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100万ワットが輝かない(『シン・ウルトラマン』感想)

このブログ記事には映画『シン・ウルトラマン』のネタバレがあります。ネタバレが怖ければ初日初回で観ろ、私の好きな言葉です。
★最後に申し訳程度の余談として有料部分がありますが、本文は無料です。

オタク語りをする前に

 『シン・ウルトラマン』(以下、「シン・~」と表記)は、言わずと知れた空想特撮シリーズ作品『ウルトラマン』(以下、「原作」と表記)を現代によみがえらせた映画作品だ。けれど、よし『シン・~』の感想をブログに書くぞ! と考えたときに、何を軸にして書き進めるべきか、正直のところ迷ってしまっていた。

 もうこれは悪癖と呼んでいいのだが、SNSウケを狙ってどこを擦ってやろうかという視点だけでなく、物語の構造の解き明かし、キャラづくりや役割の可視化、オマージュやメタファー等の寓意探し、これらから離れられないのだ。観て、心の赴くままに感情を吐露することができない。できないというか、エンタメ系クリエイターの端くれとしてそれは許されないとまで思っている。「面白い」の理由を咀嚼し、自らの作品に少しでも還元できなければ意味がないとまで思う強迫観念だ。

 これは業界に長く居すぎたがために、スマホゲームをプレイして「よくできてる」という感想がまず最初に出て楽しむことができず、無の表情をしながら分析プレイをするしかなくなってしまったのと、ほぼ同じだ。

 これは三年位前から頭の片隅を占めていて、治らない病であることよ。そういうこともあって、素直に鑑賞することができたのは3回目になってからだ。1回目はSNSで何を擦れるかを血眼になって探すのとネタバレ対策を兼ねて。2回目は作品の構造や画のディテールを見るために。3回目で、そういうことから解き放たれて自由に。

 そんな面倒くさい性格全開な感じではありますが、きっと書き始めると止まらないんだろうな、オタクだから。ということで、下記が現時点でのぼくの感想です。

最新モードなのにレトロ、現実リアルなのにファンタジー

 『シン・~』というタイトルに期待されるものが何かということを考えると、「新解釈、新表現」であって、例えば「ゴジラは出てくるが、これまで見たことのない作品」「エヴァは出てくるし登場人物も示されるものもほとんど過去作と同じだが、ビジュアルが新しく説明も丁寧になった作品」という流れのものになるだろう。タイトルに「シン」がついていなくても、庵野秀明監督の『キューティーハニー』もその範疇のものだったように思う。

 けれど、今回の『シン・ウルトラマン』は、とんでもなく忠実な「リメイク」だ。そのリメイクも『ULTRAMAN(2004)』のように、翻案しながらまったく新しい解釈やストーリーを盛り込むということではなく、原作のエピソードを繋ぎ合わせて現代風にした誂えになっている。
 この作品を評して「ダイジェストのようだ」という意見も多々見られたが、確かに各話要素の繋がり方においてエピソードがクロスオーバーすることはないので、劇場版『長編怪獣映画 ウルトラマン(1963)』や、「選り抜き型の児童向けダイジェストDVD」を思い浮かべていただいても良いと思う。
 見方によってはモチーフとなった6話分を繋げてリメイクしたというより、架空のテレビシリーズ『シン・ウルトラマン』全39話がまずあって、そこから名エピソードをより抜いて再編集したようにも受け取れる。

 似たようなアプローチの作品に『パシフィック・リム(2013)』がある。この映画は数多の怪獣・ロボットコンテンツへのリスペクトに溢れており、登場するKAIJUとの戦いごとにストーリーを切り分ければ、先述したようなシリーズもののダイジェストのように見える。
 この『パシフィック・リム』も、冒頭で矢継ぎ早なカット&ナレーションによって、KAIJUが出現してからメインで描かれる現在までを圧縮して並べ立てる部分があり、これはそれ以前からある手法だとはいえ『シン・~』も影響を受けた部分ではないかと推測している。
 同様の手法はアニメ映画『GODZILLA 怪獣惑星(2017)』でも用いられている。こちらは前日譚の小説『GODZILLA 怪獣黙示録』を映像があったものと仮定してダイジェストにした風合いだ。

