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オタク史

私の若い頃は「オタク」という言葉はなく、なんとなく漫画アニメが好きな人(ゲームはまだ無い)とか、その様子から「根暗」「ビョーキ」などといわれていたかな。

お宅さあ、って相手のことを呼ぶと指摘されたのが80年代くらいで、本格的に定着したのはとてもネガティブな意味を含んでのものだった。
そうあの宮崎勤からだ。

今は細分化されたジャンルとネットの普及で〇〇オタ、などと使う。ヲタと表記したりもする。多少のネガティブさは残っているものの昔でいう「マニア」「博士」のような意味合いも含まれるようになった。かな。

さて、私は漫画アニメゲームが好きで出かけるのが嫌いなのでまったくオタクなのだが、本当は半端者だ。表社会に片足、たまにちらっとオタク社会に片足をひたしてみる繰り返しだった。そろそろ棺桶に突っ込む足も用意しなくてはならないが。

お絵かきをしていて高校のとき同人書の会員に誘われたが、他の素人さんの作品には興味なかったのでお断りしてしまった。その時誘ってくれたのがクラスでナンバーワンとツーの美人だったので心動いたけど。自信もなかった。

大学が遠かったので写真部に入ったが意外と活動的で交流校も多く合コンとか文化祭参観とか年2回の撮影旅行とか根アカ(根暗の反対語)で驚いたが所詮写真部、テニスやスキーのサークルほど派手ではなくて助かった。
その上、自分を被写体にするほどそして学祭ミスコン総なめにするほどの美人ぞろいだった。やはり美人は性格が悪いけど痛くなくていい。

漫研についふらっと入ってしまったのはコミケというものに行って見たかったから。晴海でやっていた頃で部で作った会誌を売るのである。
当時好きだったイデオンとかガロっぽい同人誌を山ほど買い気が済んで、結果3ヶ月いただけでおいとましてしまった。
ずっとはいられないものを感じてしまうのだ。同族嫌悪かもしれないが負のエネルギー。在籍中あまりあったことはなかったが部員が鉄道事故で亡くなり、最後に会誌に寄せた原稿が意味深で・・まあつまり逃げ出したのかな。

自分の好きなおとぎの国は、自分の中だけにしまって大事にしておいた方がいいのかもしれない。でも同じネタで盛り上がりたい、それは矛盾だ。

のちにも形を変えてこれを繰り返しているのが私の人生だなあ。



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