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ソウルフル・ワールド 感想・考察 -足元に注意して-

※ほぼ全部ネタバレです

今日という日が待ち遠しかった。クリスマスだからじゃない。

映画「ソウルフル・ワールド」の公開日だからだ。

劇場で公開されないのは残念だが、早速Disney+に入会をキメた。

どんな内容かは公開前からなんとなく想像していたけど、「だいたいこんな内容だろうな」っていうのを予想させといて裏切ってくる新しい手法。

ディズニーにしてやられた。

かなり大人向けに感じたけど、瞑想が世界的に流行し、コロナで意識が内に向きがちな昨今、こういうスピリチュアルな内容の映画が出て来るのは自然な流れなのかもしれない。

順を追って考察してみようと思う。

夢追うピアニスト"ジョー"

主人公は音楽教師でジャズピアニストの"ジョー"。ある日、学校の元・教え子からプロのバンドのサポートで演奏して欲しい、と連絡が来る。

やっと夢が叶うんだ!と舞い上がっていたジョーはマンホールに落っこちてソウルの世界に行ってしまう。

ジョーも、これから登場する22番と同じく、”こじらせソウル”の持ち主である。

有名なバンドのサポートができることで夢が叶ったと大はしゃぎ、これまで本気でプロを目指したり、明確な目標を持って努力してきたわけではなさそうだ。

年も多分40歳前後だろうし、独身だ。今だに母親に仕事のことで相談して小言を言われているし、母の美容室の中でもどこか子供扱いである。

父親の死もあってのことなんだろうけど、母親離れできていない中年というイメージだ。

ソウルの世界

マンホールに落ちて生死の境を彷徨うジョーは、ソウルの世界に辿り着く。

生まれる前の魂が、個性や才能、"人生のきらめき"を見つける場所である。

ソウルの世界は”ユーセミナー”という組織が運営していて、ソウルにはバッジが与えられる。

そのバッジに空いた6つの特性+人生のきらめき1つを見つけると、地上へ旅立つことができる。

このユーセミナーってのが絶妙に胡散臭くて面白い。

その人の性格を勝手に6つ程決めつけた挙句、残り1つの"人生のきらめき"が見つかるまでセミナーに通わせる。完全にセミナー商法のそれである。

講師の人に「ブランドイメージとして」って言わせてたから皮肉も込められてるのかな。この記事の中ではユーセミナーのフォーマットで性格について考えてみます。

ちなみに、自分「光文社古典新訳文庫」の表紙の絵がすごく好きなんだけど、ユーセミナーの講師役のデザインがそれとほぼ同じでびっくりした。

デザイナー誰なんだろう。

古くを辿れば"太陽の塔"とかもそんな感じだし。量子の概念をイメージ化するとあんな感じに辿り着くのかもしれない。

"こじらせソウル"22番

ソウルの世界でジョーが出会うのが、こじらせソウルの22番。

もう何千年もソウルの世界にいるらしく、数々の歴史上の偉人がメンターになって彼女を指導しているのだけど、こじらせは悪化する一方だ。

22番の気持ちは非常によくわかる。

数々の歴史や哲学、心理学を学び、各分野の偉人が残した本を読んでも、その全てにマウントが取れてしまうのだ。

22番と同じようなことをしている人は他にもたくさんいるだろう。でもそうして本を読んで妄想するだけでは、いつまで経ってもこじらせたままだ。

ジョーとの出会いで22番は変わっていく。

ちなみに22番の通行証に記された特性のマークを自分なりに解釈すると

・ロバ → 賢い  
・低評価の手 → 皮肉屋
・メガホン → 応援
・曇りのち晴れ → 気分屋
・手のひら → 社交的
