女神の色、彼女の色
<前回までのあらすじ>
アイドル小説家に道を照らされ、本当に作家となってしまったぼく。アイドルと同じ地平を眺めたい一心で、陰鬱とした時代を乗り越えようともがいているうちに、推しの「かずみん」がグループからの卒業を発表してしまう……。
※一連の記事は下記マガジンに束ねています。https://note.com/sionic4029/m/mae74d1eb6131
※記事中のリンクにつきまして、メンバーのブログは卒業後に数週で非表示処理される慣習のため、本記事を読んでいるタイミングによってはリンク切れを起こしている恐れがあります。
気配と正座
2021年7月22日、東京オリンピック開催の前日だった。もしオリンピック開会式とカブっていたり、オリンピック開催後だったら、それこそ新型コロナウィルス蔓延への懸念を押して開催されたビッグな国際行事の話題に掻き消されてしまったかもしれない。
今年から常設されていたYouTubeの『乃木坂配信中』チャンネルでは、テレビ番組『乃木坂工事中』の見逃し配信や、独自企画の映像がコンスタントにアップロードされていた。そのチャンネルで特別企画として『乃木坂46分TV』が配信されることになった。
事前告知では、テレビ番組同様の楽しいコーナーだけでなく、かねてから話題となっていた「5期生オーディション」のことにも触れられるとのことで、ファン必見の内容であることを窺わせた。
ぼくは各種の動画配信を満喫できるようにテレビにFireTVを繋いで使っている。地上波のテレビ番組でゲスト出演する場合、アイドルはどうやっても申し訳程度に画面隅に表示されるワイプ枠に押し込められてしまう。だが、配信なら別だ。ギャラの高い芸人MCばかりが映るなんてことが無い。
そして番組は始まったが、出演者の中にかずみんはいなかった。
ひととおりバラエティ番組然としたコーナーが続き、番組のタイトルどおりの46分が過ぎた。司会の梅澤美波と久保史織里が神妙な面持ちになった瞬間、画面のこちら側にも尋常ではない空気が漂ってくる。
普通の人には信じられないだろうが、そういう空気って、わかるものなんだ。
ぼくは、テレビの前に正座した。
来るべき日が来てしまった。いつかは立ち会うことになるとわかっていた「推しの卒業」宣言。
緊張で喉が渇いてしまっているのだろう、途切れ途切れになりながらも、一つ一つの言葉をしっかりと伝えようとするかずみんの姿がそこにはあった。
「次のシングル、28枚目シングルをもちまして、私は、乃木坂46を卒業します。10年間、支えてくださった皆さま、本当にありがとうございました」
配信が終了し、そしてそのままぼくは床に転げた。
高山一実に関しまして
2021.07.23
高山一実ですが、先ほど公式YouTubeチャンネル「乃木坂配信中」の生配信「乃木坂46分TV」内で発表させていただいた通り、28thシングルの活動をもって乃木坂46から卒業することになりました。
今後とも、高山一実と乃木坂46の応援のほど宜しくお願い致します。
(引用元)
https://www.nogizaka46.com/news/2021/07/post-464345725.php
ネガピース
一足早く8月に卒業した大園桃子は、出身地に近い福岡公演二日目に、卒業セレモニーが行われた。かずみんも予定通りなら東京ドーム公演にあわせて卒業記念のステージが行われる。
東京ドームのスタンドを、かずみんのパーソナルカラーである水色とピンク色のペンラで、サイリウムで、ファンとともに埋め尽くしたい。祝花も、これを最後と盛大に送りたい。
けれど、新型コロナウィルス対策に決め手を欠く政府から垂れ流される「緊急事態宣言」は延長に延長を重ね、公演も延期が発表されたまま今ひとつ日程が定まらないでいた。
卒業することは決まってしまったのだから、それについては何も言うまい。だが、全力で送り出せない日々が続くのは、これはこれで恨めしい。
