自社の従業員の幸せを考える
1. 昔、「es」というドイツ映画を見て驚愕した覚えがある。
この話はかなりざっくりいうと、とある大学で、無作為に分類された看守役と囚人役の何人が約2週間に渡って、架空の刑務所の中で、どんな行動をとるか実験が行われたのだが、そのうち看守役が囚人役に理不尽な仕打ちを行い始め、彼らがどんどん暴走し始める、といった内容だったと思う。
この映画の元ネタは心理学者フィリップ・ジンバルドーの指導の下で行われたスタンフォード大学監獄実験。
この実験についてはやらせ疑惑などいくつか実験の真実性に対する疑義が表明されている。
2. しかし、僕はこの映画を見た時、これは何も刑務所といった特殊な場所だけでなく、普通の社会や会社の中でもありうる話だと思った。
地位が人を作るじゃないけど、社会の中で置かれた立場や地位が人の特質を特徴付ける。
最近は少し変わってきたが、「空気を読め」とか「〜キャラ」とか、特に日本人社会は自己主張や全体と調和しない行動をとる人間に冷淡なところがある。
まあそういう意味ではキャラの暴走はないとは思うが、逆に調和しない人間に対するネットでの度を超した攻撃はまさにこの映画の看守役そのものではないか。
このような個人の個性が軽視される社会では、余計上記スタンフォード監獄実験の法則がある程度当てはまるのではないかと思う。
おそらくキャラ設定されることで余計な自己主張しなくても調和が実現され、社会や組織全体の効率性があがるためだろう。傷つかずに済むので心理的にも楽だろうし。
3. 一般に個人の自主性を重んじる会社が賞賛される傾向がある。
でも本当に従業員は自主性に象徴される自由だけを求めているのだろうか。
実はマニュアル等で行動をある程度決めて上げた方が本人たちにとっては幸せなのではないかと思うことがある。
従業員に自由を与えるということは、権限に関する広い裁量を与えるということ。それは決まっていない状況の中で、自分の頭を使って状況を判断し、問題解決を図り、その結果に対する責任をとってもらうことを意味する。
その重責をポジティブに捉えられる人が果たしてどれくらいいるのか。
4. 自社では現在、社長交代に伴う新体制に移行している最中で、その一環としてその体制に相応しい組織人を重用している最中である。
かれらは真面目で礼儀正しい。言われた事に真摯に向き合い、きちんとこなしてくれる。ただ指示待ち人間の傾向が若干見られる。
これはこれでなんとかしなければならないので、そのやり方として責任ある仕事を任せるやり方を今とっている。
しかしそれが彼らの負担になっていないだろうか。もう少し見て行く必要がある。
ネットで幸せの語源を調べると手かせだという。
従業員の幸せを考えるということは手かせをはめる要素と自由とのバランスを図る事を意味する事だと思う。
自由と規律のバランスをどうとるか。集団の凝集性による度を超した同調圧力や規律の暴走を阻止する必要はあるが、自社の実情にあったバランスが求められる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?