・時計と矢印 → 夢中

この設定が後々生きてきます。

ソウルフルワールドとリアルワールド

その後、ジョーと22番はリアルワールドへ旅立つも、22番はジョーの体に、ジョーは猫の体に入ってしまう。

この映画の中に限らず、人間は2つの世界を行き来していると思う。

肉体を持ち、五感や感情を味わうことができるのがリアルの世界。

意識を持ち、想像や思考を司ることができるのがソウルの世界。

劇中でも出てきたけど、"ゾーン"に入ると2つの世界の境界が曖昧になったりするし、ソウルの世界に偏るとこじらせたり鬱状態になったりする。

瞑想とかでゾーンに入ると、意識上で他のソウルと繋がれるのは面白いなと思った。できる人いるのかな。

22番の才能

はじめて地上に降り立った22番は、ジョーの体を借りて様々なことを体験していく。

22番は自分に自信がなかった。自分のことを変わり者だと思っていた。でも22番にも長所がたくさんあった。

学校で冷やかされて音楽をやめたいっていじけてたコニーを応援して、音楽が好きって気持ちを思い出させたし

コニーにはジョージ・オーウェルを引用して反社会的な思想を、床屋では哲学思想を語って共感を呼んでたし

床屋で傷つけてしまった男ともすぐに和解してたし、ストリートミュージシャンのことも応援したりした

22番が持つ、応援や社交性のスキル、夢中というジャズるスキル、一見役に立たなそうな皮肉のスキルすら人との共感を生み、はじめてポジティブな感情を体験した。

こうしてだんだんと生まれる覚悟が定まりつつあった22番。

母の呪い

中身は22番のジョーは、スーツを直してもらいに母親に会いにいく。22番のお陰で音楽に対する思いの丈を母親にぶつけることができたジョーを、予想外に応援してくれる母。

父の形見のスーツでジャズのライブへ送り出してくれた。

ジョーは「どうして夢まであと一歩のところでいつも失敗してしまうんだ」と言っていた。それは、「母に心配かけたくない」という自縛と、「息子に苦労させたくない」という善意に基づいた呪いである。

音楽家の父をもち、母も生活面で苦労したのだろう。音楽=苦のイメージも持つ母は息子に教師として安定した生活を送って欲しかった。

そんな両親を持つジョーも、音楽での成功=不安定な道=母親に心配をかけてしまうという意識から、なかなか夢を掴むことができなかった。できなかったというより母のために掴まなかったのだ。

22番のお陰で思いの丈を母にぶつけられたジョーは、自分の中でも気持ちの整理ができて覚悟が決まった。その覚悟を感じたから母はジョーのことを応援することができたのだ。親子が自立するシーンである。

こじらせ終わった22番、まだこじらせてるジョー

いざソウルの世界へ帰ろうとした時、カエデの種を手にした22番はリアルワールドでの経験の素晴らしさと、これまで自分に自信が持てなかった心を打ち明ける。

そんな告白に耳を貸さず、今日の演奏のことで頭がいっぱいのジョーは、22番にデリカシーの無い言葉を放ち傷つけてしまう。

このシーンで22番は、現実世界のどんな出来事も素晴らしいという事実を悟った。

でもジョーはまだ普通の生活に価値を見いだすことができていなかった。人生の価値は、人生のきらめきは、もっと他の場所にあると思っていた。

そうして二人はすれ違ってしまう。

ちなみにカエデの花言葉は”遠慮”とか”美しい変化”らしいです。

こじらせに気づいたジョー

ソウルの世界に戻ると、いつの間にか22番は”人生のきらめき”を見つけていた。ジョーは「自分の体に入ったから音楽という人生のきらめきを見つけたんだろ」と言う。逃げ出してしまう22番。

