりたいこと」はないけど、「時間とお金をつくりたい」と「こうありたい」という「状態の欲」ははっきり見えていた。
だから、「時間とお金がある」状態になるためには何をしたらいいか、「状態」から逆算して決めた。それが「クッキー屋さんを経営する」だった。
-p22-23

自分が何をするとよろこぶのか、どうなるとうれしいのか、「行動」と「状態」の両方向から考えることは「自分のしあわせは何か」を考えるということだ。
-p25-26

やりたいことがある人が、「これをしたい」と自分の欲や自己実現などの「自分のため」に始めたけど、できるようになってくると「誰かのために力を使いたい」という別のやりたいことが見えることがある。
(中略)
なんだかうまくすすまないときは、「自分のため」と「誰かのため」の切り替え期で、その間の壁にぶつかっているのかもしれない。
-p142-143


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