僕は大谷翔平になれない

僕は大谷翔平になれない

私は1994年4月生まれの28歳であり、大谷翔平と同い年である。
そして先日のWBCを見て、彼の凄さと彼の偉大さに圧倒された、ただ一人の無職だ。

大谷翔平は凄かった。
今まで自分をいじめてきた人間がことごとくスポーツ系の部活出身だったので、スポーツマンが嫌いだったが、そんな個人的な感情を吹き飛ばすほどに彼の輝きは凄まじかった。

WBCを見る前から野球に興味がなくても、メジャーで二刀流というやばいことをしているすげぇ人という印象だったのだが、WBCの1次リーグを見て本当にやべぇ人なんだなと思い知らされた。

彼が打席に立つだけでひときわ大きくなる声援。
それに答える一流のプレー。
中継カメラの映像さえも彼を何度も映して、実況解説も事あるごとに大谷の話題を出す。

ただの一人の選手が、多くの人間の心を動かすというのはプロスポーツの世界ではまま有ることなのだろうが、それにしてもいつもプロ野球を見ない人間さえも虜にする彼の姿に驚いた。

「同じ28歳でこうも違うのか」と当たり前な感想が口から出た。
嫉妬なんて軽く通り越して、ただただ同じ年齢の化け物に感服する他なかったのだ。

WBCを見ている時、何度も大谷翔平が映るCMで「二刀流が無理だと言われたことは数え切れないほど有るが、二刀流が無理だと思ったことは一度もない」というナレーションをふくめたCMを見た。
素人でもわかる、とんでもなく無理なことをしているのを止めるのだろう。
そんなのはアニメとか漫画の世界のお話だと言うような声が上がるタイプの物なのだろう。
それでも彼はやってのけた。

初戦の中国戦を見ていた時に投げる姿を見た上で、打者としても二塁打を放ち、2点をもぎ取るシーンを見た。ただただかっこよかった。

ここで自分でも驚いたのが、大谷翔平からきっかけで見始めたWBCだったのに、気がついたら侍JAPANのメンバーもどんどんと好きになっていった事だった。

目に見えて凄かったスライディングキャッチや、初球から打って出たヌートバー選手。

どんなときでも塁に出て、とにかく得点圏に絡む近藤選手。

不調をはねのけて、ここぞという場面で決定打を放った村上選手。

ほぼ全ての試合で負けている時からでも点を取る吉田選手。

途中で指を負傷しても復帰し、何度もナイスキャッチを見せた源田選手。

あまりの足の速さに、カメラの切り替えも追いつかなかった俊足の周東選手。

私がにわか野球ファン以下の知識量の為に、もっとあの選手この選手この投手がいるのだけど書けない事を本当に許してほしい。
とにかくそんななんの知識もない人間ですら、侍達の活躍シーンに何度も心を動かされたのである。
メキシコ戦で3点返した瞬間や、村上選手の復活の打撃ではモニターの前で普通に泣いたのだ。声を上げながら涙を流していたのだ。
それほどまでに感情を揺さぶられるほどに、今まで大した興味も無かったWBCをのめり込むように見るようになったのだ。

もう一度書くが、私はスポーツマンが嫌いだった。
スポーツマンシップがなんたら、
チームワークがなんたら、
ワンフォーオールで絆がどうたら言う割に、学生時代に私を虐めてくるタイプのやんちゃなクラスメイトが皆運動部だったからというのが大きかった。

運動が苦手でサッカー部に勝てるわけもないのに、負けたらケツPとか言う罰ゲームを当然のように課してきたサッカー部。

チームワークがどうとか言う割に、役に立たない人間を当然のようにハブる野球部。

やめろと言ってもやたら関節技を決めようとしてきた柔道部。
クラス1の不良はボクシングジムに通ったうえでカツアゲをしてきた。

私の人生の中で、とにかくスポーツマンの印象は最悪だった。
全てのスポーツマンがそうである!とは思ってないにしても、自分の人生に関わりがあった範囲ではとにかく嫌いだった。

そしてスポーツファンの選手に暴言や文句を言う姿も嫌いだった。
プロの試合なのにファン同士が争ったり、活躍できなかった選手に暴言を吐くような文化がまかり通っていて、Twitterでもトレンドに入るワードを見て、特定の選手や監督を集中攻撃するような文章を見ると気分が悪くなるほどだった。

そういうフィルターが私の根底にあったはずなのに、侍JAPANを応援し、感動し、優勝の瞬間に歓喜したのだ。

それら全てのきっかけは大谷翔平という存在からである。

彼が品行方正であるか否か、とかそういうことではなく。
彼を含めた侍JAPANのメンバーが成し遂げた功績と、そこにいたるまでのプレーにただただ魅せられたのである。
日本の国旗を背負った上で、勝つために全力で試合に望み、数々の名プレーとそこに映った本物の闘志を浴びせられたのだ。

実況の人は言った。
「応援や声援が彼らの力になります。ぜひ画面の前の皆様も応援してくださいと。」
むしろ逆だった。
その本気のプレーの一つ一つに元気を貰ったのは私の方だったからだ。

自分と同い年の化け物と呼ばれるとんでもないメジャーリーガーを見て、私の人生の価値観の中に決して小さくない影響をくれたその大谷翔平という選手を見て、ただただ凄いと言うことしか出来なくなってしまったのだ。

彼は決勝戦の前のスピーチでこう語った

僕から一個だけ。
憧れるのをやめましょう。
一塁にゴールドシュミットがいて、センター見たらトラウトがいて、外野にはムーキー・べッツもいる。
野球をやっていたら誰しもが聞いたことあるような選手がいると思うんですけど、今日1日だけは、やっぱり憧れてしまったら超えられない。
僕らは今日超えるために、トップになるために来たので、今日1日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう。

これが私が大谷翔平になれないと思った最大の理由だ。
いや何がどうあっても大谷翔平にはなれないのだけど。

私は彼に、いや、あの時日の丸を背負って戦った彼らに、

その時すでに、心の底から憧れてしまっていたのだから。


これからも人生で無理だと思うことはいっぱいあるかもしれない。
無理なものは無理かもしれない。
現実問題として不可能は数多く有るのかもしれない。
でも、それを超えてくる人がいるのだ。
夢を追いかけて叶える人がいるのだ。
勝つために憧れを捨てる人がいるのだ。

たとえ夢を追いかけられなかったとしても。
せめて夢を持った人々を応援できるような人になりたいと願う。

僕は大谷翔平にはなれない。

だけどその言葉は、私の背中を押している。

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