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令和になってもスカートめくりをするジャンプ漫画はあるのだ

 例えばスカートめくり。かつては「悪ふざけ」と位置付けられていたが、「女の子が不本意にスカートの中を見られてしまう」という状況は「ちょっとエッチで笑えるエピソード」でない。性暴力の一種だ。つまり「性表現」が悪いのではなく、「性暴力を娯楽にする表現」が問題。

アニメの性表現心配:中日新聞Web https://www.chunichi.co.jp/article/368446

中日新聞のこの記事について、スカートめくりをするアニメや漫画は絶滅したかのようなコメントが散見される。確かに以前と比べてスカートめくりを軽いイタズラのように描写するアニメや漫画は少なくなった。
しかし令和のこの世になっても、そうした漫画は日本一の漫画雑誌であるジャンプにもあるのだ。
もちろんそういった描写を絶滅させるべきといった意見には賛同しないが、現状認識としていまだ「性暴力を娯楽にする表現」をしている漫画があるという意識を持ってもらいたいと思うので、以下に実例を挙げる。

実例

スカートをめくる悪ガキ

ぼくたちは勉強ができない170話より

この話が掲載されたのは去年(2020年)のことである。教師である主人公(めくられたスカートを見て顔を赤らめている左の男)の前で行った行為であるが、この後スカートめくりをしたことについて諭すようなシーンはなく、このページの「こら」などというギャグの一環のような描写しか存在しない。
これは明らかに"悪ガキの可愛らしいいたずら"という描写であり、まさに太田弁護士のいうところの「ちょっとエッチで笑えるエピソード」でしかない。

セクハラ親父

ぼくたちは勉強ができない177話より

他人の家庭の性生活に言及するという苦笑いすらはばかれるド直球のセクハラ発言だが、田舎のオヤジの酒の席での冗談というギャグとして描かれている。
(余談だが、この回が掲載されたのと同じ号のジャンプの呪術廻戦では、釘崎野薔薇という田舎から都会に出てきた少女の回想があり、近所の老婆から初潮時に赤飯を贈られることに代表される田舎の緩やかな相互監視社会に批判的な内容だったことから、このぼく勉の描写と妙な対立構図が浮かんでいた。すなわちこれはジャンプの価値観ではなく、この漫画の価値観である。)

女風呂を覗きに誘う友人

ぼくたちは勉強ができない15話より

このあとこの発言が言及されることはない

女湯から下着を窃盗する小学校中学年の双子

ぼくたちは勉強ができない80話より
ぼくたちは勉強ができない80話より

※幼く見えるが本編の5年後のエピソードで中学生になっているので8歳くらいである。

屏風の虎ではないのだ

こういった描写をしてはいけないわけではない。だが白眼視されたりギャグの範疇でしか叱りつけられていないことは、こういった描写を作者は「ちょっとエッチで笑えるエピソード」としか認識していないことを示唆していると言ってよいのではないだろうか。
例えば反省して真摯に謝るような描写があれば何ら問題はないと思うが、そういった描写はどこにもないのだ。
個人的な感想として言うならば作者の倫理観を疑うエピソードのオンパレードだが、これが令和の世に日本一の漫画雑誌に載っていて、アニメ化まで果たした漫画なのだ。
なおその他作者の倫理観はどうなのかと疑うエピソードもあるが、議論が発散してしまうのでここでは性的描写の範疇に留めることにする。
再度繰り返すがこれらの描写をすべきでないとか許されないとかそういったことを言うつもりはない。こういった漫画があるのを前提とした上で、こういうことをしてはいけないのだと言い聞かせるほうが何倍も大切であろう。

またそもそもの話としてこういった描写自体広く受け入れられているわけでもないと思われる。
同時期にやっていたマガジンの「五等分の花嫁」は「ぼくたちは勉強ができない」より性的描写はずっと少なかったが売上は遥かに上回っており、同じジャンプでも最近連載を開始した「アオのハコ」などはほとんど性的描写がないにも関わらず「ぼくたちは勉強ができない」の同時期の頃と比べても売上が上回っている。

実際のところこういった描写は読者からも評判が悪く、読者の多くは好ましく思っていない、積極的に歓迎していないというのが実情だろう。

しかしながらスカートめくりをギャグのように扱う漫画は決して屏風の虎ではなく、今も現実に存在する。
あの記事を批判する立場からしても、その認識は必要だろうと考える。

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