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40歳を機にテレビマン人生を振り返ったらナイナイ一色だった

「俺、ナインティナインが好きだなあ」

はじめまして。
自己紹介よりも先に、心の声が出てしまった株式会社シオン 17年目の冨田です。
現在はテレビ番組の演出・ディレクターとして「ぐるぐるナインティナイン」などを制作しています。

弊社で「シオン公式note」を始めるにあたり、TVディレクターとして、自分は何を書こうか?

noteのネタ探しをしているこの頃、実はぐるナイの編集真っ最中。
長年担当している「ゴチになります!」はシリーズを重ねる毎にどんどん面白くなっている様に思う。そして編集が完成に近づくといつもこんな気持ちになります。

「この放送がもうすぐ世に出るんだ。ワクワクするな。」

正直、40歳にもなって、自分がこんなにもワクワクした人生を歩むとは、想像もしていなかった。
そして無事OAを見届けた日の夜、noteを書き始めることにしました。

テーマは「テレビマン人生」

ここまでワクワクし続けられた、今までのテレビマン人生を振り返ってみようと。
今年40歳にして、人生初の振り返り。

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▼テレビ業界を目指すきっかけ

私がテレビ業界で働きたいと思ったきっかけは実に単純

「ナインティナインに逢いたい」

どれ程好きだったかと言えば、
土曜の夜、めちゃイケで腹を抱えて笑い、
日曜の朝、めちゃイケロスで食欲がなくなる、そんな10代。
ヨモギダ少年愚連隊の時なんかは、録画したV H Sがすり減るほどロスが長かったのを今でも憶えています。

21歳の春。
世の中で就職活動が始まり、友人がどんどん一般企業にスーツを着て向かう中、自分は、どうしたらナインティナインと一緒に仕事できるのか?
そればかりを考え、結果としてやった事といえば、ナイナイの番組のエンドロールを、一旦停止してチェックすること。そこで目に止まったのが、当時からぐるナイを制作していた「シオン」という会社。
今、私が17年ほど勤務している制作会社です。

シオンのH Pを覗くと、「新卒募集」の文字。
私は翌日スーツも着ず、名古屋からシオンを目指し東京へ。
新幹線の車内で、ふと、決められた枠にハマった履歴書だけでは手持ち無沙汰に思い、面接前に、なぜか漫画喫茶でナイナイへの熱い想いをワード3枚ギッシリ書いたのは若かりし頃の記憶です。

結果としてご縁があり、2004年、シオンに入社することとなりました。

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▼憧れのナインティナインと出会う

4月に入社すると、番組配属先の発表がありました。
漫画喫茶で書いた熱意が届いたのか、社長が粋な計らいを。

配属先は、当時、弊社が制作していた日本テレビ「ナイナイサイズ!」
毎週土曜23:30〜放送されていたナイナイのトーク番組です。
初めてふたりを生で見た時、ゲストの女優さんよりも輝いて見えました。

矢部さんへの挨拶は、今でも鮮明に憶えています。

緊張で、鼓動がこれでもかと脈打つ中、収録後の楽屋へ。
弊社の取締役から矢部さんに
海野「やべっち、新しく入った1年目のADです。」
矢部「めっちゃジミーちゃんに似てるやん!」
自分「(よろし・・・えっ、ジミーちゃん?)」
矢部「ジミーちゃん、やってる?」
自分「やってるやってるー!」

つい1ヶ月前までテレビで観ていた、憧れの人との最初の挨拶で、まさか自分がジミー大西さんのモノマネをするなんて一ミリも想像してませんでした。
中学時代からあだ名がジミーちゃんだった私ですが、それを一発で見抜く矢部さんは、当時から洞察力がスバ抜けていました。

対照的に、岡村さんとの挨拶はあっさり、でも丁寧で優しい声。
岡村「お願いしますね」

学生時代、ずっと憧れだったナインティナイン。
その日、帰宅してもニヤニヤが止まらなかったのを憶えています。

▼矢部さんから貰った一言

こうしてテレビマン人生のスタートを切り「ナイナイサイズ!」で3年間ADを経験。そして4年目、26歳で念願のディレクターに。

初めて任されたのは、収録中、カンペを出しながら進行するフロアディレクター。
しかし、経験浅く焦る私は、進行が台本から外れるだけでテンヤワンヤ…バラエティでは突発的に、台本にないことが起こることが一番面白いのに。

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毎回、収録の度に焦り、周りに叱られ、中々うまくできない時期が続いたある日の収録後、矢部さんに楽屋に呼ばれたのを、今でも覚えています。

「ジミーちゃん、収録中もっと俺の目見た方がええよ」

・・・目を見る???

その言葉には、こんな意味がありました。
収録中はタレントとの呼吸が大事。目を見る事で、いま何を求めているのか?意思疎通され感覚で動ける様になるよと。

その言葉をきっかけに、収録中アイコンタクトも増え、回を重ねるごとに、自然と焦りも減り、むしろ、バラエティのライブ感を一番間近で体感できるフロアディレクターを楽しめるようになっていきました。
ディレクター1年目に、この言葉を貰えたことは本当に感謝です。

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そして、ディレクターとしてこれからという時にナイナイサイズ!番組終了の一報が入りました。

「ああ、もうナインティナインと一緒に仕事できないのか。」

と、かなり落ち込んだ記憶があります。
結果として、翌月すぐに「ナイナイプラス」という新番組が始まったんですけどね。笑
ありがたいことに、この番組で約3年間、ディレクターとして色々な経験をさせて頂きました。

その後、様々なご縁があり、現在はぐるぐるナインティナインで10年以上に渡り、演出・ディレクターをしています。

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▼私がテレビ業界で働く理由

こうして、40歳にして初めて振り返ってみると…
私のテレビマン人生には、常にナインティナインがいました。

A D時代から現在まで、1日としてナイナイの番組から外れたことがないんです。
ここまでくると、ナイナイと仕事することが生まれる前から決まっていたんじゃないかと思ってしまいます。
本当に恵まれたテレビマン人生です。

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このnote記事で私は何を伝えたいのか?
それは、テレビマンとして過ごす人生がとても濃厚だということかも知れません。

私が今までずっとTVディレクターを続けていること。
17年間もシオンで働いていること。
それはテレビマンである自分の人生が、刺激に満ち溢れているからなのだと思います。

あの時、エンドロールを停止してチェックしていなかったら…
目に止まった会社がシオンでなかったら…

そんなことを今、ANNを聴きながら振り返っています。

この先、またnoteを書く機会があれば、岡村さんとパリでフランスパンをひたすら食べるだけの海外ロケや、矢部さんと荒波の雪国で演歌を歌うトラブル三昧のロケなど、ディレクターとして思い出深い経験を書き留めていきたいと思います。


テレビマンである限り
人生のワクワクは尽きない。


株式会社シオン
上席執行役員・演出
冨田大介​
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