女神に推されるための、たった一つの冴えたやり方
<前回までのあらすじ>
アイドル小説家に道を照らされ、本当に作家となってしまったぼく。沈鬱な2020年を迎え、アイドルグループのバースデーライブに励まされることで元気を取り戻すが、それ以上に世界はその輝きを失っていっていた……。
※一連の記事は下記マガジンに束ねています。https://note.com/sionic4029/m/mae74d1eb6131
世界中の隣人が照らされた日
2020年5月25日。かねてからのコロナウィルス禍により発令されていた『緊急事態宣言』が全国的に解除された。しかし、祝えるような雰囲気ではない。人間はウィルスに勝ったわけでもなんでもない。
慎重に、慎重に。他人とすれ違うこともはばかられ、距離をとるようになった。店員と会話するのにビニールカーテンを隔てるようになった。あるいは、乗客のいる電車ではマスクをして、風のある屋外ではマスクを外すような小手先のテクニックを覚え、人類が少しだけ賢くなったかに見えた。でも、諦めてしまったのか、見かけた居酒屋ではビニールカーテンも無く、満席の客たちもマスクをはずして談笑していた。
ウィルスは何一つ人間に対して手を緩めるようなことはない。ただただ自分の遺伝子を転写しては組み換え、増殖していく。地球上にその系統の遺伝子を持ったものの数の多さを競うゲームをしているかのように、昨日の生活へ戻りたいと思ってしまうような人類とはまったく逆のやり方で、昨日と今日の同一性にこだわることもなく、仲間を増やしていく。
街に人が溢れた後はまた、病魔に苦しめられる人が増えてしまうのだろう。
同日、乃木坂46の新曲ミュージックビデオ『世界中の隣人よ』が公開された。「リモート生活」の中で、個別の映像をリレーのように繋ぐ。
いままさに孤独と対峙し、あるいは人の命を救うために最前線で不眠不休の活躍をしている人へのエール。現役メンバーだけでなく卒業生も参加するという“最大戦力”で、この地に這う人を照らす女神達の姿。
かずみんはそのシーンの中で、やはり誰かに何かを伝えるためだろうか、キーボードを叩いていた。
女神たちが照らせども照らせども、この病魔は恐ろしく。人が鼓舞され、奮い立ってしまっては、余計に拡大してしまう。ちょっとした外出許可のような政府からの解除告知にぬかよろこびするわけにもいかない。この三ヶ月の静寂から、経済打撃による緩やかな死が、世界を包み始めていた。
地を這うくらいなら、立つ
人と人が寄り添い、息を殺さなければ生きていけないという日々に、『世界中の隣人よ』は優しく響き渡る。
ぼくを突き動かしたのは、そのやわらかな、光。いつまでも照らされっぱなしでは、またいつか、かずみんに会ったときに顔向けできない。
人生のなかで、未来にこそ紡ぐべき物語だと思っていた東京都知事選。「NovelJam2018秋」に参加した頃は、10年後だと思っていた。小説家としてデビューした時は、さらに4冊書いて、文芸賞を獲って、そこからだと思っていた。
……ぼくには政治がわからぬ。けれど誰かの光となれるのなら。
誰もが地に這いかねない疫病の世で、道を切り拓けるのなら。
立つしかない。
そしてぼくは、生まれて初めて「帯のついた札束」を3つも携え、九段の法務局へと託し、選挙管理委員会から受け取った大量の準備書類と格闘しはじめた。錚々たる面々と鎬を削る、首都の頂上決戦へと飛び込んだ。
願掛けは乃木神社へ。乃木希典については、夏目漱石の「こゝろ」でかろうじて知っているレベルで、政治的にも宗教的にも何を共感しているわけでもないが、人が人を照らし、それ故に祀られたというならそれは一つの「形」なのだろう。
それから、いろいろなメディアからの質問状が毎日のようにメールで届くようになる。候補者の人となりを浮き彫りにしようと、政策以外にも色んなことを訊いてくる。好きな本、好きな曲、好きな映画……そんなことを訊かれたら『トラペジウム(高山一実・著)』と答えざるを得ないではないか。
途中、単身での活動に気ばかりが張ってしまい疲れを感じることがあった。そんなときに限って、インスタライブ、Weibo配信…リアルタイム動画でかずみんの姿を観ることができた。
いまや「会える」はずだったアイドルは、会えない、握手会もない、コンサートもない、テレビもリモート収録と、考えてみれば半年前に比べて随分と活動の不自由を強いられている。そんな中でもこうしてファンに光を届けようと努めている姿に励まされ、何度倒れても立ち上がろうという勇気が湧いてくる。
大祓の日、再びぼくは乃木神社へ赴き、茅の輪をくぐった。それから乃木坂46発祥の地である乃木坂をのぼったあたりにある掲示板に選挙ポスターを貼る。最後までどうか、駆け抜けさせてください。
七夕の僥倖
7月5日。投票そして開票。結果は20,738票。現職そして政党の推薦や団体からの支持を受けていた候補たちには遠く及ばなかったが“たった一人での活動にしては”という注釈つきで、知人は皆、驚きとともに善戦への賞賛を送ってくれた。今回の選挙戦で不満があるとすればただ一点、毎度選挙のときに放映されているテレビ東京の「池上彰の選挙特番」が無かったことくらいだ。
明くる日、そもそも体力に難のあるぼくは、机に突っ伏していた。一ヶ月の戦いを振り返るような心の余裕もなく、ただただ抜け殻のように惚けていた。
アイドルも投票に行ったりするのかな。ふとそんなことを考える。ぼくの名前、書いてくれてたかな。かずみんがもし一票投じていたのなら、元気100倍なんだけど……。
そこまで妄想して、突如として思考に壁が立ちはだかった。
かずみんの出身地、千葉じゃん!!!
住民票をわざわざ東京へ移しでもしていなければ、東京都知事選への投票権は……当然のことだが、無い。
「推しに推される」ことの、なんと遠いことか。太陽に近づこうとしたからだろうか。こうして抜け殻にかろうじて生えていた蝋の翼は溶け落ちた。気を失い、気づくとさらに翌日になっていた。
七夕。それは天の川に隔てられた愛しあう二人が、年に一度出逢える日。ぼくの家のチャイムを鳴らすのは佐川急便。
届いたのは……
そう。昨年末に開催されていたスマホゲームのイベント上位特典「直筆サイン&宛名&メッセージ入りカード」だ。特典配送がコロナ禍によって遅れに遅れ、このタイミングでぼくのところへやってきた。
何度でも言うよ、おれ、“持ってる”な。
かずみんが投票用紙にぼくの名前を書いたかどうかは、ぼくは知らない。けれど世界に一つだけの、かずみんによってぼくの名前が書かれたカードが、いま手の中にある。
……ねえ、かずみん。ぼくは今回の選挙戦で、誰かを照らすことができただろうか? できることなら、人として、地を這う者だとしても、これからも人を照らせるように生きていきたい。
その道はきっと険しく、年月もかかるにちがいない。それまでずっと、女神たちに『世界中の隣人』を照らし続けてほしい、ぼくの道を照らしていてほしい。それは傲慢な願いだろうか?
(まだまだ続きます、きっと……)
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※この物語はフィクションです。
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