高熱を帯びた学級通信

最近の生活で自分は、宮古島に行ったし印象的なライブを見たし誕生日が来たし知り合いが店を始めたしネット詐欺被害にもあった。
と、ありがたい事に「人生の思い出」にスッと仲間入り可能な出来事ばかり味わうことになった。

が、その間ずっと頭の中にカビのように付着し続け、時折現れる厄介な記憶が存在する。

どれだけ目の前が煌びやかでも、ふとした瞬間にその記憶は現れ、そしてまたすぐ消えていく。時間としては僅かなはずなのだけど、その間は視界より記憶世界が優先され、眼前の圧倒的なミヤコブルーすらボヤけた背景になる。
見えることより、思ってることの方が現実になってしまう。

再度書くと、時間としてはほんの僅か。だから「気にすることはない」で解決なはずだが、忘れていた頃に直撃する口内炎のような嫌らしさがそこにはある。口内炎にはトラブル軟膏PROクイックが良いらしいが、記憶のカビがもたらす心の揺らぎに対抗できる薬は「作文」しか自分は知らない。だから今こう文章を書き始める事にした。

上記した、こんなにも書き残すべき(これは「〜べき」を使って良いと思う)思い出があるにも関わらず心のモヤと向き合っていくなんて、相変わらず面倒な感覚を持ってしまった人とは思うが、みんなからの理解を得るより、多少屈折が起きても自分のことを大切にすることを優先したい。

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なんだか随分勿体ぶったような形になってしまった口内炎記憶だが、とある学級通信の中身が衝撃的だったことにある。

仕事柄、様々な学校の学級通信を拝見するのだが、大抵流れ作業の一環でしかない平均化された励ましの文章と近日の必要事項しか明記されてなく(あと脈絡がイマイチわからない名言)、退屈極まれないお便りとなっている。
先生方、ご苦労様です。という気持ちにもなる。

そんな中、例の学級通信に出会ったのは数ヶ月前の冬のことだった。
Do my best!だかWe can!だか忘れたがタイトルが左上に配置してあり、残りは全て手書きで記されていた。初めは手書きの珍しさに目を奪われた。

内容は大雑把に言うと、卒業、受験間近にも関わらず学級の生徒達の生活態度が悪く、それに関して叱咤するという内容だった。

「最上学年としての自覚がー」だとか「受験生としての緊張感が足りてないー」などのお手本の言葉が次々と並び、初め感じた手書きの期待感が段々と薄れ、代わりに「あ〜またこういうやつね」と退屈がたっぷりと湧いてきたのであった。

しかし読み進めると、段々とその文章に異変が生じてきた。手書きの筆跡が明らかに震えているのである。
内容に関しても過激さを増し始め、「長年教員をやってきたがこんなの初めてだ」、「親の教育も問題なのではないか」などの言葉が並ぶ。緊張のあまり読んでいる手が湿ってきた。
中途半端な所で文章は途切れており、「まさか」と恐る恐る裏を捲ると裏面びっしりに続きが記載されていた。

熱量はその後も上がり続け、字は肥大化し、やがて誤字をし、送り仮名も間違える次第にまで到達していた。内容も最後の方はイマイチ要領を得ないというか、とにかく「この教員は今、完全にキレてる」ということしか伝わらなかった。

不適切な発言が沢山あった。字の誤りが酷かった。読みにくい内容だった。教育者としてあるまじき学級通信だった。ただ自分はこの文から強烈な生きている熱を感じた。要は見惚れた。

人は時に「こうあるべき」という漸近線を飛び越えてしまう瞬間がある。
その先にしかない世界がある。その世界から発する信号は時に他人を震わせる瞬間がある。
模範的な秩序の中に絶対的な正解があると考えている人には難しいかもしれない。

「ああしなきゃダメ」が日常的に達成できないはぐれ者は、異常と見なされる外の世界からの声に何故だか安心を覚え、それが当人の困難な生活の息継ぎとなる。

おそらくあの教員は多数のクレームがあの後届いたのだろうが、ここに胸を振るわせた人間がいることを記しておきたい。

まあ正直、その教員からしたらマジでキレてただけなのだろうけど。熾烈な教員生活に本当にご苦労様と伝えたい。

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妙な天邪鬼が騒ぎ、その学級通信を写真に収めることはしなかった。仮説だが、またあの文章に会いたい、そんなことを本能で感じた瞬間、不意に現れているのかもしれない。迷惑だが会いたい。会いたいが迷惑。

さすがに目の前を侵食するのはやめてほしいとは思うものの、出会う度に自分にとって何かしらの心の栄養となっているのだろう。

そしてこの出来事は、このような箱の外からの信号を自分も発することができたらと鼓舞する機能も合わせもっているのだった。キレたくはないけど。

見てくださってありがとうございます。気の向くままにやっておりますが、どこか、何かの形で届けばいいなと考えています。