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今日の夕方は忘れられてゆく

夕方の散歩に出ると、空は薄桃色から紫、紺の三色からなるグラデーションに染め分けられていた。迫る夕闇に閉じ込められた箱庭のような時空に滞在する権利を、今日の私に許されていることがわかる。
三色の空から闇が降っている。私の肩へと、背中へと、顔の周りに、そして目の中へと蒼い闇が降りてくる。
公園に近づくとやがて遠くにメタセコイアの並木が針の葉を朱色に光らせながら立ちあらわれる。迫る闇の内側で、大きな大きな木立から降る朱をも受けながら、ゆっくりとゆっくりと時空を彷徨い歩く。足元には落葉樹の枯れ葉が気の早い順に積もって淡色を重ねている。
今日の夕方は昨日の夕方でも明日の夕方でもなく、十年後の夕方でもない。今日の夕方という時空を、あなたでもあの人でもなく、わたしひとりが彷徨っている。
十五分後には、私は自宅の玄関にいるだろう。背後に迫った夕闇をパタンとドアの向こうに封じ込めて、明るい蛍光灯の下で夕餉の支度をするだろう。まるではじめからここに立っていたかのごとく、当たり前の顔をして。
そして今日の夕方は忘れられてゆくのだ。取り上げられたブローチのように、針穴をふたつ残したまま、忘れられてゆくのだ。

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