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研修所の言葉

帰国した翌日、私は実家近くの神社にいた。ここには誰も来ない。静かで広くて喫煙所もある。大学時代はよくここに何をするのでもなくお参りにきていた。一昨日までタイにいた感覚はあっという間になくなりそうだ。

日本にも良い所と悪い所がある。

日本にいると街が綺麗なのに驚く。新宿のような都会の真ん中でも空気が澄んでいて心が洗われる。町並みはもちろん、道や店に並べられた物の全てにルールがあってストレスがない。街を少し歩けば、その物が一体どこの誰によって管理され、これからどこへいくのか手に取るように分かる。

日本にいると、喫茶店にいても電車に乗っても、隣で話す人々の会話が耳に入る。友達や家族の噂話、友人同士の恋話、今年一年を振り返る者、好きなアニメやアイドルの話。街を少し歩けば、要らない情報が勝手に入ってくる。一度海外に出ると、この小さなストレスには慣れない。


宮下公園
淀みない人の流れ

残っていた謎

研修所にいた頃、秋のイベントの少し前に、研修所所長ガンさんが私を校長室に呼び出した。京都出身のガンさんは穏やかだが怒る時は鬼のように怒る人だった。多くの研修生がガンさんを慕いながらも恐れて暮らしていた。それまで不思議と私はガンさんに指導されたことはあっても怒鳴りつけられる事はなかった。私は他の研修生を怒るガンさんを横目に、いつか自分も洗礼を受ける、と覚悟して暮らしていた。

そんな状態なので呼び出された時、私は必死に日々の所業を振り返り、足の震えを押さえながら校長室に入った。このブログを書いている今もタイプする指が震えてきた。とにかく私は死を覚悟していた。

研修所の作業場
大学入学後の訪問で撮らせてもらった

「失礼します!!」

ガンさんは椅子に座っていた。
腰掛けたガンさんは宇宙創生以来ずっとそこにいたかのように、その空間に安定して存在していた。

詳しくは思い出せないが確か始めに
「シオは最近どんな感じなんやろ。」
というような当たり障りない質問をされた。
「大変ですが日々努力しております!」
そんなことを私は答えたのだと思う。
正直、恐怖と緊張で記憶が飛んでいるが、ガンさんが空気を和ませようとしていたのを覚えている。

しばらく話すとガンさんは諭すように、よく吟味された語彙と口調で言った。この言葉は日誌に書いていたのもあってよく覚えている。

「シオ、皆んななぁ、どこかで妥協がいるんやと思うわ。」

本当であれば「はい!」と勢いよく返事しなければならないが、唐突なこの指導に私は戸惑った。
「だ、きょう、ですか・・・。」

私は頭をフル回転させてこの言葉の意味を考える。
第一に「真剣さが足りない」とか「努力が足りない」というような指導こそあれ、「妥協が足りない」というのはどういうことか。
第二に私は研修生の中でも特別にストイックな方でもない。気を抜くときには抜いて自分をコントロールできていると思っていた。私がストイックになりすぎていて切羽詰まる様子なら分かるが、そんな事もない。
もっとサボれ、ということか?そんなはずはない。

私の脳は処理落ち寸前だった。

その後、何を話したか詳しく思い出せない。確か「結婚にも妥協がいる」という話を聞いて、「ゆっくり頑張ります!」と返事をして最後を締め括ったのは覚えている。特段怒られることもなく、安堵感と「?マーク」を抱えて校長室を後にした。

佐渡のバスで撮った写真

研修所で得た言葉の中には当時では合点がいかない言葉が多かった。意味が理解できないもの、表層の裏に何かありそうなもの、場面や文脈からかけ離れたもの。これらは在所中に謎が解けたものもあれば、年月を経て意味が分かったものもある。一度理解した言葉が、別の場所から見た時、違う意味になったこともある。

この「皆、妥協がいる」というのは長年謎だったが、タイから帰ってこの意味が少し分かる。

満足する力

自分が行きたかった場所、欲しかったもの。それは手にした途端に色あせてしまう。私はずっとそうだった。ここがダメだから次の場所へ。次もダメ、その次もダメ。私は人並み以上に行動力があるのも災いした。やりたいことがあればどこへでもいってしまう。確かに行先には私が欲していたモノがある。ところが実際にそれを目にして触れてみると、

「なんか違う・・・。」

これが常だった。

頑張って、時には這いつくばって手にした理想が自分の思っていたものと違う。どこまで行っても、明日も明後日も、来年も再来年も、5年後も10年後も幸せになることはない。

私だけではないと思う。自分の夢見ていたものが手に入った時、その輝きがたちまち色あせる感覚は誰にでもあるのではないだろうか。

今回私はタイから日本に帰って、その両国でこの感覚を味わった。タイにいる時は日本が、日本にいる時はタイが恋しい。

いつもの屋台

ガンさんの言葉はきっと「現状の利点に満足せよ」という意味だったのだと思う。研修所での生活を「辛い」「苦しい」とばかり思うのではもったいない。研修所の利点である「楽しいこと」「やりたい太鼓」をとことんやりなさい。そういうことだったのだと思った。

私は今タイの良さも、ネパールの良さも、日本の良さも知っている。しかしそれを手に入れて、どの良さにも満足できないとしたら、この半年は徒労になってしまう。

神社でこれに気付いて、一人で息を飲んだ。







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