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勉強法にはこだわるな【失敗談】

 おはろん。勉強自体は割と好き、しらすです。

 今回の記事はもうタイトル完結型。「勉強法にこだわらないで」というメッセージしか込めない。

 世の中には、数多の勉強法の本が売られている。私が塾に行かずに合格した理由の一つに勉強法をそういった参考書からまるパクしたからだ。

 それでは今回の記事と矛盾するのではないか?これから記事を読むと考え方が変わると思う。

 今回は、自分の失敗談も踏まえながら勉強法(ハウツー)に対する考え方を教えていこうと思う。

私は勉強法にこだわった

 当時の私は、勉強に対してある程度のモチベーションがあり、北大に合格したいと思っていた。それでも効率よく合格ラインまで持って行きたい(部活もそこそこやっていたので)と思っていたので、勉強法にこだわりを持っていた。

 事実を言うと、私は勉強法の本を5冊ほど買った。それほどまでに効率に目がくらんでいたのだ。

正直無駄だったと感じた

 しかし、勉強法をこだわっていては学力は変わらない。そこには本質である勉強量を忘れていた。これを見落としている人も何人かいるのではないのだろうか。

 そもそも勉強法とは、勉強をしてない人には無駄なものだと気付いたのは高3の夏ごろだ。それまでは方法さえ完璧であればよかったと思っていた。

 それに気づいた途端、とりあえず勉強量をこなそうと思えたのだ。結局一つの本を信用して懸命に勉強した方が成績が伸びた。

とはいえ、使い方次第

 私にとって勉強法の本を5冊買ったことは不要だと感じたが、ここから学べることも一つある。それは方法の実行と吟味のバランス感である。別な言葉で言うなら「トライアンドエラー」である。

 ある方法を試して、それが通用しないと分かったときに本当に正しいかを吟味するやり方なのだが、そもそも量をこなしていない私はその領域に達していなかった。

 勉強法の正当性を試すなら、おそらく3か月本気で同じ勉強法を試すのが一番いいと思う。それで成績が向上しない場合、方法が間違っている択と量が足りていない択の二択が考えられることを忘れてはいけない。当時の私は「方法が悪いのかなあ」と決め打ちしていた節があるため、これの洗脳にかかっていたら、泥臭くても量をやれ!以上だ!

まとめ

 勉強法は、であったならまずは試してみよ。失敗は恐れなくていい。何故ならそれを試している以上は勉強量のノルマをクリアしているからだ。量がない以上、勉強はできるわけがない。その発想だけでも学んでもらえれば幸いである。

 お金の損失も当時はあまり考えなかった。塾に行くより数倍安いやろと思っていたからだ。

 事実として、私は演習を増やす(教科書を読むだけでなく実際に解く行為を増やす)ことで偏差値が一気に向上した。なかなか偏差値が伸びない、結果にコミットしない人は、案外量をこなすだけで成績が上がるかもしれない。

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