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attentionという名の始まり。who am I?

雷が鳴る前の強い風と小降りの雨の中、部活帰り自転車で家路に着く時に、なんとも言えない世界に放り込まれる気がしました。おそらく原因は人生の選択について。そう、私は全国でもトップクラスの田舎に住む、現役中学3年の女子であったのです。

どうもここ最近、なんのビジョン(ミッションステートメント)も明確でないのにもかかわらず、情熱大陸や、プロフェッショナル、SWITCHなどのいわゆる人間密着ドキュメンタリーの番組を見ては、そこに登場する人間の貫きを見て自分の未来を妄想する自分に嫌気がさすようです。

いや、訂正すると、妄想するだけして、アクションを起こさない自分に嫌気が差すのでしょう。きっと。

なんとも言えない世界に放り込まれた私は、肌に纏わり付く湿った空気と、少し涼しい向かい風たちが自分に嫌気が差すことに対し、宥められているような気がしました。それは、私に安らぎと、安心の余地を生み出しましたが、それと同時に不安になりました。ただ、自分自身の考えがビニールハウスの中だけで育てられるのではないかと。

私自身、この文章をいまいち理解できておらず、なかなか言語化するのに苦労しています。単純に言えば、おそらく二度ない人生を構築するための選択を迫られた私は目と耳と口と鼻を塞がれた状態でどこかわからないところで立ち往生している状態である。

そしてここには、私の脳と意思、ひととパソコン一台がある。おそらく、これらを使って。高校の選択、いや、ここは人生の選択、魂の選択をしなければならないのだと思います。


私は、noteを、記録がてら、皆様に共有して行こうかなと思っております。おそらく、私に襲いかかる魂の選択は、とても世話のかかる問題ですが、10年もたてば、こんなこと、すごく可愛い悩みだと思います。

だからこそリアルタイムで記録して、この短く小さい人生の儚く、強く時に感情と事情の入り混じりを含んだ綻びと共に、noteを仕上げ、私の人生設計図(仮)を仕上げていきたいのです。

学生というどこにも属して属さない時の出来事は、皆共感できるのだろうか。という検証も踏まえて、私、如庵がnoteを始めようとしたきっかけに至るのだ。


余談

それにしても、この絵、可愛いなぁ。美術館で見た北斎漫画を思い出す。


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