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月曜日からビールを飲むことについての雑感

2021年も12月後半である。早いですね。

4年生の12月ともなれば、大学生という時代の終わりも見えてくる。卒業旅行計画のシーズンですが、まあ昨今の状況もあるのでそこまで盛り上がりはしなさそうですけどね。

でも正直言って、何もどこか遠くに行かずしても、(一般的には)大学生にしかできないことってたくさんあるのではないか、と思うことが多々ある。なんせ、昼間から特に何も生み出さないことについてじーっと考えていられるのって、大学生くらいだろうし。

ちなみに僕は最近、「ちくわに表面・裏面はあるのか?」という問いに小一時間頭を悩ませていました。本当です。

昼下がりの大隈庭園

今日はちょっと贅沢に行ってみよう、と思えば、あてもなく文庫本コーナーを歩いて、ちょっと目に止まった背表紙を引っ張り出してみる。たきたてで350円の生姜焼き弁当を買う。(ちなみに、たきたての看板娘的なポジションの女の子は毎年MYNX(注:早稲田大学のチアダンスサークル)から派遣されているらしいです。早稲田Tips)大隈庭園なり3号館まえのベンチなりで弁当をちびちび摘みながら、小難しい顔をしてページを繰る。適当なポッドキャストを流しながらうとうとする。

これはなかなか雰囲気のあるものである。


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今年自分が出会った本の中でもお気に入りの部類に入るのが、「ドイツ名句集」である。これこそ、小難しい顔をして読むのにもってこいです。

手元に置いておきたい本

今昔さまざまなドイツ人(オーストリア・スイス人)の名言が、ちょっとした解説と共に纏められているというもの。これをパラパラとめくっていると、ドイツ人というのは本当に昔から小難しいことを考えるのが大好きな人々なのだということが分かってくる。
ただ、モーツァルトの手紙の内容なんかもおおっぴらにされて説教ぽく引用されるのだから、彼らもたまったもんじゃないと思う。僕らの数世代後には、ラインの内容が当時の世相を反映するものとして資料として使われたりする日が来るのだろうか。こういうのはちょっと怖い。同情する。

語学学習において、一般的な勉強法のほとんどがかなり嫌い(単語学習など)なのだが、こういう例文がたくさん載っている「独文和訳」的な参考書は結構好きである。なんとなくめくっているだけで飽きたりしないし、そういうことを繰り返しているうちに英語でもドイツ語でも読めるようになるものだと勝手に思っている。

この本には本当に多くの素敵なことばが載っているが、一つ好きなフレーズを引用したい。

Die Kunst ist zwar nicht das Brot, wohl aber der Wein des Lebens.
- Jean Paul
芸術は人生の、パンではないが、たぶんワインではあろう。 
(ジャン・パウル)

ドイツ名句集

どういうことかというと、芸術やクリエイティビティというものは米やパンなどの主食のように、決して生きる上で必要不可欠なものではないが、酒のようにスパイスを加えてくれる、豊かな人生を生きるための条件だ、と言いたいのであろう。間違っていたらごめんなさい。


この言葉を目にして僕はシンプルに「なるほど、これはクールだ」と納得してしまった。

それ以来、アートを観るときには、これは人生にとっての酒のようなものなのだなあ、とことあるごとに反芻してニヤニヤしていたし、自分で何かの創作をする時も、「やはり私はメタファーとしての酒を作っているのだ」なんて思ったりしていたものだ。


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では酒は芸術なのかというと、間違いなくそうである。僕はワインについて多くを語れる口ではないが、それでもビールがこの世の芸術である、ということは理解しているつもりだ。

ビールには歴史がある。人間ドラマがある。
ある部分は白黒に、ある部分はフルカラーに描かれている。そこには深淵な哲学がある。

特に、休日の昼間から飲むビールと、月曜日の夜に少し時間を気にしながら飲むビールとでは、後者の方が間違いなく芸術的であり、哲学的である。ビールは飲み会の「とりあえず最初の一杯」のためだけに存在しているわけではない。

Double IPAを頂いた

Mikkeller Tokyoは筆舌に尽くし難いビア・スタンドである。僕はビア・スタンドでビールを飲むのが好きだ。なかなかに楽しい。タップリストが書いてある大きな黒板がカウンター奥にあれば、なお楽しい。サーブしてくれる人が外国人風のお兄さんだと、もっとさらに楽しい。このMikkellerはデンマーク発のブルワリーで、北欧のマイクロ・ブルワリーからのビールが数多く繋がっている。これ以上ない贅沢である。


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その日は、神泉の小さな劇場でソビエト時代のカザフスタンで撮られた映画を観ていた。僕はビールと同じくらい、旧共産主義圏が好きだ。こういえば語弊を招くと思われるが、僕はその時代の共産主義的イデオロギーが好きだというわけでは更々なく、旧共産主義圏という概念そのものが好きでたまらないのである。なぜ旧共産主義圏の建築なりアートなり映像って、自分達がほんの1%もこの世にいなかった時代なのにもかかわらず、ある種のノスタルジアを感じさせてくれるのだろうか。

シアターを出ると、そういう映画を観た後のノルタルジーに対する虚脱感と、神泉のデカダンな雰囲気とが混じり合って、何か現実離れした、ふわふわした感覚を覚えるようになる。

そこに月曜日の夜という「ちょっとした悪いことしてます感」と、ホップの旨味の効いたIPAがあれば、それはもう大変良い心持ちなのである。


でもMikkeller Tokyoにおいて何が最高かといえば、ラブホテル街のど真ん中に店を構えているところに尽きるだろう。一体全体なにが楽しくて、代官山なり六本木なりの気取った町なんかでビールを飲まなきゃならないんだ?


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白青研究所(siroao institute)

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