悶々とする中、かずみんから送り出されるブログやSNSの中には、卒業やその後の仕事に前向きのようでいて、その端々で10年の日々で積み重ねるべきだった理想と、現実の位置とのギャップに悩む姿が垣間見られた。
来月でちょうど10年が経つのですが
9年半あたりで察するわけです。
「やりきったーー完走したーー」
なんて、私には一生言えないなと(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
ダメダメ人間は
しばらくアイドルをやってても
何も極められなかったのです。
(引用元)
https://blog.nogizaka46.com/kazumi.takayama/2021/07/062603.php
それに伴い「9月いっぱいで」と
お伝えしてた卒業も
少し延びることになりました。
「なんだよ!いるなよ!早く辞めろよ!」
と思った方もいると思います。笑
すみません、、、
(引用元)https://blog.nogizaka46.com/kazumi.takayama/2021/08/062846.php
卒業して3年後に情熱大陸出てるのすごいな〜 私の3年後は…しょぼいだろうな(´口`) しょぼいって久しぶりに使った〜
私なぁちゃんみたいに体力も人気もルックスもないけど、何かを頑張ってたいよ! とにかく凄かったです 今、見れてよかった〜
#情熱大陸
(引用元)
https://7gogo.jp/takayama-kazumi/1431
日本一有名なアイドルグループである『乃木坂46』の一期生として10年活動し、シングル曲では28回連続で選抜入りをし、紅白歌合戦もレコード大賞も獲り、数多のテレビ番組に出演し、出版した小説が27万部(※)という実績があっても、アイドルとしては「辿り着けていない」この満ち足り無さ。
(※註:ハードカバー、文庫の合算。とはいえ、そのへんの受賞作家でも27万部を売り上げることは大変に難しい)
確かに、テレビを観ていて「これだけ有名でも、アイドルっていうだけでその扱いなの?」と感じることがある。
逆に、これまで卒業していったメンバーの中には「卒業してむしろ良かったんじゃないの?」と思える”その後”を過ごしている人もいる。
アイドルでいられるうちに、アイドルを極めたい。それなのに、もうアイドルではいられなくなる、その期限が迫ってきているとしたら。
日本一のアイドルグループの中にいても、明日卒業してアイドルグループの一員じゃなくなる身に、何が残っているものなのか。一寸先は闇とまでは言わないが、五里霧中なんじゃないかとその先がわからなくなる。そういう気持ち。
誰かと比較をしても意味の無い、自分だけがジャッジできる自分の価値。こだわりが強ければ強いほど、ある。
それをぼくは知っている。
ぼくはゲーム業界に18年いる。でも見事なまでに「代表作」に恵まれなかった。いや、「なくはない」。著名タイトルのナンバリング作品でディレクターもしたし、世界で600万ダウンロードされている据え置き機用のゲームにも関わったし、現場に任せきるようになるまではつい先日まで年間で乙女ゲームのシナリオを何百万字のレベルで編集して送り出してきた。世界で賞を獲ったテレビ番組の連動ゲームコンテンツのディレクターもやった。
この一連のブログを読んでいる人なら、それらに加えて、ぼくがかずみんというアイドルから照らされたことで、同じ地平が見たくて作家となり、アイドルと政治家は握手をする職業という点では同じとばかりに都知事候補になったことも知っていると思う。
普通の人からしたら、てんこ盛りじゃん、と。
何者にもなれない悩める若者からしたら、充分足跡は残せていっているじゃん、と。
違うんだよな。全然。そういうことじゃない。
10年やろうが18年やろうが「世界の"そこ"に、自分がいない」んだ。そう思っている以上、ぼくにゲームクリエイターとしての「代表作」は無い。