 しかし『シン・~』映画パンフレットの解説における樋口真嗣監督インタビュー部分で「ダイジェストにならないようにした」との記載があり、制作側はダイジェスト的なアプローチをとったわけではないことが示されている。
 確かに架空のテレビシリーズ『シン・ウルトラマン』は存在しないから、そのダイジェストでもないし、ましてや映像はまったく新しいので原作のダイジェストでもない。

 ダイジェストという言葉の定義の問題かもしれない。「大相撲ダイジェスト」のイメージが強すぎる。言外に「冗長な部分をカットして再編集した」というニュアンスが含まれてしまうので、そのイメージで『シン・~』を語られるのは本位ではないだろう。
 土俵入りや塩撒きや立ち合いが冗長だと断じられたらそれは相撲ファンに失礼なのと同じだ。相撲のそれらは意味のあるものなので冗長とまでは思わないが見ていてかったるい。いらん本音を書きました。

 さて、新作映画であるという明確な立場があっても、実際にスクリーンに映し出される映像の質感は随分と懐古レトロ的だ。いや、懐古趣味的ノスタルジックとしたほうが正しいかもしれない。最新の技術によって「原作の味」を再現したという見方もできる。

 面白いのは、主人公の所属組織「禍特対」は原作の「科特隊」のような超科学設備を持たず、観客が容易に日常で目にできる現代ツールしか使用しないことだ。ノートパソコンやタブレット、ハードディスク、USBメモリ……。外星人のザラブは、原作では一抱えもある「翻訳マシン」を用いていたが、『シン・~』ではスマホをジャックする形で翻訳アプリを通じ、地球人へと語りかけてくる。

 作中技術の進歩具合でいうと、原作で表現されていた夢の人類未来科学が存在する時代より、コモディティとなっているガジェットばかり登場する『シン・~』の世界は遅れている、ということになる。宇宙開発の拠点となる宇宙ステーションも星間連絡ロケットも無いばかりか、スーパーガンやスパイダーといった隊員の携行武器も登場しない。神永が拳銃を構えるシーンに違和感を覚えたほどだ。

 夢の持てなくなった時代の反映であると受けとることもできると思う。確かに、イーロン・マスク氏が電気自動車を普及させようと奮起し、ホリエモン氏が有人ロケットをいくら飛ばそうが、宇宙人に目を付けられるような先遣隊基地を銀河系内に建設することは、永劫、できなさそうである。

 日本では未来感あふれる動力の乗り物は、まず違法となり、政府と警察へのロビー活動が下手くそだとセグウェイのように公道で乗れない珍事が発生し、動力付きキックボードはナンバープレートが交付されるようになったらなったでノーヘル可という地獄の一丁目御用達モビリティとなる。
 ポインターに乗りたかった我々は、横浜辺りを走る水陸両用観光バスで諦めるしかない。

『青く美しい星』というだけで宇宙人様じきじきに侵略しにきていただけるほどの高い価値を持つなんて幻想であり、人間同士が侵略戦争をし、自ら汚し、汚したら汚したで綺麗にしなきゃとSDGsをレジャーみたく扱っては、レジ袋を買わせたりクソまずい紙ストローを使わせたりしている。夢の無い時代というのは、夢が持てない時代ということです。(唐突な進次郎構文)

 かつて原作の主題歌に謳われた「♪100万ワットの輝きだ」は、光の巨人をあらわしながらも、その4年後に開催された大阪万博を例に挙げるまでもなく、科学的で明るい未来を示唆していたはずだ。
 それがどうだろう。ここ数年の騒動でわかるとおり、人々の多くは科学に信頼を置けずに、無知蒙昧たる指導者の妄言を虚ろに信じることがわかってしまった。十何年か前に仕分けだ節約だと科学振興をバッサバッサと切り捨てる政治劇に喝采したことを悔いることになってしまった。
 科学が安全を訴えても、人の心は安心を優先させ、求める。安心なんてお気持ち次第のものは、神仏でも拝んで勝手に解消すべきことだったはずなのに。

