小説「孤高の人」から考えるリーダーシップ
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新田次郎著「孤高の人」を読んだ。
但馬が生んだ不世出の天才登山家・加藤文太郎の生き様を描いた山岳小説。
大正後期から昭和の始めの時代。支配的だった大学の山岳部と家柄の良い金持ちによるヨーロッパ直輸入のパーティーを組むスタイルに対抗するかのように高等小学校出の一社会人の身でありながら、いつかヒマラヤ登頂することを夢見て、兵庫県の山と日本アルプスを中心に日本の冬山を独自のスタイルで単独登頂し続けた男、加藤文太郎。
頭の良さと卓越した独創性と並外れた実行力があるにも関わらず、人とコミュニケーションをとるのが大の苦手で、そのためにいろいろな誤解や誹謗中傷を受け、登山でも単独で行かざるを得なかった加藤。
そんな不器用さが彼を世に出し、逆に彼を追い詰めてしまう…。
小説だからある程度は脚色しているだろうけど、ほんとに登場人物のキャラクターも立っていて話の筋もドラマチックで、実話ベースとは思えないほどに人間ドラマとしても面白い小説だった。
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個人的に印象的だったのが、彼が最初で最後のパーティーを組んで北アルプスを縦走するシーン。
優秀な選手が優秀な監督になるわけではないとよくプロ野球を始めとしたプロスポーツで言われるけど、まさにそんな感じだった。
彼は個人としては優秀どころか、天才的な登山家だった。
でも、結果として宮村健(仮名)の暴走を止めることが出来なかった。
通常時なら、それは若気の至りとして、成長していくための失敗として肯定的に捉えることもできる。
でも、厳冬時期の北アルプス縦走という一歩間違えれば命がない状況下においては、きっちりと指揮命令系統が機能していないと命とりになる。
その辺が曖昧なまま、雪山に入り、最後に憧れの加藤文太郎を乗り越えたいとイキる宮村を止めることが出来なかった。
そういう意味では彼は人間としては素晴らしくても、リーダーとして不向きだったと思う。
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これを読んだ時、2次大戦のきっかけとなる現場の関東軍の暴走を止められなかった政府なり中央の参謀本部の話を思い出した。
現場重視の傾向の強い日本人。それゆえ戦術が重視され、戦略は軽視されがちとなる。
だからいくら経営陣がその目的や位置付けを説いても、現場サイドはその命令を無視して、目的外の行動に走りがち。
第2次大戦はそんな日本人の悪い面が出た戦争だったと思う。
この小説であてはめるならば宮村が現場サイド、加藤文太郎が政府や中央の参謀本部といったところか。
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それは何も軍事に限らず、あらゆる活動でも言えることだと思う。
通常時は民主的に命令よりお願いでいった方がお互いの信頼関係上好ましい。
でも、緊急時や時間が許さない場合、トップダウンによる早期解決が求められると思う。
加藤文太郎は登山歴からしても、格からしても、パーティーのリーダーになることが求められた。
にもかかわらず行き当たりバッタリの言動をとりつづける宮村に対し、彼を思う気持ちと、善意の解釈によって厳しく対応できず、彼に主導権を取られる。
これが致命的失敗につながっていく…。
これを読んだ時、警備に携わる者として、例えば地震・津波や火災時など個人ではなく、大規模な集団レベルで緊急対応を誘導するには、通常時の準備が物凄く大切だと思った。
急に言われても、統率的な行動を必ずしもとれるわけではない。
だからこそ、普段からそういった訓練を行う必要があると思った。
たまにそんな訓練をしなくても起こった時に協力して臨機応変に対応すれば大丈夫、起きた時にみんなで考えればいいとおっしゃる方もいるけど、以上の理由からそうじゃないと思うのだ。
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