裸を晒すような対話#52
安心感のある対話というのは、裸を見せるようなものだ。とあるワークショップの後にふとそんなことが湧いてきた。
初めて家族以外の人に裸を見せたのはいつだろうか。そう思い返してみると一つの瞬間を思い出す。その時は兎にも角にも恥ずかしかった。でも、見せてもいいと思える安心感と、この人なら受け入れてくれるという信頼感がそこにはあったように思う。
そのような質感のある対話は、ただ本音を話せば起こるわけではないのだろう。それは、本音の奥に隠された自分の願いに繋がるときに起こると思う。そして、その域には一人ではなかなか到達できない。必ず人という存在を必要とする。今はそんなふうに感じる。
僕はもっと裸を晒すような対話がしたい。そのために、まずは自分の裸を見せる必要があるだろう。また、自分の裸がどうなっているかを知る必要もある。裸でないものにどうして裸が見せられようか。
ここである疑問が湧く。そもそも裸を晒すような対話がしたいのはなぜだろうか。それは裸を晒すような対話が生み出す美しい何かの存在を知っているからかもしれない。ーーーー美しい何か。それを見たことも感じたこともあると思うけど、うまく言葉にすることができない。
裸を晒すような対話の先には、自分とつながる、人とつながる、世界とつながる、といったことがあるように思う。その世界に行くための準備として、まずは自分自身をととのえていきたい。
2021.11.26.23:14
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