 閑話休題。

 人類側科学がそれほど進んでいるように描かれないことについては、作品として奏功しているように思う。観客の生活時空と地続きに感じられつつ、禍威獣や外星人、そして銀色の巨人との邂逅は、原作よりもむしろ幻想的な雰囲気を纏い、どこか現実になってほしいという感覚を強く引き起こす。

 そういう整理のもと『シン・~』について考えれば、これは「紛うことなき原作のリメイクでありながら、かつ現代的なアプローチで未知との邂逅に焦点を当てた作品」であるといえよう。

2回目を観る前に

 原作は全39話のオムニバス形式で紡がれるSF物語である。おそらくこれを「怪獣が出てきて人類を脅かし、ウルトラマンが出てきて倒す、マンネリズムの作品群」と受け取っている人は、勿体ないので原作をいくつか視聴してほしい。ウルトラマンは古き良き勧善懲悪娯楽時代劇の置き換えではない。

 とはいえ、予習しないことによる初見の面白さもあるので、2回『シン・ウルトラマン』を観ると仮定し、1回目と2回目の間に下記を復習&原作履修するのがよいと思う。最近はレンタルビデオ店も減っているので、サブスクリプションの映像配信サービス『TSUBURAYA IMAGINATION』を利用するのが便利だ。

 ぼくにはサービス精神があるので「そんなに全部観てらんない」という人のために、その中から特にお勧めのものを太字表示にしてあるし、観るのも面倒だという人向けに、何が描かれていてどう『シン・~』と関連づくのかも書いておいた。アフターサービスも万全です。

  • ウルトラマン(1966) 第3話『科特隊出撃せよ』、第9話「電光石火作戦」、第18話『宇宙から来た兄弟』、第33話『禁じられた言葉』、最終話『さらばウルトラマン』
     原作を知りたいというならば、必然的にこれらの『シン・ウルトラマン』のベースとなっている各話を勧めることになる。
     とりわけ18話の『宇宙から来た兄弟』を観ると、『シン・~』のザラブまわりの描写はとんでもなく丁寧にリメイクされたということがわかる。人に危害を及ぼす霧をザラブが晴らすマッチポンプ描写が、電磁波障害に置き換えられているなども、現代らしいモチーフのリニューアルだ。
     第1話を入れていないのは、『シン・~』には怪獣ベムラーが出ておらず、主人公がウルトラマンと一心同体となった経緯も原作と比較できるほどには描写されていないから。
     5話くらいじゃ足りないという人は、追加で第37話『小さな英雄』を。ウルトラマンに任せてしまえばいい、という自棄やけを起こすイデ隊員の葛藤と奮起が描かれ、これは『シン・~』終盤の滝と重なる。

  • ウルトラセブン(1967) 第17話『地底GO!GO!GO!』、第39話『セブン暗殺計画(前編)』、第40話『セブン暗殺計画(後編)』、第48話『史上最大の戦い(前編)』、最終話『史上最大の戦い(後編)』
     ウルトラマンの次作であるウルトラセブン。『シン・~』で触れられた、宇宙に存在する知的生命体が次々に地球を狙うだろう、という懸念が現実となってしまった作品と考えると興味深い。
     第17話は、自己犠牲を厭わない人間に興味を示したウルトラセブンが、その姿を借りるきっかけとなったエピソードが描写されている。第39,40話は、ウルトラセブンがガッツ星人によって磔にされる印象的なビジュアルが『シン・~』の成層圏に浮かび上がるゼットンを彷彿とさせ、ウルトラマンが敗北するとはどういうことかが見てとれる。第48,最終話のダンがアンヌへ正体を明かすシーンは、明らかに神永による正体を告白するシーンへとオマージュされている。

 少し時代をあけて、「最近のウルトラマン」をいくつか。といっても『ウルトラマンコスモス』で約20年前。撮り方や特殊効果の違いなどの比較には良いと思うが、例えば『ウルトラマンメビウス』は、15年前の作品なのになぜか55年前のウルトラマンよりも画が古く感じてしまうのは不思議なところでもある。

