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白兎神、大いなる陰謀に巻き込まれ日の本を救いし物語1 鹿島より因幡へ使者が来たりし話

お久しゅうございます。

白兎神社の白兎大明神、シロナガミミノミコトです。

覚えていらっしゃいますか?

先日はわたくしがどのようないきさつで神となりこの神社に鎮座したかをお話しいたしました。

その後はつつがなく暮らして現在に至る、とは申せません。

いろんなことがありました。

特に江戸時代に起きた大事件は、今でも忘れることができません。

今日はそのお話をしましょう。

お茶や珈琲など用意して、くつろいでお聞きください。



江戸時代に入って、どのくらいたった頃でしたか忘れましたが、ある晴天の日のことでございます。

特に不吉な気配も予兆もなく、ごくごく普通の朝でした。

今は毎朝起きてから体操をしますが、当時はラジオ体操もテレビ体操もございませんでしたから、「今日は参拝者が来るのかな~」などと考え、のんびりしておりました。

その時、やしろの入り口で男の声がしたので出てみました。

扉の前に、三十年配の人間の旅人の姿をした者が立っています。

神ではありません。

おそらく精霊だと感じました。

「おはようございます、何かご用でしょうか?」

わたくしは、にこにこしながら挨拶しました。

多くの神々と交流はありますが、しょっちゅう会うことはありませんから未知の来訪者は嬉しいものです。

人間に化けた男は、深々と一礼してからふみを差し出しました。

白兎大明神はくとだいみょうじんでいらっしゃいますね。私は住処を持たず、全国を旅している風の精霊でございます。常陸国ひたちのくにに立ち寄りました折に、鹿島神宮かしまじんぐうのタケミカヅチノカミ(武甕槌神)から書状を託され、お届けにあがりました」

驚きましたとも。

あの神様は国譲りの際にひどく頓狂な、いえ変わった振る舞いをなされて、オオクニヌシノミコト(大国主命)から「危ない奴」認定をされたお方。

その後、タケミナカタノカミ(建御名方神)と少々裏のある取っ組み合いをされ、天孫降臨の後に鹿島神宮に鎮座されたのです。

毎年一度、出雲大社に全国の神々が集いますので、わたくしもお会いしておりますが、ご挨拶程度の間柄。

ふみなどやりとりする関係ではないだけに、意外でございました。

それに、なぜ通りすがりの精霊に託すのでしょうか?

「神々同士で文を送るときは文遣いふみづかいきじさんが配達するはずですけど、どうしたんでしょう?」

やってきた男は首を横に振りました。

「私にもわかりません。たまたま鹿島神宮を参拝したとき、タケミカヅチノカミが『文を送りたいのに雉が来ない』とたいそう困っておいででした。それで、お伊勢参りに行こうとしていた私がお引き受けしたのです」

文遣いの雉が全員出払う?

それほど多くの文が、鹿島周辺から一斉に出されることがあるのでしょうか?

聞いたことがございません。

疑問は置いておいて、わたくしは男から文を受け取りました。

 因幡国いなばのくに 白兎神社はくとじんじゃ  
  白兎大明神殿

お世辞にもきれいな筆跡とは言いがたいものでしたが、武神ゆえ書道は苦手なのでしょう。

それに、たまたま鹿島近辺にお住まいの神々がほぼ同時に文をお送りになって、雉さんの手が足りないこともあるのでしょうね。

そう自分を納得させました。

「わざわざ遠いところをありがとうございました。お伊勢様へ行かれるのに遠回りをさせてしまってすみません。中で一休みしませんか」

すると男は目を丸くしました。

「おやしろの中へですか? いえいえ、めっそうもない。先を急ぎますので、これで……」

それもそうです、早く本来の目的地へ行きたいですよね。

わたくしは急いで文を懐にしまい、両手をそろえて差し出しました。

小さなウサギの手の上に、梨が三つ現れます。

「どうぞ旅の途中でお召し上がりください。地元の梨です。昨日、近くの村人がお供えしていったばかりなので新鮮です。わたくしも一つ食べてみました。ちょうど食べ頃でおいしいですよ」

にっこりして差し出しますと、男はさらに驚いた表情になりました。

「あの、私はしがない精霊にすぎないんですよ。そんな私に神のあなたが?」

「わたくしとて、しがない地方のウサギ神にすぎません。わざわざおいでくださったのに、このようなものしかございませんが、お嫌いでなければどうぞお持ちください。お伊勢様は遠いですからね」

