駐輪場にて

自分の地元の最寄駅は、大雑把にいうと札幌の福住駅になる。赤字化が騒がれている札幌ドームのすぐ近くの駅。
不思議と縁がある地域で、引っ越した今も、仕事の多くは福住駅周辺だったりする。

そういったこともあり、よく福住駅の駐輪場に自転車を停める。そこにはかなりの数の自転車が既に停車されており、どうにか自分の自転車の停めれる場所はないものかと、幅数10センチの隙間を探して彷徨う。

なかなか見つからないと苦悶していると、向こう側に一人のおじいちゃんが見えた。何やら一台ずつ、少しずつ自転車を動かしている。どうやらここの駐輪場を整理する仕事をしている人のようだ。

その方の甲斐もあり、一台停車できるスペースが生まれ、無事自分の自転車を停めることが出来た。
少し気恥ずかしく思ったが、「ありがとうございます、ご苦労様です!」と声をかけた。おじいちゃんは少し会釈して返してくれた。
なんだかLINEのリアクションボタンを思い出した。余計なことをしたかな、と思いつつ、伝えて悪いことではないと正当化して心を鎮めた。

翌日、また福住に用があったので向かうと、やはり駐輪場が埋まっており、彷徨う自分がいて、そして昨日のおじいちゃんが自転車を整頓していた。似たような時間に行くので仕方がないとは思うが、完全に昨日の再放送となった。

やはりおじいちゃんの手柄により一台分のスペースが空き、そこに停めることとなった。

自分は再び「ありがとうございます、ご苦労様です!」と声をかけるか大変迷った。
昨日は伝えたのに今日は伝えないなんて、不義理ではないのかとも思うし、昨日のおじいちゃんの会釈から感じた「いちいちそういうのいいよ」のオーラを尊重し、本日は伝えるのを控えようとも思った。

悩んだ結果、「すみませんありがとうございまーす、ご苦労様でーす…」と小声&早口気味に伝えた。自分はこういうとき、白か黒かハッキリ判断せず、中途半端な行動をしがちだ。おじいちゃんはやはり軽い会釈で対応してくれた。

本当に最悪、と言うと、大変こちら都合で失礼だが、なんと次の日も福住駅に用があり、そしてまたそのおじいちゃんが駐輪場にいたのである。
ただ一つ今までと異なるのは、その日の駐輪場はガラガラだった。

「これはチャンスだ」と初めは思ったのだが、人間不思議なもので、というか自分が天邪鬼すぎるだけなのかもしれないが、何故か吸い込まれるようにおじいちゃんの方へ近づいて行った。

いざ接近すると、当然前日と同じ悩みが発生し、近づいた事を後悔する。さっさと手前の所に自転車を置いてその場を去れば良かったのに。
結局小声でまた謎の感謝を告げ、その場を去ろうとすると「いつもどうも」と返事付きで会釈をされた。

なんだか妙に驚いてしまい、今度はこちらが会釈のみで返してしまい、その場を去った。人間驚くとそういう反応になるらしい。
赤信号で立ち尽くしている間、「向こうもまたアイツだ、とかなってるやつじゃん」などボヤいた。

その後、そのおじいちゃんに出会うことは今の所無い。何度か狙って駐輪場に向かったりもするのだが、欲が出るとダメというか、全く会える気がしない。無造作な大量の自転車があるばかりだ。

肝要なのは、自分はあのおじいちゃんを友達のように感じていることだった。
自己解釈の勝手な話だが、自分とおじいちゃんは「わかり合えた」感覚があった。当然年齢も、名も知らない同士ではある。やりとりも挨拶程度でしかない。

生まれてから、数え切れないほどの人と接してきて、その度にその人と自分の心の距離の乖離に絶望したりする。そんな中、「この人とは心が合ったかも」という期待感は生活を前向きにさせる十分な力を持っているような気がする。実際自分はしばらく浮き上がった気持ちになった。

「通じ合えるかも、友達かも」というのは職場でもネットでも創作の中でも、どういう所にも潜んでいるものなんだと思う。自分は今回駐輪場だった。

見てくださってありがとうございます。気の向くままにやっておりますが、どこか、何かの形で届けばいいなと考えています。