  • ウルトラマンZ(2020) 第18話『2020年の再挑戦』
     1つめは、なるべく少しの労力でいろんな映像が見られると良いだろうと思って選んだ。この回は原作の前身作品『ウルトラQ』を現代にリメイクしたらこういう映像になるというイメージも湧きやすい上にファンタジー色も強く、怪奇に主人公が挑む要素もある。おまけにパゴスも出てくる。特撮としても印象的な夜間戦闘や、イリュージョンのVFX表現という点で、存分に「最近のウルトラマン」の凄さ、これを毎週1本放映しているのだというクオリティを感じられることと思う。

  • ウルトラマンメビウス(2007) 第47話『メフィラスの遊戯』
     ウルトラマンとメフィラス星人が客演する。初代に引き続き、戦いを途中で放棄するメフィラスを見ることができる。『シン・~』のメフィラスはアプローチこそ紳士的であったが、先述の原作メフィラス星人やここに出てくるメフィラス星人は、「そうはならんやろ」「なっとるやろがい!」を地で行くような強引さの露呈がある。

  • ウルトラマンR/Bルーブ(2018) 第18話『明日なき世界』
     メフィラス星人とザラブ星人が登場し、巨大女のパロディをやってのける。メイン視聴者が子供となるテレビシリーズで巨大女を出すならこういうふうになる、という見本でもある。そのほか『カメラを止めるな!(2017)』『情熱大陸(テレビ番組)』『逃走中(テレビ番組)』などパロディのオンパレードで、連続ドラマにおける縦軸のストーリーは一切進まない。
     いわゆる「トンチキ回」にあたるのだが、他のシリーズと並べると、方向性や手触り、とくにファンタジーへの振り幅がそれぞれ違うことがわかる。
     悪夢のように異質でシュールな世界を描くエピソードが楽しめるのも、ウルトラマンシリーズの味の一つである。

  • 『ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE(2003)』
     これは劇場版作品である。地球が裁定者によって不要と判断され、すべての生命をリセットするための空中巨大兵器が登場する。この点で、『シン・~』のゾーフィやゼットンを想起させる。1本の映画としてもわかりやすく、見どころも大変に多い。

 ……ということで、予習復習に良さそうな作品をピックアップしてみた。

 無料で今すぐ観たい! という希望を叶えようとすると、上記の中ではウルトラマンR/Bの第18話になる。なぜかこれは放映当初からずっと無料でYouTube公開されていて、他の話のように期間が来たら見られなくなるということがない。謎である。

 次に、シンガポール外交樹立55周年記念で作られたショートムービー『ウルトラマン -シンガポールの新たな力- (2022)』もお勧めだ。これこそダイジェストという趣で怪獣が矢継ぎ早に現れ、最終的にウルトラマンが現地の伝承たるマーライオンの化身と共闘する。観光地紹介も兼ねていることから、街が壊されないのも特筆すべき点だ。『シン・~』の対ザラブ戦でウルトラマンの配慮の無いビル破壊にヒヤヒヤした人も安心して観られることと思う。

 CGによるウルトラマンと怪獣による市街地での激闘映像と言えば、『ULTRAMAN_n/a (2016)』が挙げられるだろう。テレビドラマ等でおなじみの渋谷繁華街でリアルサイズのファイトが繰り広げられる。ストーリーも無く、ウルトラマンと怪獣がどう決着したかも描かれていないことから技術デモのようでもあり、ファンの間でも何のために作られたのかわからないと噂になっている作品だ。

 おまけでもう一つ、ウルトラマンが巨躯や戦闘での破壊故に民衆から疎んじられるシーンは、台湾ミュージシャンのMVで描写されてもいる。

 ここで紹介したものはそれぞれ下記にリンクを貼ってあるので、感じ入るところがあれば是非見てほしい。

特撮、とりわけCGについて

 予習復習が済んだところで、毎週欠かさず「ニュージェネレーションウルトラマンシリーズ(以下、「ニュージェネ」と表記)」を視聴している身からすると、『シン・~』は「別ラインの作品」という感覚を強く受ける。「平成仮面ライダー」シリーズに対する「仮面ライダー THE FIRST」や「仮面ライダー アマゾンズ」と言えばわかるだろうか?(わからないし『シン・仮面ライダー』とも混同しそう)