男は身じろぎもせず、じーっとわたくしを見つめておりましたが、やがておそるおそる手を伸ばして梨を受け取りました。

注意深く梨の匂いをかいでから、またわたくしをまじまじと見つめました。

「本当に……よろしいのですか?」

「ええ、近隣の神々に配ってしまった後なので三つしか残っていなくて、すみませんが」

男は丁寧に梨を懐へ入れ、手を合わせました。

「ただの精霊にすぎない私に、神のあなたが神々にお配りしたものと同じものをくださるなんて……畏れ多いことです」

「とんでもない。鹿島からわざわざ遠回りをして来てくださって、こちらこそ恐縮しておりますよ」

男は深々とお辞儀をし、またわたくしをじっと見つめました。

そして、ためらうように言ったのです。

「もし、お出かけになられるならば、まずオオモノヌシノカミ(大物主神)をお訪ねになられませ。失礼いたします」

唐突な言葉にきょとんとしているうちに、男は背を向けて目の前から消えました。

なぜ奈良・三輪山の大神様のお名前が出てきたのか、さっぱりわかりませんでしたが、とりあえず社の自室へ戻り文を開きました。

丁寧に最後まで読み終えてから、仰天して天井を仰いでしまいましたとも。

ええ、それほど意外な内容だったのです。

「どうして、わたくしにこのような依頼を?」

つぶやいたところで、天井が答えてくれるはずもありません。

誤解のないように付け加えますが、当時のわたくしとタケミカヅチノカミの間柄は、不仲ではないのです。

わたくしが、しがないウサギ神なので立派な神々がお気遣いくださるためか、出雲大社での集いでは多くの神々があれこれと話しかけてくださいます。

オオクニヌシノミコトとスセリビメはもちろんヤエコトシロヌシノカミ、オオモノヌシノカミも何かにつけてわたくしをお側へお呼びになられます。

タケミナカタノカミは出雲へおいでになりませんが、もしいらしたならば、やはりわたくしと思い出話をなさると思います。

どうしておいでにならないのか不思議でしたが、オオクニヌシノミコトがポツリとおっしゃったところによりますと、筆無精なだけではなく出不精でもいらっしゃるとか。

諏訪は住み心地がよさそうですから、なおさらお出かけになるのは面倒なのかもしれません。

このような次第で、タケミカヅチノカミとはすれ違った時にご挨拶をするくらいで、ゆっくりお話をする機会がなかっただけなのです。

とはいえ、鹿島からはるか遠方にいるわたくしにかような依頼をされるのは、意外も意外、想定外でございます。

どうしたものか考えあぐねて文を懐へ入れ、ヤカミヒメのお社をお訪ねしました。

同じ因幡の地に住んでいますが、お互いに自分の社で鎮座する身。

出雲では必ずお会いするものの、お社へうかがうのは久方ぶりのことでございます。

それでも鳥居をくぐるとすぐに、顔見知りの侍女が出てきて案内してくれました。

ちなみに人間が見ている社と神が住まう社とは、決して同じではございません。

人間に見える場所はほんの一部で、神々が住む範囲は次元が少し違いまして大きいのです。

お部屋で待ってるうちに、すぐにヤカミヒメがおいでになってお座りになられました。

「毎年出雲で会っていますが、ここへ来るのは久しぶりですね。梨をありがとう。おいしかったわ」

にこやかにおっしゃるヤカミヒメに一礼してから、申し上げました。

「あのときは近くの方々にお配りしている途中で、ちょうどこちらの侍女に会ってお願いしましたから、このお社へ参上するのは何年ぶりのことでしょう。突然押しかけて申し訳ございません。思案に余ることが起きましたので、ヤカミヒメのご意見をうかがいたくて参りました。先ほど、風の精霊が常陸国、鹿島神宮のタケミカヅチノカミの文を届けてくれました。それが、なんと申しますか、あまりにも驚くような内容でして……」

懐から文を取り出して差し出しました。

ヤカミヒメはすぐに受け取られてお読みになっておいででしたが、だんだん驚いたお顔になってゆかれます。

「いったいどうしたんでしょう! あの神が、急に色気づくなんて!」

「読み間違いでなければ『鹿島の近くに住む女神にずっと恋い焦がれているが、想いを口にできない。それゆえ縁結びの神である白兎大明神に、鹿島まで縁結びに来てほしい』ということですよね」

「ええ、あたくしにも、そう読めましたよ。でも、誰かしら? ほとんどの女神には出雲で会っているはずだけど、見当もつかないわ」

「わたくしにもさっぱり心当たりがございません。あるいは、出雲大社においでになられない方なのかもしれませんね。それに『あのお方が?』とも思いますが、恋はどなたにでも訪れるもの。タケミカヅチノカミがどこぞの女神様をお好きになられても、ありえないことではございますまい。ただ、なにゆえにこんな遠いところに住むわたくしに縁結びを依頼されたのでしょう? お近くに縁結びの神様はおいででしょうに」

ヤカミヒメは、考えをまとめるようにゆっくりと口を開かれました。

「恥ずかしいのかしらね。近所の神だと、なまじ顔見知りだから相談しにくいとか? あるいは武神として名が通っているだけに、みんなが本気にしてくれないのかしら? 実はその縁結びの神が恋敵だったりして。何にせよ、わざわざ鹿島から因幡まで出張縁結びの依頼なんて、初めて聞いたわ」

しばらくお互い無言でおりましたが、ややあってヤカミヒメがにんまりなさいました。

「おもしろいかもね」

おっしゃる意味がわかりませんでしたが、ヤカミヒメは身を乗り出してこられました。

「どうしてあなたを指名してきたのかはわからないけれど、あの強面こわもてで強い・怖い・いかついの三拍子そろったタケミカヅチノカミが恋なんて、めったにあるものじゃないわよ。鹿島へ行って、お相手がどの女神なのか見ていらっしゃいよ。もし相手が嫌がるなら縁結びの神でも無理だけど、脈があるなら結んでおあげなさいな。あのごっつい武神に恋なんて、そうそうあるもんじゃないわ」

「さようでございますね」

相づちを打ちながら、ふっと色恋沙汰に関しては正反対な性格のオオモノヌシノカミを思い浮かべました。

あの遣いの精霊は、なぜ三輪山の大神様のお名を出したのでしょう?

