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指一つの距離感(『アイドル失格(安部若菜・著)』感想)

 ぼくは他人の書いた小説や物語文を読むのに難儀する。発売日に買ったのに読み終わったのは今日のことで、他の本ならまだ読み終えていないか最悪挫折して積んでしまったおそれもある。

 じゃあどうして読み切ることができたか。それはほかでもない、現役アイドルが「アイドルとファンのこと」を描いた小説だからだ。

 それに、曲がりなりにも商業作家をやっているぼくが他の作家による小説を俎上に載せ、感想をブログに書くなんていうのはかなり気が引けることなのだけれども、それでも書かんとするのは、読み切ることができたのと同様の理由だ。

 ご存じのとおり、ぼくはアイドル作家と同じ地表を眺めたくて本当に作家になってしまった人間だ。

(ご存じじゃなかった人は反省とともに下記リンク先の過去記事を読んで頂戴)

 なので、この『アイドル失格』については読まざるを得ないし、書かざるを得ない。

アイドル小説には何が書かれているのか

 近年において現代的なアイドルを扱った小説に『トラペジウム(高山一実・著、2018年)』『武道館(朝井リョウ・著、2015年)』が挙げられる。人によっては漫画『推しが武道館いってくれたら死ぬ』『推しの子』『神クズ☆アイドル』などに親しんでいる人も多いだろう。

 この『アイドル失格』は、現役アイドルが著者という点で『トラペジウム』の出版当時と同様の話題の建て付けだが、トラペジウムには描かれていなかった「ファンとのこと」が描かれている。

 また『武道館』はアイドルにまつわるビジネスやSNSをはじめとした社会的ムーブメントが盛り込まれることで読者に当時のアイドルシーンを伝える役割を担ったと覚えているが、本作では登場人物たちが当然としてこれらカルチャーに馴染んでおり、作品中でその説明に拘泥することなく、物語で紡がれる青春の交錯した状況をそれぞれの視点で切り取ることに注力されている。

 アイドル小説という呼び名はあくまで描かれたモチーフや舞台設定がアイドルというだけで、例えば書店の店員が文芸のどの棚に並べるかと言えばそれは青春小説なのだと思う。

 本作の主人公である「アイドル」と「ガチ恋オタク」は、この小説の中盤で出てくる「普通」の人からすればかなり特殊な種族だ。

 読者層は概ね著者のファン or アイドル文化に理解や興味を持つ人と思われるが、『トラペジウム』がそうだったように、アイドル小説はドルオタのみが読むものではない。

 本作が青春小説たる所以は、その職業や趣味が特殊であっても普遍的な若者の心情や葛藤を浮き上がらせ、彼・彼女なりの結論へと導いていくところにある。

 進学や進路に関する悩みというのは目の前に並べられている限りの選択肢がまるで人生の全てであるかのように錯覚してしまうものだし、それが全てではないと気づいた後、自由を目の前にして人は何を手にするのかといえば「可能性の実感」なのだろう。確かに本作もそのようになっている。

 しかし、可能性というのはあくまで可能性であって、実現には人間の能力や振り返って「あれは確かに努力だった」と感じられる日々が必要だ。主人公たちの「その後」は描かれていないが、後日譚を書いてしまうのは蛇足だろう。

 もし描かれたとしても、また別の青春であるべきだ。

若者の青い葛藤が大好物なもので

 大人であるだけでは必ずしも酸いも甘いも噛み分けた人生を歩んできたわけではない。主人公の年齢を青春時代というなら、もう3周めくらいの年齢であるぼくは、ドルオタの門を叩くのが遅かった。

 もし主人公のケイタくらいの歳にアイドルにガチ恋できて、ハコに通ったりチェキが撮れたり、SNSの書き込みに一喜一憂できたら楽しかったろうなとは思う。まあ、今やっても充分に楽しいんですが。

 思い出すと四半世紀前にデスボイスのガールズバンドを追っかけて近郊のライブハウスにいくつか行ったのは覚えている。が、今ほどネットが充実していたわけではなく、いつどこでライブをやるのか把握するのも難しくていつの間にか行くのをやめてしまった。まだ携帯電話を皆が持っていない時代だったし、持っていてもインディーズバンドでホームページ(Webサイト)があるところなんて皆無だったんですよ。

 もちろんアイドル相手でないにしても似たような経験はいくらもあって、相手の何を知っているわけではないのに虚像を心に描き、思い通りにいかない現実に悶えたり、好きかそうでないかを探っている段階がいちばん心が騒々しかったり、こっ恥ずかしい経験をほじくり返す痛みさえ無視すれば思い出せないわけではない。

 本作は所々でそういう共感の喚起をしてくる。ぼくは映画鑑賞が趣味なので、年に何種類も作られる「若い俳優が出てくる上映館の少なめな恋愛モノの邦画」をよく観るほうなのだけれども、面白いとか面白くないを超えて、こういうのが好物なのだ。

