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桃子マインドで生きようよの巻(2022/04/15)

・<今日の気づきのコーナー>

・オタクの好きなもの:8bit風アレンジ

・オタクが嫌いなもの:集団面接




・こんにちは、sirasuです。

・今日は朝からバタバタデーでしたね。

・まず大量の荷物があったのに、その確認を昨日怠ったため、忘れ物が発生してしまった。さらに、朝起きてご飯を食べて、隙間時間を見つけたのでちょこっと横になってゆっくりしていたらゆっくりしすぎて遅刻しそうになるし。ケータイを忘れたと思ってあちこち探すのだが、結局カバンに入れていたし。ワイヤレスイヤホンの充電も忘れていたためにイヤーカバーを無くしちゃった古いイヤホンを使う羽目に会うし。弁当水筒も忘れる。

・嫌なことの数え役満状態だよコリャ。

・まあ結局全部僕が悪かったわけなのだがね。


・しかし久しぶりに有線のイヤホンを使ってみたが、当然ワイヤレスなイヤホンとはまるで違う使い勝手じゃないかね、チミ。使ってない片耳のイヤホンを首の後ろにぐるっと回してかけておくなんてこと、久しぶりにやったじゃないか。

・小さい頃は当然スマホなんてものは持たせてもらえなかったわけで、そんな僕の外出時の心強い味方といえばウォークマンだったのものだ。

・常にことあるごとにイヤホンをつけて外界から身を守ってたもんですよ。親に「家族と会話しろ」とよく怒られたもんですけどね。今考えるとイタいガキんちょだった。でも、子供の時につけた音楽を聞くという習慣は今も体の血潮を巡っているので、まあ悪いものではないのかもしれない。


・あとワイヤレスイヤホンでないということをすっかり忘れてスマホが地面においてあるのに勢いよく立ち上がったりしてしまう。“慣れ“って怖いっすね。



・これからは明日の準備をして寝ようね。




・最近、Yahoo知恵袋を見ていたら「高校生ですが、...。」的な質問が多くて何だかなぁと思ってしまう。

・要は、絵や音楽に年齢という付加価値をつけようとしていてダサいということがいいたいのですが。。。

・実際ちょっと前に小学生ボカロPなるものが誕生したというニュースがあったり、Googleで絵を調べようとすると「高校生 イラスト」とサジェストに出てきたり。我々は何かしらをは年齢に結びつけようとする習性があるらしい。


・でも結局、ものの良し悪しは他の要素ではなくものそのものによって決定されるべきで、こうして何かしら周辺のもので評価されていることには疑問を感じざるを得ない。

・その曲を聞いていないからなんとも言えないが、その小学生が作ったボカロ曲が実際にはそんなに良くなかったとして、「小学生が作ったから」ということだけでその曲が評価されているならそれは間違った判断だ。

・インターネットという上も下もない下克上なんでもござれな舞台で戦うことを決めた以上、年齢という武装は捨てて、作品一筋で戦うべきだ。それでも評価されたいなら小学校で歌を披露すればよい。


・結局、年齢で物事を評価されようとするやつは、年齢という付加価値をつけることで受ける評価を少しでもカサ増ししようとしているのだ。

・たとえば書いた絵をみんなの前で披露する時に「下手じゃん」と言われて「でも中学の時に書いたものだから」と言い訳すれば「うーん」と向こうも呑まざるを得ない。逆にその絵が「上手いじゃん」と言われた時に「中学生の時に書いたからまだまだっすよw」的なことを言えば、「中学でこれをかいたの!?」と評価は加算される。

・欺瞞である。じつに欺瞞。

・僕も一端の絵描きとしては、ちゃんとしたことで評価されたい。だから年齢などを取っ払って作品などは評価されるべきなのである。なぜなら、みな最初は初心者から始まるから。

・だから、年齢の割に絵がうまくて悔しいとかそういうわけじゃないんだよ!ほんとだぞ!!



・そういう意味でアイマスの桃子先輩はすごいです。




・クイズ系のYouTuberってサムネが大体「?」って顔をして悩んでいるものが多い。

・実際彼らがガチでクイズを解こうとすると、悩むまでもなく答えがヒュパンと出るはずなので、悩むということ自体が嘘になる。

・まあ、視聴者側からしてもサムネで「クイズだ!!」とわかりやすさがあるのは大事かも知れない。僕がやる側なら、クイズをちゃんとやろうとした時、押すと○が飛び出るボタンが欲しくなるだろう。そういうあえてのステレオタイプにハマるということもある意味大切なのかもしれない。


・こういうサムネって別撮りでやっているんだろうか。気になる。もしちゃんと別撮りしているのなら、動画を撮影する前や後にもそもそとサムネ撮影をするんだろうか。それはそれでヘンな感じだ。動画というのはある種完成形のようなものだと思うので、そこに制作の残り香というか、作り手側の手垢みたいなのが見える気がして、もやもやする。着ぐるみという完成されたキャラクターの中から誰か人間が出てくるのを目撃してがっかりするような感じだ。まあ、あくまでこれは視聴者側の贅沢な意見だが。


・しかし実際、このような作品に対するスタンスというのは僕の中での疑問点であり、人為的になされたものは美しいか、というのはなかなか難しい。

・絵でも荒々しく筆致の残された絵が美しいと評価されているものもあれば、逆に現代アートなどでは製作者の関与を限りなく減らすのを目的としたコンセプチュアルアートも存在する。しかし「誰かが作った」という事実は一見普遍的に見えても、「美」においては蛇足たりえる要素になりうる。それはまるで、完全で傷ひとつない球体を美しく感じ、歪でざらざらな球体は醜く思うように。



・なぜ僕はクイズ系YouTuberからこんなことを連想しているのか。




・明日はどうやら早く出なくてはならない日らしいので早めに床に就くとでもしようか。

・では、また。

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