そんな疑問は、ヤカミヒメの明るい言葉で吹き飛ばされました。

「とまどうのはわかりますが、こんな珍事はめったにないわ。せっかくだから行ってらっしゃいよ。それに鹿島の周辺は風光明媚で温泉もあるらしいから、ついでに遊んでいらっしゃいな」

「お訪ねするのはやぶさかではございませんが、白兎神社を空っぽにすることになります。参拝者が来たら、どうしましょう?」

「あなたの留守中、縁結びはあたくしが代行しますし、皮膚病とフサフサについては書き留めておきますから、あなたが帰ってきてから御利益を与えればいいわ」

「そうしていただけると助かります。出雲大社や伊勢神宮のように参拝者が引きも切らないところではございませんから、それで大丈夫ですよね。では善は急げといいますから、すぐに支度をしましょう」

わたくしはいったん自分の社へ戻り、着ていた単衣ひとえと袴を脱ぎ捨て、ヤカミヒメに作っていただいた上代の衣装をまとい、勾玉まがたまの首飾りと手玉を付けました。

そしてオオクニヌシノミコトからいただいた梨割剣なしわりのつるぎを腰帯につるし、背中にはオオモノヌシノカミ編集の〝一日一訓 御教訓集〟を入れたスセリビメのお弁当袋を斜めがけに背負いました。

これは毎年、出雲大社へ参上するときのわたくしの正装で、晴れがましい出張縁結びにふさわしかろうと考えたのです。

まさか昔、神の心得を学びに旅をした装束をまとい、はるか東北の地へおめでたい大事のために出かけることになるとは想像もしておりませなんだ。

このとき、わたくしの頭の中から奈良の大神様のことは、きれいさっぱり消えていたのです。

すっかり身支度をしてから、もう一度ヤカミヒメの社へ参り留守中のことを改めてお願いしました。

ヤカミヒメは、わくわくしたご様子で外まで見送りに来てくださいました。

「気をつけて行ってらっしゃい。帰ってきたら、誰だったのか教えてね。きっと出雲で会っているはずなんだけど、わからないわ。出雲へ来ない女神はほとんどいないけれど、そういう方ならどんな女神か興味があるし。楽しみだわ~。帰ってきたら、すぐにここへ知らせに来てちょうだい」

「もちろんでございます。では留守中、ご面倒をおかけしますがよろしくお願いいたします」

「任せておいて」

「いきなり神宮の敷地へ入るのもなんですから、まず海辺へ出てそこからご訪問しようと思います」

「そんなに気を遣う相手じゃないと思うけど、初めて訪れるならそれがいいかもね」

わたくしは、手を振って見送ってくださるヤカミヒメに手を振り返しつつ、行きたい場所へまっすぐ繋がっている神々と精霊が通る〝神の道〟へ入り、鹿島神宮近くの海辺へ向かったのでございます。


