葉っぱ_と_みかん

ぱとみかんの自己紹介

ぱとみかん@秘書 について

Twitterでこの名前で活動を始めたのは2019年9月初旬です。

僕は2012年頃にも「パト@みかんぱんだ生徒会長」として、とある音声アプリ中心にTwitterで活動してました。

間の空白の期間も含め、ここでは僕の人生の歩みを綴りたいと思います。

この大学院時代に就職活動の自己分析に使ったものを参考に進めます。
なお、これを書いた直後に僕は彼女にフラれてライフ・ライン満足度は0になります。

以下のことはすべて井の中の蛙のお話ですが、どうかお付き合いください。

出身

生まれも育ちも愛知県。自動車大国の中の田んぼだらけの田舎に20数年間います。

今は職場が名古屋なのですが、1時間以上かかるので遠いです・・・。

小学校時代~最大のモテ期~

小児喘息を患っており、小2までは病院での生活でした。

習い事の軟式野球がきっかけで病状は改善し、健康優良児になっていきます。

小6の時点では市の陸上競技大会の短距離で優勝したりして、間違いなく人気者。

ラブレターとかよくもらってたり、友達を周りに常にまとっていたり・・・。

これは小学校の先生からの僕への卒業コメントです。昔は自分のこともきちんとしていたし、友達もいっぱいいたんです。

中学時代~カナダ編~

中学1年と2年は丸々、カナダで過ごします。

後にエセ帰国子女と呼ばれるほど英語はできませんでしたが、相変わらず友達は多かったです。

それもやはり、身体能力によるものでカナダの陸上大会の1位を総ナメしてしまい新聞記事に載ったりしていました。

市大会?で10種目1位他、県大会みたいなので3種目1位、1種目2位みたいです。

というのも当時は英語ができないからよくわかっておらず。

これは実は別にすごいことではなくて、ただ単にカナダ人の身体能力が日本より低いのではないかと僕は思っています。

中学3年で日本に戻ってからは結果を残していないのがいい証拠です。

中学時代~日本編~

3年生からは帰国子女として日本に来たものの、日本の勉強なんてわからず。

全国偏差値は60程度なのに不良クラスみたいな空間でよくわからないまま卒業しました。

この画像見ると、終末感漂っているクラスですね。休憩時間では官能小説の音読が響き渡っていたのを覚えています。

高校時代~天狗編~

入学当初は200人中140位程度の成績。しかしどうやら入る高校を間違えたようです。

後に成績上位に居座り、舐め腐った態度で過ごすことになります。

運が良かったのは僕より成績のいい全国偏差値70台が1人いたことです。

当時の僕はそいつを目の敵にして罵詈雑言を吐きながら過ごしていました。調子に乗りすぎて、親や先生から注意を受けることもありました。

取り巻きの同学年や後輩を引き連れて過ごした日々は懐かしいです。

その天罰か、2年の秋から部活動を禁止される事件が起こります。

それをきっかけに僕の陸上人生はここで成長が止まりました。

大学~SNS全盛期~

実家から一番近いという理由で、入学。

ご存知こいつが誕生するわけです。

高校の全国大会出場者が多数集まる名門陸上部っぽい大学でした。高校での優勝経験から僕は期待されていました。

しかし、僕は両足の肉離れを数回と椎間板ヘルニアで故障を繰り返し大学2年の秋で陸上人生を一度終えます。

インカレの出場名簿に載っただけで記録すらロクに残せなかったのが心残りです。

大学3年の研究室に配属された9月頃、ニコルソンというスマホアプリに出会います。

千人単位のネットユーザーと出会い、毎日、やり取りをして、時にはオフ会もしました。一生ものの親友もここで得られました。

こちらは当時のフォロワーさんがプレゼントとして書いてくださったもの。みんなだいすきな人たちでした。

このアプリも大学4年の春に終焉を迎え、僕もしばらくネットの世界から離れることになります。

大学院~暗黒編~

なんて中二病臭いタイトルでしょう。

僕はポケモン対戦が好きでした。その影響で、遺伝学を修めるために大学院へ行きました。仕事にはしないつもりでしたので、知的好奇心です。

しかしその生活はなかなかに地獄でした。

朝4時に起き、日の出とともに植物の世話、中腰での農作業を日が沈むまで、夜は研究室に籠もり、DNAを分析、帰宅は22時過ぎです。

土日も生き物は放っておけませんので、遠出もできず休みがありませんでした。

お金がもらえるどころか、こちらが多額を支払って働かせていただいてる過酷な時間です。

そんな生活を1年半過ごしていたら、就職活動期になり、今の仕事を見つけます。

社会人編~マルチタスク~

仕事はそんなに甘くない。大学院がいくら辛かろうが、対人ストレスの宝庫は間違いなくこちらです。

一般社会、会社とは理不尽の塊であり、一種の耐久力テストです。

僕は就職後すぐ、代表取締役付き秘書として、使用人か執事のような毎日を送ることになります。

入社1年目にして常に経営者の横で付き人をしていたせいもあって、嫉妬から「大御所」というあだ名で呼ばれたりしてました。

無茶振りもいいとこで、経営者の代理で、業界の会長や社長と並ぶ席に出席したり、従業員の給与の査定や指示を出したり、新事業部の就業規則を作成したり・・・。

全従業員の給与に加えて、決算書なども触ることができ、お陰さまでかなり膨大な知識を得ることができました。今は管理会計もしています。

その他、着ぐるみ着てマスコットしたり、飲食店の店長したり、全業者と折衝したり、従業員の仕事をコントロールしたり。弁護士、税理士、社会保険労務士、警察、消防、保健所など僕が受け付け窓口として業務をする便利屋です。

夜のお付き合いも多く、急性アルコール中毒で入院したこともありますし、紫斑病?とかストレスでなった経験もあります。

しかし精神的に折れたことはまだありません。

ブロガー編

2019年9月8日、ブロガーとしてTwitter界に再度登場したのが

今の「ぱとみかん@秘書」です。

僕は1年に1度、何か新しいことをするということを自分に課しています。

2019年度はそれがブログでした。

右も左もわからず、苦闘すること2ヶ月と半、1つ結果を出せました。

フォロワーは約4000人増え、多くのコメントをいただきました。

記事を書くごとにTwitterで反応をいただけて非常にありがたかったです。

▲ピーク時のTwitterの実績です。

▲ピーク時のブログ実績です。

ここから2020年1月22日まで、

仕事の繁忙期でブログやTwitterでの活動を休止していました。

(この間に300人程度のフォロワーが減りました)

そして今、現在に至るわけです。

今後~描く未来~

僕はブロガーとして2020年は活動しつつ、誰かに依頼されて新しいものを作る仕事を始めたいと思います。

それは例えば、ゲームかもしれないし、動画かもしれないし、はたまた何かのサービスかもしれないです。

とにかく僕は「まだこの世にないもの」を作りたいです。

僕の書いてきた記事も、似たものはあれどオリジナルを主張したものばかりです。

もし、誰かに僕の持っているノウハウもしくはコツを伝えるとしたら、まず最初にこう伝えたいです。

「新しいものをつくろう!」

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
今後もぱとみかんをどうぞ、よろしくお願いいたします!!!

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