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哲学やろうとしたら生物学と物理学が私を襲っている件について

最近、反出生主義であったり、実はひそかに勉強している時間の哲学、あとはこの記事とは一切関係ないんですが、英語を勉強していたりします。
その時、動画を作り投稿しコメントの反応を見たり、本を見て勉強したりするわけなんですが、反出生主義を深く考えていく際、コメントで生物学を勉強するといいよといわれたり、時間の哲学の本からいきなり物理が飛んできたりと、地獄の毎日を送っております。

私自身、そこまで勉強をしてきた人生ではなかったので、社会人(現在怪我療養中により無職)になってからこんなハードなものを覚えようとするとは夢にも思っていませんでした、
まあまだまだ私には知識欲があるんだなと感心していたりするんですけどね。

それはさておき、哲学を勉強しようとしたらほかの学問から襲撃を食らったりするわけですから、予想するに他学問も例外ではないと思うんです。
最近読んだ地政学の本にも、専門というものは存在しない、という言葉があったんですが、あながちどころか100%正しい意見といってもいいのではないでしょうか。
確かに、学問というのは人間が勝手に区切った仕切りであるため、仕切りをまたいだ問題などが出てくるのは当たり前ですし、そもそも知識自体人間が発明したものです。
自然が発明したわけではないのですから、論理では説明できないこともこれから多く出てくることになるでしょう。
となると、我々は一つのモノだけを理解するのではなく、多くのことを理解する必要があります。
知識に区切りはないわけですから、生涯勉強が正しい人間の姿勢なのかもしれません。

人は勝手に自分を区切り、そこで満足してしまう。
いわば井の中の蛙大海を知らず状態、そんな風に思った今日この頃です。


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