さて、〝神の道〟をトコトコと歩いているうちに、目的地に着きました。

「わあ~、ここが常陸国の鹿島……なのでしょうか?」

棒立ちになって、辺りを見回してしまいました。

鹿島は海の近くのはず。

まず海近くへ出ようとやってきましたから、潮の香りがして、波の音が聞こえ、広々とした青い海があるはずなのですが、ここはこんもりとした山々に囲まれております。

それにこの風景、どこかで見たような気がします。

「シロナガミミノミコトじゃないか?」

聞き慣れた声で名を呼ばれ、あわてて振り向きました。

そこには若い美男のお公家さんが立っておられます。

ええ、もちろん人間ではございません。

「貴方がいらっしゃるということは、やっぱりここは奈良の三輪山ですか? ええ~、どうして~?」

「何? 僕に用があって来たんじゃないの?」

わたくしはおたおたしながら、美形の男神を見上げました。

江戸時代になり、身分によって服装は細かく分かれております。

最初に出会ったときは、この御方も今のわたくし同様に上代の衣装でしたが、最近は直衣のうし狩衣かりぎぬをまとっておいでです。

細身の中性的な美形ですから、町人や武家の姿よりも公家の装束の方がよくお似合いです。

出雲でお会いするたびに感心しておりましたが、鹿島へ行ったはずなのに、狩衣姿のオオモノヌシノカミに会おうとは思いもしませんでした。

びっくりでございます。

そして、三輪山の大神様も目を見開いておいでです。

「その様子だと他の場所へ行くつもりだったようだね。自分の社を留守にして、どこへ行くはずだったの?」

わたくしは訳がわからず、途方に暮れてしまいました。

「あなたがおいでなのですから、間違いなくここは三輪山……鹿島神宮へ行くつもりだったのですが……」

「あの無骨で無粋なタケミカヅチノカミの住まい? どうしてそんなところへ? いや、それならどうして奈良へ来たの?」

「因幡から〝神の道〟に入って鹿島を目指したのですが、着いたと思ったらここで……ええっと、なぜ?」

頭を抱えてしまったわたくしに、オオモノヌシノカは優しくおっしゃいました。

「とりあえず、僕んちへおいで。ゆっくり話そう」

「は、はい」

とまどいつつも三輪山の蛇神様についてゆき、昔おじゃました社へ入りました。

こちらの社も時代と共に華やかな公家風の建築になっておりました。

昔とはすっかり変わった豪華なお部屋で、相変わらずお優しい気さくな態度のオオモノヌシノカミと向かい合って座りました。

大神様はわたくしをまじまじとご覧になって、眉をひそめられます。

「詳しく話しておくれ。君、妙なことに巻き込まれているようだよ。不吉な気配を感じる」

「……さようでございましょうか?」

「君の首飾りと手玉を見てごらん」

わたくしは自分の首飾りと手玉を見まして、仰天いたしました。

どちらも濁った色に変わっているのです。

ちなみにこの勾玉の飾りは、昔、ヤカミヒメがお裁縫箱に残っていたのを適当に繋げて作ってくださったのですが、わたくしに危険が及ぶと勾玉が濁り、不安を感じさせて警戒を促す効果があるのです。

このような力があるとは、お作りになったヤカミヒメご自身も御存じなかったのですが。

「おかしいですね。このように勾玉が濁るときは、わたくし自身、不安や恐怖を感じるはずなのです。それなのにそのようなものは何も感じておりません」

ますます頭の中がこんがらがってしまいましたが、オオモノヌシノカミは安心させるように微笑まれました。

「順番に話してごらん。どうして君が、はるばる常陸国の鹿島神宮へ行くことになったの?」

そこで、今朝、鹿島からの遣いが来たこと、出張縁結びの依頼を受けたこと、ヤカミヒメに相談したこと、思い切って鹿島まで出かけることなどをお話ししました。

さらに遣いの精霊が「先にオオモノヌシノカミに会うように」と言ったこと、因幡を出発するときにはきれいに忘れていたことも付け加えました。

オオモノヌシノカミは、さっきまでのお優しい表情が厳しいものへと変わっています。

恐いです、そのお顔。

わたくしが少し引き気味になったのに気づかれたのか、大神様は表情をやわらげておっしゃいました。

「そのふみ、持ってるよね。見せてくれる」

「はい」

すぐに懐から出して、お渡ししました。

大神様は宛名書きをご覧になって、また眉をひそめられます。

「これ、タケミカヅチノカミの筆跡じゃないね」

「そ、そうなんですか?」

驚くわたくしに、オオモノヌシノカミはゆっくり説明してくださいました。

「意外かもしれないけれどね、彼、けっこう可愛い字を書くんだよ。たまたま出雲で文を書いているのを見たんだけど、字だけを見ると若い女の子かと思うような筆跡なんだよね。僕に見られたのに気づいて、あわてて『見なかったことにしてくれ』って言うから、口止め料に酒をおごってもらったんだ。で、『普段はどうしているの?』って訊いたら、『祐筆役の下級の神が書いている』って言って、そりゃあ見事な筆跡の文書を見せてくれた。その時は鹿島で留守番をしているその祐筆の神に用事があって直筆で書いていたんだけど、自分で書くのはそういうときぐらいだって。もし本当に君に出張縁結びを依頼するなら、その祐筆役の神が代筆した素晴らしい筆跡の文が届くはずさ。配下に書かせるのが恥ずかしくて直筆で出したなら、『誰?』っていうような可愛い文字の文が来るはずだ」

呆然としているわたくしの前で、大神様はまた硬い表情になられて文を開かれました。

そして一瞥されると、唸ってしまわれたのです。

このような表情をされたのは、初めて見ました。

どうしてよいものかわからず、小さくなって座っておりました。

やがてオオモノヌシノカミが、普段は優しげなお顔にぞっとするような色を浮かべて、こちらをごらんになりました。

「ヒイ〜」

大蛇の神の本性を見て、思わず腰が抜けそうになります。

すると、あわてておっしゃいました。

「ああ、ごめんごめん。君を脅したいんじゃなくてね、この文が気に入らないんだ」

「どういうことでしょうか?」

座り直し、おずおずお尋ねしました。

オオモノヌシノカミは文を畳みながら、ゆっくりとおっしゃいます。

「縁結びはどうでもいいんだ。明らかに嘘だからね。問題は〝どうして君を鹿島へ呼び出したか〟ということさ。この文からはただならぬ〝気〟が感じられる。どうひいき目に見ても、君を明るく楽しく歓迎しているものじゃない。それでも是が非でも鹿島に呼び出そうとする強いものが漂っている」

脅えつつも、首を傾げてしまいました。

「あの〜、おっしゃる意味がよくわからないのですが……つまり縁結びは口実で、わたくしを鹿島へ呼び出すのが目的なのですよね? 歓迎しているのではないのに呼び出すって……わたくしに危害を加えるつもりなのでしょうか。たとえばウサギ鍋にするとか? 全く心当たりがないのですが……」