 すなわち、無かった青春を何度も再演している。この小説を読むのだってそうだ。

キャラクターに思うところがないと言えば嘘になる

 主人公の片方であるケイタはもどかしさの塊で、自分が何者かもわかってないから明日どこを向いたらいいのかもわからない。イライラしがちで実々花の感情の機微を捉えられない。作劇の観点からすると、ヘイトを稼ぎがちな性格。

 連載やマンガ、ドラマ、スマホゲームのように続きを読めるのが明日や来週、というメディアであればあまり使いたくないキャラクターだ。もうちょっと格を下げないようにとどめる工夫が無いと、離脱率が上がりっぱなしになる。

 本作は書き下ろしの単行本だから著者の好きなように書かせた可能性が高いが、もう少し編集側でヘイトコントロールを助言しても良かったのではないか。

 いや、もしかするとめちゃくちゃ気を遣って書いたがためにフワッとしてしまったということかもしれない。

 というのもケイタの性格や所業は、実々花と鏡写しにしながら近似にもしてあるので、ラストで実々花を読者が素直に応援したくなるかどうかに関わってくるからだ。これの調整や上手い着地というのは、マジで難しい。

 ネタバレを避けるため例え話にするが、例えばケイタのヘイトが上がりまくっていると振る・棄てるが大正解になるが、そこへ行き着くために実々花が葛藤すると「なんでこんな奴のために悩むの?」と読んでいられなくなる。

 逆にいい人すぎると実々花の選択によっては「なんで別れるの?」とか「ずっと待たせておくとか我儘で卑怯では?」となって、共感できなくなる。

 加速してストンと終わるラストシーンを読者はどう受け取るか。彼・彼女の選択に納得がいくか、世の中にはそういう人もいるだろうね(でも物語としてはハッピーでもバッドでももうちょっとメリハリつけてよ)になるかはその読者次第だとは思うが、ぼくはもうちょっと心情に粘り、ネガティブではない未練があってもよかったんじゃないかと思っている。

 キャラクターに目を向けると、実々花の造形は、著者が現役アイドルだけあってみずみずしい。むしろ生々しさを脱臭することに腐心したのだろうとさえ思う。

 テトラの他のメンバーや、ケイタに対するネギあるいはバイト先の店長が少々役割的キャラクターになっているが、物語をコンパクトにまとめるのには役立っている。これは構成がしっかりしているということでもある。

 冒頭に挙げた漫画たちが、ガチ恋ファンの妄想を軽く超える大惨事が日常茶飯事になっていて面白いのは、どこか脚色されているのだろう、大袈裟に描いているのだろう、というファンタジーへのクッションがあるから許されることだ。

 キャラクターたちにはリアリティがありつつも、クッションとしてのフィクションあるいはファンタジーがきちんと機能している。

 アイドルが書くアイドル人生は、暴露本であってはならないのだな、そんなことを思った。

圧倒的なテンポ感と秀逸な構成、そして指一つの距離感

 読み始めてすぐ感じるのは、一文一文のリズムの良さだ。例えば商業作品ではほとんど見かけないにしても、修飾語が離れていて読みづらかったり、複文になっていて主語を読み違えかねなかったりといったことは無い。

 総じて読みやすいのだけれども、反面、わざと語調を崩して印象的なシーンを描くという文芸的テクニックの嫌らしさというか、引っ掛かりを作るというのも無い。良いテンポのまま最後まで読めてしまう。

 テクニックに依る必要はないにしろ、いちばん描くべきは二人がデートをしたシーンだが、ここで近い将来に自分たちがする選択に納得感を持たせるための話が挿入されていても良かったのではないかと思う。感情の必要なスイッチが押されていないまま次の章へ行っているように感じた。 

 技巧的なのは実々花とケイタの視点を章ごとに交互に記した構成だろう。同場面を別視点で描く所などは映像作品のようでテーマに合っていたと思う。

 それに、全ページの丁度半分の箇所で二人の恋心に火がつくのも大変に綺麗で、本当に半分なのでマジでビビった。

 例えば2時間サスペンスドラマではきっちり1時間経過した時点で第二の殺人が起こってその手前の1時間でやってきた捜査で視聴者のミスリードを誘っていたことが分かったりするが、そういう気持ちよさを感じる。

 SNSを模した紙面デザインが最後の最後まで活きているのもいい。現代的だ。この「指一つの距離感」というのにはこだわりを感じるし、最初から最後まで(デートでのわずかな触れ合いでさえ!)それが貫かれているのは、「アイドル」と「ガチ恋ファン」の距離について、この『アイドル失格』が出した結論ということでもあるのだろう。

 2020年以降、アイドルのチェキ会はやむなくビニールカーテン越しとなったが、画期的な発明であるとともに、ビニールの厚みがアイドルとのそれ以上縮まらない距離を決定づけたのと、とても似ている。


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