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どうしようもない僕に女神が降りてきた

<前回までのあらすじ>
 アイドル小説家に道を照らされ、本当に作家となってしまったぼく。感謝の気持ちを伝えたいと、アイドルの登場するスマホゲームで1位になり、握手会へ参加し、新作小説も書き上げるが、年が明けるとそこには陰鬱な世界が忍び寄ってきていた……。

※これはコロナ禍が日本で本格化する少し前の話です。
※一連の記事は下記マガジンに束ねています。https://note.com/sionic4029/m/mae74d1eb6131

いつだって年末年始はグズグズ

 2月は特別な月である。2月8日は“かずみん”のバースデーだし、2月22日は乃木坂46のバースデー(1st.シングルが発売された日)だ。

 ところがその大事な2月だというのに、この2020年、公式サイトの「スケジュール」ページで絞り込み機能を使うと、かずみんはラジオのレギュラー出演が1回だけで、あとは空白なのだった。

 当然、毎週の『乃木坂工事中』には出演しているのだけれども、録画放送だろうし、それ以外でなかなか観る機会がない……

 予想できるのは、テレビやラジオのゲスト枠のうち「乃木坂46」に割り当て可能なのは一定数であり、それが映画『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』の公開をひかえた白石麻衣で埋められたことで、他のメンバーが何らかのゲスト出演をする機会が少なくなってしまった、ということだ。まあ、それは仕方ない。

 白石麻衣は”希代の”トップアイドルだ。年初の衝撃的な「卒業発表」で世界は震撼し、恐れおののいた。映画公開とともに、出られる枠は全部出る、これは本当にアイドルのセカンドキャリアを考える上でとても大切なことだ。

 そんな中、白石麻衣含めたメンバーは2月21日から4日間に亘って開催される『乃木坂46 8th YEAR BIRTHDAY LIVE』の練習に余念がないと考えられる。何しろ199曲、全曲披露と銘打たれている。真夏の全国ツアーと同様これも「手に入らないチケット」として有名だ。

 ぼくもチケットを手に入れることができず「チケットが手に入ったにしても、ナゴヤドームまで遠征するのはキツいしな。体力ないし」と自分に言い聞かせるようにして諦めていた。行かない上に花も贈らない。ダメじゃん。

 そう、ダメだったのである。

 正直のところ、年初からのぼくは低調であった。年末年始にあろうことか風邪をひいてしまい、治ってさらに味覚がおかしくなったのをずっと引きずっていた。左肩から左腕の痺れもそのまんまだ。

 不思議なもので、食に関する部分が壊れると、人生も不満だらけになる。いや、たぶん人生の不満はひごろから数あれ、それを食というこの豊かな日本ですぐに満たせるやつでバランスをとっていただけなのだろう。これはきっと歯を悪くしても同じようなことが起こるに違いない。

 あんなに焼き肉やラーメンが好きだったのに、脂がグリスのように舌にまとわりつく「感触」だけがして、まったく旨さを感じなくなってしまっていた。魚はどうかというと、これもまた難しい。肉のような脂の不快感こそ無いが、無味なのだ。飲み物も、舌の上に舗装道路ができたような感じで、スッと喉まで通り抜けていくが、それが甘みなのか何なのかを感じられるのは中央の道をちょっと逸れた舌の両脇だけだった。

 それだけではなく、高校時代から学生時代にかけてミュージシャンとして目標にしていた槇原敬之が、21年振り2度目の逮捕という報道があったことも心情に与えた影響は大きい。(当時、同じ大学・同じ学部を受験して入学し、在学中に留年続きの槇原氏の学年を追い抜いてしまった……)

 そういうものをひきずって日々を過ごしていたから、何かやっているようで何もやっていないような、そういう虚無感に苛まれていた。

青天の霹靂、突然の名古屋

 発売された去年の『7th YEAR BIRTHDAY LIVE』のディスク視聴を毎日少しずつ進める。1枚に200分以上。それが4枚と特典ディスクが1枚。これは中々長い道のりだ。

 けれどそこに映るのは「1年前」の女神たちなのである。これはかつてぼくを照らしてくれた1年前の姿……。

 今、今こそおれは光を浴びに浴びたいんだ!

 もだえていると、朗報は突然やってきた。

 『機材解放席の販売を開始しました』

 メールマガジンに書かれていたその一文。噂には聞いていた、機材解放席。ライトやカメラその他現場の機器が設置された後、空いた箇所がシートになる。機材は会場のドーム内各所にあるはずだ。運が良ければいい席で観覧できる可能性がある。ステージバック(まさにステージの裏で音とビジョンでしか観られない)を買うよりもよい選択のはず……。

 一縷の望み。30分後には、「2日目」のチケット発券をコンビニで済ませていた。2月22日。まさに「乃木坂46のバースデー」のチケットである。

 さて、席は……。5階席、スタンドの一番後ろ側のエリアか!?