オオモノヌシノカミは、相変わらず難しいお顔でいらっしゃいます。

「そこがはっきりしなくてね。仮にウサギ鍋を作りたいなら、わざわざ因幡から君を呼ばなくても、常陸国にウサギくらいいるだろう? それでも、あえて君を呼びたいのは間違いない。しかし、それが悪意からなのか、あるいは他の理由があるからなのか、今ひとつわからないんだよ」

「はあ〜」

間抜けな声を出してしまいました。

オオモノヌシノカミは鹿島からの文をご自身の傍らに置かれました。

「はっきりと君に対して害意だけがあるなら、僕にはすぐにわかる。憎しみ、嫉み、恨み、怒り、怨念、殺意……祟り神の得意分野だからね」

そうでした。

このお方、強力な祟り神でもいらっしゃいました。

いつも親切にしてくださるので、忘れておりましたよ。

「それなのに、この文はどうもわからない。確かにそういう強い負の感情が込められている。でもねえ、それだけじゃない。何というか神聖なというか、清浄なというか、そういう優れた神の資質のような清廉な〝気〟も感じられるんだ。簡単に言えば、善悪入り乱れた強い〝気〟がこの文には込められているんだよ」

「そのようなことが、ありえるのですか? いえ、わたくし、ウサギですので、一通の文にそんな対照的な〝気〟がこめられているなど聞いたこともございません。びっくりです」

「祟り神の僕もびっくりだよ。こんなにややこしい複雑な〝気〟が混じった文なんぞ、見たのは初めてだからね。それに、どうして君を鹿島へ呼びたいのか、その理由が見当もつかない。こんなに手の込んだことをしてまで、因幡で平和に暮らしているウサギ神を呼びたいって……なぜ?」

立派な大神様が頭を痛めておいでならば、わたくしなどのおつむで理解できることではございません。

オオモノヌシノカミは考え中というお顔で、遠くを見るような眼差しになってしまわれました。

「さらにわからないのは、その遣いに来た精霊とやらが、なぜ君に『まずオオモノヌシノカミに会いに行け』って言ったかってことだよ。おそらくその男は、この文を出した者の仲間か配下だろう。君を鹿島に呼び出す理由も知っていると考えていいね。なのに、よけいな忠告をした。僕に会えば、その文が偽物で悪意に満ちた〝気〟に包まれていることが、すぐにばれてしまう。そうなれば、あちらさんの〝ウサギ神呼び出し計画〟は失敗するはずだ。どういうことだろう……さっぱり、わからないね」

「わたくしにもさっぱりわかりませんが、あの遣いの精霊は悪者ではないと思います。脅されたとか、やむえない理由があって文を届けに来たのだと思います。だから、わたくしに面と向かって話せないので、あなたの名を出したのかと。うっかり忘れて、真っ直ぐに鹿島神宮へ行くところでしたが……」

自分のつたない考えを申し上げますと、険しいお顔が少しほころびました。

「まったく君はお人好しだね。だが、この場合は否定できないな。ま、君がせっかくの良い忠告を忘れていたから、そのヤカミヒメの作った飾りの勾玉が警戒し、奈良へと君を連れてきたんだろう。そういう効果は今までなかったろうが、今回はそれだけ危機感を強く持って作用したんだね。なかなかの優れものだよ、それ。おそらく濁りが出ても不安は起きないという中途半端な状態になっているのは、勾玉自身も判断できないんだと思う。はっきりした悪意とも言えないし善意とも言えないからね、この文……」

オオモノヌシノカミは、また厳しい表情になられました。

「そして最大の疑問は、タケミカヅチノカミは何をしているのかってことだよ。鹿島は彼の本拠地だ。彼自身がこの文を出したとは、さっき言った理由で考えにくい。他の者が名を騙って書いたのだろう。だが、あの神がそんなことを見逃すとは思えないし、何しろ強い武神だからね。気がついたらすぐさまそんな相手、ボコボコにしているだろうよ。それなのに偽の文を持った遣いが君のやしろへ来て、君を鹿島へ誘い出そうとしている。どうしたんだろう、彼?」

わたくしは、ほうと大きく息を吐き出しまして、天井を見上げました。

ウサギ神の社とは比べものにならない高く立派な作りの天井でしたが、もちろん返事があるわけではございません。

もう一度顔をオオモノヌシノカミに向けまして、途方に暮れたままお尋ねしました。

「わからないことばかりで何ともまあ……わたくし、どうすればよろしいのでしょうか?」

「鹿島へ行っては駄目だ。だが、因幡へ帰るのも危ないよ。先方は何が何でも君を呼びたいみたいだから、次にどんな手を使うかわからない。しばらく、ここにおいで。僕の傍にいれば、仮にタケミカヅチノカミが君に悪意を持って何かしようと考えているのだとしても、手出しはさせないからね」