”人生のきらめき”を才能とか、打ち込める何かだと思っていたジョーは、ユーセミナーの講師に「そんなもんねえよw」と一笑に付されてしまう。

この時点で22番は、”人生のきらめき”とは、日常で経験するあらゆる感情のことだと気付いていた。ジョーはまだ気付いていない。

そのことをセミナー講師に指摘されちゃうジョーだけど、普通のセミナー講師はこれと真逆なことやってるよね。

魚は水を知らない

現実世界に戻り素晴らしい演奏をして、プロのバンドに加入したジョー。夢が叶ったその先には、以前と同じ毎日が繰り返しの日々が待っていたことに気付く。

ジョーの考えていた”人生のきらめき”は儚いものである。長年思い描いていたプロのジャズピアニストとして活動する夢も、叶ってしまえば生活の一部だ。

生活と音楽は相容れないと思っていたジョーの生活の中心は音楽になってしまったのだ。地下鉄に乗って絶望するジョー。

人生のきらめきとは

部屋に戻ってピアノの前に座るジョー。おもむろに、今日22番と過ごした1日の思い出の品をピアノの前に並べる。

その思い出の品からは、今日味わったいろんな感情が溢れてきた。ついでにこれまでの人生の思い出も一緒に溢れてきた。

カエデの種を握り、ジョーもここで"人生のきらめき”に気付く。人生のきらめきとは、人生で経験する全ての出来事や感情だったのだと。

そしてその感情は音楽に昇華できるのだと。ジョーの中で生活と音楽、人生のきらめきが一緒になった瞬間だった。

カオナシ化した22番

ピアノに没頭し再びソウルの世界に戻ったジョーが出会ったのは、迷子のソウルとなった22番だった。なんとか助けようとするも22番に飲み込まれてしまう。

22番の内部では、これまでメンターに言われた言葉や、自己否定の言葉がこだましていた。その中にはジョーが放った言葉もあった。

二人に人生のきらめきに気付かせたカエデの種を22番に握らせるジョー。「生きる意味なんてなくていい。準備ができたらそれでいい。ジャズるのが得意だろ」と22番を励まし、無事に22番は地上へ旅立つことができた。

迷子のソウル化した22番が完全にカオナシのそれだった。カオナシの中もあんな感じなんだろうな。

自分を見失って、他人からの言葉や自己否定で頭がいっぱいのときは本当にきつい。

でもそれってソウルの世界の話であって、ある意味では現実世界とは関係ないんだよね。

そうして溜まった自己否定のゴミを掃除するのが瞑想だったり趣味だったり、そこから救い出してくれるのもまた他人の言葉だったりするのだろう。

ムーンウィンドウが、カオナシ化するのはゾーンへの執着が原因って語ってたのが印象的だった。強烈にポジティブな感情への執着は、それと同じ強度のネガティブを生み出してしまうのかもしれない。

一瞬一瞬を大切に

無事に22番を送り出し、ユーセミナー講師の粋な計らいで地上に戻ることができたジョー。

「これから何をするかはわからない。一瞬一瞬を大切に生きていくよ。」

夢が叶い希望を失ったジョー。再び希望を抱けば、日常という絶望が待っている。だからジョーは日常という人生のきらめきを一瞬一瞬生きていくことに決めたのだ。

最後送り出す時のテリーがかわいかったです。

まとめ

ソウルフルワールドは、アクションとかユーモアとかは控えめで、哲学とかスピリチュアルとか、映画自体が結構こじらせた雰囲気だと思う。

ジョーの恋人のことはちらっと出てくるけど最後まで登場しなかったし、22番とも男女の仲という感じじゃないから、恋愛要素も無い。

これだけ考察を書いててあれだけど、ズートピアとかモアナみたいにもう少し勢いあるディズニー映画の方が好きかな。

かなり大人向けの内容でした。

ただ、”ズートピア”しかり”モアナ”しかり、これまでのディズニーは「夢が叶ってめでたしめでたし」という展開が多い中で

ソウルフルワールドはもう一歩踏み込んで、夢を叶えるまでのこじらせと、夢を叶えた後の絶望を描き出した。

これは新しい試みだと思う。

どっちの映画が良い、悪いという話ではなく、

人生をドラクエとして遊ぶのが素晴らしいか、動物の森として遊ぶのが素晴らしいか、その選択の違いの話だ。

自分は、夢を叶えるために頑張りたいし、日常の素晴らしさも一瞬一瞬享受して生きたいと思いました。

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