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私と私ちゃん

私ちゃんを幸せにしてあげるために私が頑張ることにした。
私ちゃんとは、私の中にいる私である。なので、私=私ちゃんであり、私ちゃん=私である。
私は私ちゃんを幸せにするため喜ばせるために頑張ることにした。そうすると自動的に私も幸せになれるのだ。

例えば、私ちゃんが推しのライブに行きたいと言うとしよう。私はライブに行けるように最高のコンディションを整えてやり、それまでにするべきことを頑張ってやりとげる。無事、私ちゃんをライブに連れていくことができたら、私ちゃんは喜ぶ。すると、私も嬉しい。

少し違うパターンで、もう一つ例を上げてみよう。
私ちゃんがやることができなくて、凹んでるとする。そうしたら、私は先程のようにコンディションを整えてやったり「できることから始めようね」と小さなことから片付けていくことを提案し実行する。何か一つできたら、私ちゃんをその度褒めてあげることにしている。私ちゃんを褒めることは自分自身を褒めていることと同じなのだ。

自分で自分のことを認めたり褒めたり、自分のために何かしてあげるのは難しい。
しかし、私ちゃんという存在を褒めたり大切にしてあげることは、自分自身に真っ直ぐ感情を向けるより気が楽だし気が進む。
私ちゃんの存在は自分と違う存在を自分の中に作ったのではなく、私と全く同じ存在を私の中にもう一人作ったわけで、限りなく自分なのだ。

私ちゃんが何かを求めたり望んたりする、私がそれを頑張って叶える、私ちゃんと私が喜ぶ。
私ちゃんが落ち込んだり悲しんでいるとする、私が励ましたり打開策を考えて実行する、私ちゃんと私が少し前を向けるようになる。
私ちゃんのために私が頑張りすぎているように見えるが、私ちゃん=私なので、どちらかが頑張りすぎているとか楽をしてずるい等は存在しないのだ。


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