このお方、優男に見えますが、オオクニヌシノミコトとご一緒に国造りをなさって、天照大神の御子孫でいらっしゃる帝にも喧嘩を売った強力な祟り神でもいらっしゃいます。

このお方を脅かす相手は、そうそうおりませなんだ。

「申し訳ございませんが、お世話になります。わたくしには思案に余ります」

「すぐに調べてみよう。自分の社を留守にするのは心配だろうが、君の安全が最優先だよ」

わたくしは両手をつき、深々と頭を下げました。

頭の中は疑問でいっぱいでしたが、心の中では『おまかせすれば、もう大丈夫』とほっとしておりました。

オオモノヌシノカミも少し安堵されたらしく、普段のお優しいお顔に戻られます。

突然、庭に面して開いている開き戸から何かが近づく気配がします。

「ひい〜」

座ったまま後ろへ飛び退きました。

ええ、ウサギですので、どんな体勢でも跳ねるのは得意です。

オオモノヌシノカミのまとっておられる〝気〟が一瞬でがらりと替わられ、立ち上がって一喝されました。

「何者だ!」

わたくしまでもが祟り殺されそうなほどの凄まじく禍々しい〝気〟を発しておられます。

しかし臆することもなく、すいと何かが部屋の中へ入ってきました。

そして、わたくしと大神様の間に音もなく降り、その姿をはっきりと現します。

「ええ〜! あ、あなたは……」

思わず叫んでしまいましたとも。

オオモノヌシノカミもまた肩すかしを食らったかのように禍々しい〝気〟が静まり、立ったまま信じられないように入ってきた者を見ておられます。

呆然としているわたくしたちに、やってきた者は明るく言いました。

「おひさ〜」



わたくしは呆気にとられたまま、目の前の光り輝く鳥を見つめました。

「……鉢巻きさん? いえ、今は鳥さん……ですか?」

「懐かしいわね、その呼び名。ええ、鉢巻きでけっこうよ。今も名前はないの。それにしても、どうしてあなたがこんなところにいるの?」

今は鳥の姿ですが、元々はこの国を生み出され、今は根の国の陰の支配者でいらっしゃるイザナミノミコト(伊邪那美命)の領巾ひれです。

昔、わたくしが根の国を訪れたとき、スサノオノミコト(素戔嗚尊)が気合いを入れるために鉢巻きとして巻いてくださって、一緒に旅をしたのでした。

虫や蛇、炎を祓う強い呪力を持っているのに、ひどく落ち込みやすい面倒くさい性格でしたが、旅の最後に何かが弾けて強気になって鳥に姿を変えて飛び去ったのです。

まさかここで再会するとは……。

「こんなところとは、ご挨拶だね。ずいぶん久しぶりだけど、シロナガミミノミコトじゃなくて、僕に用なの?」

お座りになってオオモノヌシノカミがお尋ねになったので、鳥はゆっくりと大神様の方を向きました。

「あたしのこと、わかったの? あなたに昔会ったときは、あたし、鉢巻きだったけど」

「すぐにわかったよ。形は変わっても、まとう〝気〟そのものは変わらないからね。それにシロナガミミノミコトから、君が鳥になって飛んでいったって聞いていたし」

「あ、そ。それなら話は早いわ。でも、どうしてシロナガミミノミコトがここにいるの? 因幡で鎮座しているはずでしょ」

わたくしは急いで答えました。

「えっと、いろいろありまして、しばらくこちらでご厄介になることになったんです」

すると鳥はじろりとオオモノヌシノミコトを見て、冷ややかな口ぶりになりました。

「ちょっと、あーた、まさかシロナガミミノミコトを女を口説く道具にするつもりじゃないでしょうね。出雲でオオクニヌシノミコトが言ってたけど、ずいぶんこのウサちゃんを気に入ってるみたいじゃない。手なずけて、女の子に『僕んちにさあ、可愛いウサギ神が来てるんだよね。紹介したいから、ちょっとうちへ来ない』とか言って誘い込もうって魂胆じゃないでしょうね?」

ちらりと大神様の方を見ると、両手の拳を握りしめ目を見開いておいでです。

え、そうだったんですか?

図星ですか?

わたくし、女の子を誘うエサなんですか?

蛇さん達のエサではないんですよね?

それならけっこうです。

不可思議な出来事から守ってくださるのですから、いくらでもお連れになった女性客に愛嬌を振りまきますとも。

オオモノヌシノカミが嬉しそうにお笑いになりました。

「そうか! その手があったか! 僕としたことが迂闊だった。どうして気づかなかったんだろう」

え?

意外な展開にとまどうわたくしに、舌打ちの音が聞こえました。

「チッ、あたしとしたことが、余計な智恵をつけちゃったわ。ま、最近は女の子を根の国に送り込んでいないから、いいけどね」

「そりゃそうさ。昔と違って、正体がばれそうになったら、すぐに消えることにしているからね。どうしてもっと早くそうしなかったのかなあ。そうすればスサノオノミコトから厳重注意をされることもなかったし、もっとたくさんの新しい子と楽しめたのに。昔の僕って、けっこう間抜けだった。今は賢くなったよ」

「つうか、女遊びが激しくなっただけじゃない。節操なく、手付けてるんじゃないわよ」

「でも、僕が原因で死んで根の国へ行った子って、もういないだろう? 僕との別れの悲しみで自害した子がいるなんて、聞いてないし」

「まあ、そうね。チッ」

悔しそうな鳥と、ご機嫌になっておられるオオモノヌシノカミ。

わたくし、完全に蚊帳の外でございます。

鳥が憮然として口調を変えました。

「それより、あたしはオオクニヌシノミコト、ううん、正確にはイザナミノミコトとスサノオノミコトから依頼されてオオクニヌシノミコトのところへ行って、さらに伝言をあなたとタケミナカタノカミに届けるように頼まれて、まずここへ来たのよ。女の子はさておいて、あたしの話を聞きなさい」

