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振り返りは責めるため?愛のため?#9

8月ごろから感情日記をつけるようになった。目的は自分を知るために。自分が何を感じているのか、考えているのか時間が経つとすぐに忘れてしまうからだ。

忘れると何が起こるか。繰り返しだ。同じことの。

僕は振り返りがあまり得意ではない。むしろ苦手だ。そんな僕でもコーチングを学び、多くの人の支援と愛のおかげで、だいぶ振り返られるようになってきた。1日のことを。過去のことを。

ふと書き溜めた感情日記を見返してみる。

ずらっと、並んだタイトル一覧。

「なんだ、このネガティブの溜め込みは」

これが、しんどくなった時に書くとしていたなら当たり前の現象だがそうではない。今回は、自分の思考や感情を知るためだったはずだ。

つまり、これが何を意味するか。

自分にとっての振り返りは、自分を責めるものだったのだ。

責めることによって、きっと今の自分に改善を促したかったのだと思う。こうしたい、こうしなければがあるからこそ生まれる自責だ。

自責が悪いわけではない。ネガティブも悪いわけではない。

たださ、そりゃ振り返り嫌いになるよ。

ポジティブな要素がもう少しあったっていいではないか。見返したときに、こんな楽しいこともあったんだなって思う瞬間があってもいい。むしろ、そうしていきたい。

今日は、今まで達成できなかったことを初めて達成できて嬉しかった。それをちゃんと書いてみた。自然と心が明るくなる。

自分の人生に限りがあることをようやく実感し始めているのだから、思い返した時に笑顔になることをこれから少しでも残していきたいなと思う。それは、ポジティブな言葉で埋め尽くして奮い立たせるのではなく。あくまでも自然に。流れのままに。

さて、明日はどんなことをしようかな。

自分を愛するって、意外と簡単なことなのかもしれない。自分が自分に愛されているな、と感じることをただやればいいのだから。

難しく考えすぎていたかもしれないね。

2021.10.11.23:41

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