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誠実に生きるための小さな決意

怯えていた。恐れていた。今の関係性が壊れるのを。当たり前だ。それをしてしまえば今享受している幸せは失う(と少なくとも僕は思っている)のだから。当たり前だ。呼吸するかのように自然に何も選択せず、選択肢を少し並べてみて保留した。保留こそが僕にとっての最適解“だった“。それは思考停止とも言えるかもしれない。そして、これまでの僕の生き方すべてを表していると言っても過言ではない。(もちろん選択しないということを選択していると言われればそれまでなのだが。)

今、その最適解が書きかわろうとしている。僕自身が書きかえようとしている。今まで何事に対しても7割でこなしてきた自分の物語。その転換点が来たようだ。できないこともたくさんあった。そりゃそうだ。7割だったから。圧倒的なキャパオーバー。苦しかった。10割でいればできたかもしれない。それでも僕は7割でいることを選んだ。望んだ。7割な自分でいることは自分にとっての最後の砦だった。自分を守るための砦。身体も心もとてもしんどかったけどどこか安心している自分もいた。

その安心感はどこから来ていたか。

それは残りの3割に詰まっているように思う。そこには無限の可能性があり、夢のための余白があった。僕は「やればできる」という可能性の中に生きられ、「もし○○したら」とたくさんの素敵な夢を見ることができた。実際に叶った夢がいくつもあった。夢心地になるとはこういうことかと教えてもらった。涙を流しながら飛び跳ねるように喜んだことを今でも思い出せる。

別の言葉で表現すれば、それは保険。自分が苦しくなった時のための保険。この保険があることによって、苦しい現実から目を背けることができた。いざとなった時の逃げ場所があるからこそ安心できていたのだ。ただ同時に、この存在こそが自分を苦しめているのではないかと薄々感づいてもいた。しかし、見て見ぬふりをした。そんな簡単には抜け出せない。ある種の快楽だったのだ。

でも、その快楽に溺れる自分はもういいだろう。目の前の快楽よりも手に入れたいものが見えてきた。だから、もう終えていい。十分だ。十分すぎるほどもらった。これ以上受け取るための器はない。嬉しいのに残酷だ。受け取れないというのは。

だから器を大きくしたい。受け取るための器。

そのためにも保留するのをもうやめにしたい。その一歩としてあの関係性を進めるのだ。それを選ぶ。何かに選ばされるのではなく。

今僕は自分に、自分の人生に、誠実に生きることをやってみたい。

初めてかもしれない。初めて自分の願いのようなものから選択するかもしれない。傷つくことが分かっているのに。今にも逃げ出したくなるくらいなのに。

でも、もう終わりにしたい。したがっている。

どうもありがとう。また、救われました。

2021.7.1.Thu.8:00

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