何ともまあ、ずらずらと大神様達のお名前が並びましたよ。

おそるおそる口を挟んでみました。

「あの〜、席を外した方がよろしいでしょうか?」

元・鉢巻きの鳥は、ちらりとわたくしを優しい目で見ました。

「そうね、あなたは関わらない方がいいわ」

オオモノヌシノカミがうなずかれます。

「そのようだね。そっちの戸口から出て、向かいの部屋にお行き。君はくつろいでいればいい。ここにいれば大丈夫さ」

「ありがとうございます。それでは、よろしくお願いいたします」

「ああ、鹿島神宮の件は僕が調べておくよ」

我々の会話を聞いていた鳥が叫びました。

「ちょっと待った! 鹿島神宮って……どうしてあなたたちが関わっているの? もう人間界で異変が起きているの?」

三輪山の大神様が、厳しい表情を鳥に向けられました。

「鹿島神宮で何かあったのか? 実はシロナガミミノミコトは騙されて、鹿島に呼び出されたんだよ」

「その話、詳しく聞かせてちょうだい」

鳥の表情が真剣なものになっております。

座ったままのわたくしの前で、オオモノヌシノカミはさっきの文を鳥にお見せになり、事情を話されました。

すべて聞き終わると、鳥は大きく首をひねりながらこちらを見ます。

「どういうこと? なぜ、あなたが鹿島神宮へ? 心当たりはないのよね?」

「はあ」

また間抜けな返事をしてしまいましたが、オオモノヌシノカミは感情を抑えた、少し恐ろしげな口調でお尋ねになりました。

「どうやら、そちらの用向きも鹿島に関係しているようだけど」

「あたしね、シロナガミミノミコトと別れてから、ずっとこの国で見込みはあるけれど根性無しの男共を鍛えていたのよ。今に至るまで、ずいぶん育て上げたわ。んで、数日前に突然、イザナミノミコトに呼ばれたの。遣いが来たんじゃないのよ。いきなり、あたしの頭の中に話しかけてきたの。驚いたわよ。これって、よっぽど緊急時にしかやらない方法だからね。それで大急ぎで久々に根の堅洲国ねのかたすくにへ行ったら、大騒動になってたの」

「根の国で騒動? そんなこと、ありえないだろうに……」

さすがにオオモノヌシノカミが驚いておられます。

もちろん、わたくしも聞いたことがございません。

根の堅洲国は死者の国。

変化の激しい生者の国とは違い、ある意味高天原同様、一定の秩序が保たれている安定した場所のはず。

そこで騒動とは、まさに青天の霹靂でございます。

鳥が何度もうなずきました。

「あたしだって長いことあの国にいたけれど、見たことも聞いたこともなかったわよ。その騒動っていうのはね、やってきた死者達が行くべき所へ行けずに、めちゃめちゃな場所に流れているのよ」

「どういう意味だい?」

オオモノヌシノカミが、眉をひそめておいでです。

はい、わたくしにも意味不明です。

鳥は少し頭を整理するように黙っていましたが、やがてまた口を開きました。

「あなたたちも知っているように、魂は生前の行いによって死後の身の振り方が定まるの。生者の世界で心正しく生きた者は、根の国でも明るい清浄な祖先神と共に暮らす場所へ行くし、怠けたり汚いことをしたり他人を虐めたり傷つけたりした者は、暗い澱んだ場所へ落ちるのよ。ところが最近になってこの当たり前の流れが激変したらしいわ。清浄な波動の高い魂がとてつもなく暗い場所へ落ちてしまったり、他人を踏みつけてきた人でなしが祖先神の住まう場所へ入ったりしているらしいの。だから根の国の住人が総出で、人海戦術でやってきた魂を振り分けているわけ。スサノオノミコトも両手に旗を持って、黄泉比良坂よもつひらさかで魂の誘導をしていたらしいわ」

「……あの大神様が?」

オオモノヌシノカミが呆気にとられてつぶやかれると、鳥はため息をつきました。

「ええ、そうよ。根の国の支配者だからって、じっとはしていられないわよ。それくらい人手、いえ神手不足なんですもの」

わたくしの脳裏に、大柄な強面の、でもとてもお優しい大神様のお姿が浮かびました。

そうでしょうとも。

不浄な魂はともかく、一生懸命に修行してきた善良な魂まで汚れたところへ行ってしまうような状態を、あのお方が見過ごされるわけがございません。

鳥はちょっと肩を上げ下げして、また話し始めました。

「で、イザナミノミコトが緊急に根の国の総元締めに戻って、どうしてこんなことになったのか、探索を始めたわけ。そうしたら驚いたことに、その騒動の最中に高天原から遣いが来たんですって」

