グレーを愛しましょう。

僕は、一高校の教員です。社会科です。最近のニュースや活発なSNSの発信を見ながら感じたことを今日は書きます。すべてはタイトルの通りなのですが、共感してもらえるとうれしいなって思います。

なぜかひとくくりにする人々

たとえば、どこかの国を批判する人が一定数いるんです。政治家でもないのに国の方針を好き勝手に文句を言います。

もちろんそれは良いんです、自由です。

だけれども、対象を間違ったらダメです。たとえばこの話でいえば民族を全部ひっくるめて、さもその国の人が全員悪いみたいな言い方していませんか?

最近、SNSにおいて個人の人権を害するような、行き過ぎた誹謗中傷が原因となって尊い命が失われたんですが、「SNSを規制しろ!」みたいな発言も目立つ訳です。これも同じことで、全部ひっくるめて悪いんじゃないんですよね。有益なこともたくさんある訳です。白か黒かみたいな極端な考え方はよくないなと思うんです。

白と黒の世界

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想像してみてください。白と黒の世界を。僕の周りには職業柄(僕は教師です。)のためか、この世界の住人がたくさんいます。とにかく「はっきりさせたがる」のです。

もちろん、否定はしません。それも一つの在り方です。ところが、僕はそういう白か黒の世界に生きる人たちと一緒にいると大変疲れます。

「こうあるべき」「はっきりしろ」「どっちなんだ」などなど。

もうね、疲れるんだよ。笑

物事なんて、グレーなことがあって当たり前なんです。全てを正しい誤っているかなんてどうやって判断するんですか。人はグレーな部分を残しておかないとダメです。

たしかに、時に嘘を見破り、逃げ道を断つ指導が必要な場面はあります。ですが、すべてこれには当てはまりません。生徒には変わるための余地があります。白か黒を求めるということは、今だけにフォーカスしているに過ぎません。未来を見ないといけませんね。変われる余地をも奪いかねないですね。

白か黒かしかないと、世の中がぎすぎすします。加えて、その周りにいる人はとっても疲れます。そんな上司がいたらもう最悪です。できるかできないかが判断の基準になり、自分の意見に沿わない人は虐げられ、負け犬の道を歩まざるを得なくなります。

グレーを愛しましょう。

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だから僕は言いたいわけです。グレーを愛しましょう。曖昧さを愛しましょう。

白と黒は目標値でしかなく、正解ではないのです。

グレーとは、中途半端を意味する言葉ではありません。黒と白の丁度その間に立つ中立の色です。どちらの意見も聞いたうえで、落としどころにあるカラーです。それ以上濃くなっても、それ以上薄くなってもいけません。白と黒のどちらの味方でもない中立の視野を持つことが大事なのかなって。

中立でいるためには、客観性がないといけませんね。グレーを愛することは、テキトーに生きることではなくて、いつでも中立であるという大切な役割を自覚して生きていくってことだと僕は思いますね。はい。

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