 ナゴヤドームはデカい。5階席ともなると、水平距離だけではなく垂直方向にも遠い。立体的に遠い。

 いまのもやもやした心情、推しであるかずみんへのぼくのパワーの減りよう。彼女の直近スケジュールの少なさ。掛け合わさったかのような距離。

 球場の公式サイトで席位置を検索すると、どの場所か、どんなふうに見えそうか、というのが図示された。あえてビジュアルで確認するなどマゾヒスティックな行為をしてみたくなったあたり、気分的に自傷行為だ。

……え、ど真ん中じゃん。

 5階席であったが、中央であった。そう。直線距離でも一番遠い。かずみんがどんなにステージ上で輝いても、その光が届くのか届かないのか。きっと豆粒みたいにしか見えないかもしれない。

 だが、席位置のビジュアルはぼくを傷つけるには及ばなかった。

 真ん中の一番後ろでしょ。ワールド・イズ・マイン。全て掌握しろって話。腕組みでもしながらどっかりかまえて、アイドルを、ファンを、ドーム全体を、この目で見届けてやろうじゃん。

 いやおれ、めっちゃポジティブ。

こんにちはナゴヤドーム

 その土曜日。品川から新幹線に乗ったぼくは、一路名古屋へと向かった。なんとその車中で、4日目のライブビューイングのチケットの購入が通ったというメールが来た。抽選になるんじゃないかとヒヤヒヤしながらも申し込んでおいたのだ。いける。この連休は、アイドルのために捧げよう。

 ホテルに荷物を置き、ナゴヤドームへ。写真撮影禁止のためどういう場所かは想像してもらうしかないのだが、ステージから「一番遠い」その席にぼくは陣取った。すると隣のファンが「案外よく見えますね、この場所」と話かけてきた。ぼくはあまりコミュニケーションが得意ではないので、「ええ、そうですね。よかった」などと相づちを打った。

 彼のペンライトには「衛藤美彩」と書かれていた。そうか……卒業直後に結婚というスピード展開をファンとして駆け抜けた猛者か……その名入りペンライトを片手に、もう片手には2019真夏の全国ツアーのペンライト。

 ……そう、片方が去年のツアーのペンライトというのは、ぼくと同じ装備だ。

 曲目は↑のとおり。隣の彼が「はいせーの!」とコールの頭出しができる人だったのがとても助かった。曲によって変わる編成や演出に「ここでこうくるか~」という独り言も、ぼく、同じこと思ったよ。

 そしてかずみんセンター曲の『泣いたっていいじゃないか?』が流れる。

 199曲分の1という確率で、彼女のセンター曲にめぐり逢った。

 何度でも言うよ、おれ、“持ってる”な。

(4日間なので約200曲のうち1日あたり50曲くらいが上演されるのだから実質4分の1では?というまっこと正しいツッコミは野暮というものです)

『泣いたっていいじゃないか?』の歌詞に「落胆に慣れながら逞しく生きるのが人生だ」という一節がある。「大人になったって悲しいことはある」のだと。

 でも、ぼくは思う。「大人になることが忘れていくことなら ぼくはいまのままでいたい(槇原敬之『Witch Hazel』)」と。

 その後も、会場の一体感に包まれ、何度もオーロラビジョンに映し出されるかずみんに手を振り、水色と桃色のペンライトを振っていた。何日か前まで、名古屋なんて無理だ、体力もない、諦めようと思っていたはずなのに、ずっと振っていた。

 閉幕。

 アイドルが元気でよかった。そして、ぼくも元気をもらった。

 ホテルの部屋に戻り、この2日目のセットリストをiTunesのプレイリストに入力した。何度も何度も、この三時間半の饗宴を思い出したいと思った。

 翌日はそれを聴きながら午前中の新幹線で東京へと帰り、そのあと映画『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』を鑑賞した。無かったはずの体力はどこからか出てきた。

 白石麻衣があらゆるテレビ番組にゲスト出演して宣伝した映画だけあって、体当たりの演技も大変に良かった。前作もスクリーンで観たクチなので、今作も満足であった。

 振り返れば体調もずっと低調であったとはいえ、今年に入ってからなんだかんだと週末には必ずといっていいほど映画を観ていた。映画館に足を運べない時はオンデマンド配信を使っていた。

 根底には、物語を生業とするぼくにとっての「インプットを欠かすことへの恐怖」が存在する。それは人生に対して、コンテンツで食ってくということへの矜恃でもある。手足をもがれてもインプットを減らしてはならない。

 なんだ、それなりに這いつくばっても、生きようとしてたんじゃないか。

 光で照らされてはじめて、自分の足元に影があることを、生きている証拠である「影」の成りを、知ることができる。

 そして迎えた4日目。最寄りの映画館で「大まいやん祭」と化したライブを体感する。暖冬ではあったが、でも、もう冬も終わりだ。

 うん、いつかは冬は終わり、花が咲き、春というものは必ず来るものだ。

 そんな楽観は、長い地球の歴史の中で、生物の淘汰の歴史の中で、意味のないものだ。自転や公転や海流なんかで、温まったり冷えたりと攪拌される世界のごく一部の時期を、人間が勝手に「春」などと呼んで、浮かれているだけのことだ。

……そして、世界は新型コロナウィルスによる災厄に包み込まれてしまった。推しを推したくても推せない時代が来るなんて。光に、その手に、触れることまかりならない時代が来るなんて。

Next...

※この物語はフィクションです。

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