「ちょっと待って。まさか、高天原でも何かあったの?」

オオモノヌシノカミが驚いておられます。

わたくしは、口をあんぐり開けてしまいました。

もう、ちっちゃなウサギ神の関与できるお話ではございません。

鳥はもっともらしくうなずきました。

「ええ、あたしも驚いたわよ。しかも、その天からの遣いが言うには、高天原もめちゃくちゃになっているんですって。もちろん、あそこにはそんじょそこらの死者の魂は上れないわよ。でもね、地上に降りた神が戻れなくなったり、とんでもない所へ迷い込んでしまったり、こんなことは初めてだからね、あっちも大騒ぎらしいわ。それで調べてみたら、どうも根の国に原因があるらしい、どうなっているのかっていう問い合わせだったそうよ」

「つまり根の国で異変が起きて、それが高天原まで巻き込んでいるってこと?」

大神様の問いに、鳥は複雑な顔をしました。

「最初はそう考えたらしいの。ところが、そう単純な話じゃなかったのよ」

いえいえ、すでに複雑怪奇なお話になっております。

わたくし、ついていくのが、やっとです。

鳥は感情を抑えたような口調に変わりました。

「イザナミノミコトと、一時交通整理を中断したスサノオノミコトが高天原の遣いと話していたら、調査に出ていた鬼達が戻って来て『根の国も高天原も〝軸〟がずれています』って報告したらしいわ」

「まさか、そんなことが?」

オオモノヌシノカミの声が大きくなられました。

全く理解不能なので、勇気をふるって尋ねてみました。

「あの〜、〝軸〟って何ですか?」

「空間を支える、ま、柱みたいなものだって思って。目には見えないけれど、普段はきっちり決まった形で支えているの。だから、ちゃんと目的地に行けるし、太陽も月も星も決まった場所を動いているの。ところが、その肝心な軸がずれているというか歪んでいるというか、そんなことになっちゃって、そのために根の国でも高天原でも、行くべき所に行けないって騒ぎになっているのよ」

鳥は親切に解説してくれました。

それを聞いて次の疑問が浮かびましたが、同じ事をお考えになられたのでしょう、オオモノヌシノカミが鳥に尋ねられました。

「いったい、どうやったら〝軸〟をずらせられるんだい? そんなことができるなんて、思ってもいなかったよ」

「でしょうね。イザナミノミコトもスサノオノミコトも高天原からの使者も、絶句したらしいわよ。原因は不明。どうしたらこんな器用なまねができるのか、考えたこともないらしいわ。しかもね、調査班の鬼達によると、その〝軸〟をずらした原因は根の国じゃなくて、生者の国の鹿島神宮にあるらしいわ」

ぽかんとしているわたくしをよそに、難しいお顔をしていらっしゃるオオモノヌシノカミが鳥におっしゃいました。

「おかしいじゃないか? もし、日の本ひのもとでそれだけ大きな〝軸〟のズレを起こしているなら、ここでまず異変が起きるだろう? だが何も感じていないよ。僕だって、大国主命に協力してこの国を造ったんだからね。この国のどこであろうとそんな大事が起きれば、すぐさまわかるはずだ」

「そこなのよ。イザナミノミコトもスサノオノミコトも高天原の使者もあわてて生者の国の様子を探ったんだけれど、全く異変がなかったらしいの。それに何かあれば、伊勢神宮やあちこちの大きな神社から、知らせが届くはずなのに何も報告はないんですって。でも、原因が日の本の鹿島神宮にあることは間違いないのよ。それで、すぐさま鹿島神宮のタケミカヅチノカミに連絡を取ったんだけど……応答がなかったそうよ」

「緊急事態だからね、使者を送らずに直接、スサノオノミコトが呼びかけたんだろうね?」

「だけじゃなくてね、怒り狂ったイザナミノミコトも一緒に呼んだらしいわよ。でも、全く呼びかけが届かないんですって。どうも鹿島の辺りだけが、強い結界というかそんなものに覆われていて、外部からの侵入を拒んでいる感じらしいわ」

「それじゃ、タケミカヅチノカミが今、どうしているのかもわからないんだね」

「そういうこと。国譲りの際には高天原の使者として下りてきたくらいだからね。天孫が治めるこの国に、自分から異変を起こすとは考えられないわ。おそらく何らかの理由で何者かが鹿島神宮に侵入するのを結界を張って防いでいるんじゃないかって。だけど、あの強いのが取り柄の武神が、防戦一方とは思えないでしょ? それにそんなにらみ合い程度で〝軸〟がずれるかしら? 変なことだらけなのよ」

オオモノヌシノカミは唸ってしまわれ、右手でこめかみを押さえられました。

そりゃあそうでしょうとも。

こんなとんでもないお話、国譲り以来でございます。

鳥はちょっと首を回してから、また説明を始めました。

「それで、とにかく生者の国を直接調べなくちゃどうにもならないってことで、あたしが呼ばれたの。こんな大事、滅多な者には任せられないわよね。んで、あたしが飛んでいったらイザナミノミコトとスサノオノミコトと高天原の遣いにこのこんがらがった事情を説明されて、『オオクニヌシノミコトを訪ねて、かつてこのような事態があったかどうか訊いておくれ。あの神はこの国を造ったのだから、何か心当たりがあるかもしれない。そして指示を仰ぐように』って頼まれたのよ」

  つづく

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