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認知症の父はボクを忘れ、亡くなった

 数年前、父が脳梗塞で入院し、妻と2人でお見舞いに行った。久しぶりに会った父は、私のことを、10年以上前に亡くなった弟だと思いこんでいた。妻には「初めまして」と挨拶している。父は認知症を発症し、私と妻のことを忘れていた。


 令和になった直後のGW、施設に入所した父に会いに行った。母からは、父の認知症がさらに進み、1日中ぼんやりしていると聞いていた。
でもその日の父は、私を認識できた。父は面談室の窓から見えるブドウ畑を眺めながら、ブドウから作られるワインの話を始めた。子供のころ住んでいた家の裏の小さな畑で、父がイチゴを作っていたことを思い出し「父さんが作ったイチゴ、すっぱくて不味かったよな」というと、父は笑った。                そんな父の様子が認知症とは思えず「ずいぶん良くなってきている様だ。お盆前には退所できるんじゃない?」と母に言ったのだが、父はその年の6月に亡くなった。看取ることはできなかったが、しっかりとお別れはできたと思う。
 元々何年も離れて暮らしていたこともあり、父のいない日常はあまり変わらない。

 今年の夏に、街から工場が無くなる。

 父が亡くなっても私の生活は何も変わっていないのに、工場が無くなると世の中はひっくり返る。つい先日まで行っていた、仕事が無くなる。コロナ禍で疲弊している街に、大雨が降り始めるかもしれない。
 やまない雨は無い、という。だが昨今の異常気象がもたらす大雨は強く、長く降り続け、降り止む前に大災害をもたらすことがある。でも雨が事前にわかれば、準備をする時間が、少しはある。雨を迎え撃ち、そしてやり過ごせば良い。
 雨上がりの青空に虹がかかる。湿原の向うから、河口まで届く大きな虹を想像する。
 いつか実際に虹が掛かることを、今は待とう。

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