かずみんが「何も極められなかったのです。」と書いたときの表情は、自分への「しょうがないなぁ」という自分の人生を肯定する気持ちからの笑みが大半でも、もっとよく歩めたのではないかという後悔と、より力を出せていたとしても徒労の確率が上がった(=歩留まりが悪くなる)とシミュレーションできる賢しらと、次の10年で咲く花もあるという可能性と、ない交ぜになっていたと思う。
ただのファンの妄想かもしれない。ぼくとかずみんがきっと同じ心象風景であると信じたい、シンパシーをもって繋がりたい、そんなところから来るこじつけかもしれない。
でも何か、手にしたものの大きさはある(あった)のに、若さと体力だけを失ってしまったと思えてしまったような、
みんなは「見えているよ」と言ってくれるのに、自分は何者にもなれていない、相変わらずの透明人間であると、俯いてしまうような、
そんな瞬間があったんじゃないか。
誰かの色
それからしばらくして、卒業ソング『私の色』が発表された。近日発売の最新シングルに収録される。
卒業メンバーがソロ曲の収録にあずかり、そのメンバーの世界観に合わせたMVも作られるのは、もはや恒例行事。
初放送はラジオだった。オールナイトニッポンの乃木坂枠である水曜日の深夜に、曲は二度、流れた。その二度とも、彼女本人による曲紹介は噛み噛みだった。かずみんらしいな、と思いながら耳を傾ける。
なんだかおすましをした歌声で、かずみんの声じゃないみたい。
例えば『やさしさなら間に合ってる』で、例えば『偶然を言い訳にして』で、例えば新しめの曲なら『全部夢のまま』で、
耳にしたのがワンフレーズだったとしても「あ、かずみんが歌っている」とわかったのに、不意打ちでこの曲を聴かされたら、誰が歌っているのか、きっと、わからない。
それが、「もう卒業してしまう」ということなんだ。
彼女の卒業後、どこかの街ですれ違っても、変わってしまった色に、誰も気づかない。でも、颯爽としている。そういう歌声。
アイドルとしての最後の記念碑は、卒業したその後は、何度も眺めるものじゃない。
でもまだ、ぼくは道を照らしてほしい、照らし続けてほしいと、おもった。それは叶えられることのない、贅沢な願いなのだろうか。
ラジオ放送から1週間経って公開されたミュージックビデオも、かずみんらしかった。
結婚式なんていうド定番のシチュエーションなのに、彼女は新郎新婦すなわち主役には据えられなかった。
偏見だけれども、往年のアイドルファンなら「アイドルのウェディングドレス姿」への憧憬は気持ち悪いくらいにあるものだろう。生涯をアイドルと添い遂げたいというファンタジーの集大成。
そんな「バカバカしいほどの王道」という夢さえ、かずみんの10年を演出する上では用意されなかったんだなと、そう思った。
映像に描かれたかずみんは、友人としてスピーチをし、写真を撮ろうとする同級生に場所を譲り、余興に大笑いしてうるさいくらいに手をはたき、集合写真も右の後ろの一番はじっこ(※)で、二次会で疲れて眠る友人にそっとカーディガンをかける。
(※註:かずみんは、シングル曲のフォーメーションでも三列目の一番右をあてがわれることが多かった)
挟み込まれるVTRカットの数々が、脳内に仕舞われていた記憶を呼び起こす。映像の中の彼女が思い出しているのか、ぼくが思い出しているのか、わからなくなる。
何度も歌詞に「私の色 何色だろう」と出てくる。サビだから執拗なまでに繰り返される。
作詞家は、プロデューサーは、残酷だ。
でも、ファンは、ぼくは、目に見える色、色鉛筆のケースの中からこれであると常に一本手に取れる色、そんなわかりやすいものを推しているわけじゃぁない。
まばゆいばかりの光に、人を照らすその光に、色なんかついていない。
すでに公開されていたシングル表題曲『君に叱られた』のMVで、かずみんは物語の中には登場せず、メタ的な、物語を記して主人公・センターである賀喜遥香の飛躍を夢想してペンを置く。そういう存在として描かれていた。
ぼくはまだ、ペンを置くわけにはいかない。
Next...
※この物語は、フィクションです。