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刺激にまみれすぎた我々は、休むことが必要なのかもしれない

 おはろん、しらすです。

 最近こういう精神論的な記事を書きがちだ。それだけ暇だということの裏返しでもある。

世はまさにエンタメの時代

 テレビが普及し、音楽を自由に聴けて、液晶デバイスからはガンガン映像が流れ、Youtuberという独自のエンタメを築き上げた現代。誰でも簡単に視覚的な、音声的な、感覚的な刺激にまみれることができる社会になった。

 電気代や通信料などを除けば基本無料で楽しめるこれらのコンテンツは、とにかく人を楽しませたり、興味を持たせることで生計を立てている。そのために興味を持ってもらう、できるだけ多くの動画を見てもらうための工夫を凝らしている。

 これは、我々が何も思考しない限りは無限にそのエンタメを楽しむことができることを示唆している。夜が明けるまでゲームをする。眠たくなるまでYoutubeを見る。飽きるまでドラマを見る。そういったことがいとも簡単にできてしまうわけだ。

刺激に慣れると、刺激が欲しくなる

 そういった刺激にまみれた社会に慣れすぎると、人は刺激を感じない場所では何かを求めてしまうようになる。Youtubeを見ることが日課になっている人はいつも見るチャンネルの動画を求めるし、毎日ゲームをするような人はゲームをしないことを考えるのだけでも辛くなる。

 ゲーム依存症、スマホ依存症、よく言われるこういった言葉は私はあまり好きではない。しかし、これらがどうして問題視されているかというと、テンションが乱高下しない状態を放っておけなくなっているからである。それは、最高の快楽を知ってしまったがゆえに悶え苦しむ薬物依存症の人のように。

刺激がないと腐る

 それでも、刺激は必要だ。流れ作業のような毎日を送ると、どこかで精神的崩壊が起きてしまうからだ。

 これは、過去に一日だけ工場でバイトした時に思ったことだ。この作業を正社員として毎日のようにやっている人がいると思うと、私には受け入れられない世界だと敬遠してしまう。


 起伏のない環境で生活ばっかりしていると、どこかで心のガタが来る。だから一定の刺激は必要だ。要するに、刺激はほどほどに受けたほうがいいというのが私の結論である。

全集中の時間

 この記事で言いたい本当のことは、やはりどこかで刺激をシャットダウンして、何か一つに全集中する時間を設けることが必要だと思われる。その時間にすることは何でもよいのだが、例えば読書でも副業のための勉強でもマインドフルネスでもよい。

 正直、「当たり前やん」と思われてもおかしくない。これは、私の自戒の記事であるからだ!

 もし、私と同じように、時間があれば刺激を求めてしまう人がいれば参考にしていただきたい。

 

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