 16:9のテレビ画面と、シネスコサイズの劇場スクリーンでは撮り方も編集も違って当然なのだが、最も大きな違いは「CG」だと思う。「特撮」と書いてしまうと、CG以外にも着ぐるみ、操演やミニチュアセットを用いたもの、VFX特殊効果・光学処理、撮影技法まで幅広く含んでしまうのだが、『シン・~』はウルトラマンも禍威獣も全てCGで描かれている。聞くところによると、原作で飛行ポーズの人形(飛び人形)を作ってそれを撮影していた箇所も、わざわざ飛び人形をCGで起こして使用しているという。

 ドアサ(土曜朝の略。現行ウルトラマンシリーズが放映されている)では、着ぐるみ&ミニチュア撮影がほとんどで、もちろん建造物など各所にCG合成が使われてはいるが、実物を”撮影”している。
 ドアサの醍醐味はここにあると言っても過言ではないくらいで、ビルの内側からウルトラマンと怪獣が戦っているところを眺める画角があったと思ったら、怪獣に投げ飛ばされたウルトラマンが「厚み」のあるビルを突き破る迫力のある描写にシームレスに繋がる。
 怪獣が羽ばたけば路上駐輪している自転車が倒れ、自動車は盗難防止ブザーを鳴らして舞う。アスファルトが割れればその下の土がむき出しになり、瓦礫が奈落の底へ吸い込まれるように消えていく。
 遠景で戦っているウルトラマンをカメラが並行移動していき、ビルとビルの隙間から彼らを捉えるたびに戦況が変わっていく。かと思えば取っ組み合いを中心にカメラが内側を向いたままぐるぐると長回しされ、ワンカット内で目まぐるしく変わる立ち位置に合わせてピッタリと合成された光線が飛び交う……etc.
 毎週毎週「こんな撮り方ができるのか!」という驚きに溢れており、眼福とはこのことを言うのだろう。いくつも観ていると監督ごとに映像のテイストやドラマ作りが違うことにも気づくようになり、特徴的なシーンであれば一目見ただけで「〇〇監督だ!」とわかるようになる。観るたびに特撮作品への解像度が上がっていくこと請け合いだ。

 一方で『シン・~』には、CGならではの動きと迫力、着ぐるみ&ミニチュア撮影では難しいようなとんでもなく凄い構図がある。CGのリアリティには「実在するものを精細に描く」方向性と「実在しないものをさもあるかのように描く」方向性があるが、予告編でも見られる「長い」スペシウム光線描写からの、山を抉り飛ばしてのネロンガ爆砕で度肝を抜かれる。ウルトラマンやザラブ、メフィラスたちの「人間のようで人間離れした体格」はCGでなければ表現できないものだ。
 ザラブとの夜戦も、ドアサでは見ることのできない戦闘シーンだ。広大な夜景をバックに外星人同士によるスピード感溢れるドッグファイトが行われる。ウルトラマンは流れ弾が都市に被害を及ぼさないように地面側から空に向かって光線を放つ。こういうところが良い。そのわりにザラブをビルへと投げ飛ばしてしまうが、これは原作をなぞっているので仕方がない。
 ウルトラマンの巨大感も、単に見上げる対象としてだけではなく、神永がベータカプセルを点火した際にグワッと出現して彼を掴む「拳」や、メフィラスが調印式で出現させたベータボックスを奪取しヘリへと放るシーンには素直な感動がある。

 惜しかったところもある。ガボラが地中を進む際に盛り上がる地表が立体感に乏しくテクスチャーを貼ったマットのように見えてしまったり、ザラブ扮するニセウルトラマンが遠景で街を破壊している姿が棒人形のようだったりしたところだ。もちろんニセウルトラマンのあの動きはニセモノならではのコミカルさを表現していたようにも受け取れるが……。PS4ゲームの『巨影都市』にもニセウルトラマンが登場する(プレイヤーはその足元を逃げていく)のだが、それを思い出した。

 ラストのゼットンは、原作の宇宙恐竜からうって変わってメタリックな巨大破壊兵器となった。自律的に宇宙空間で建造されていく恐ろしさはCGならではのものだろう。白昼に空に浮かぶ姿は、ロマンと不条理を兼ね備えている。

 同じウルトラマンという題材ということもあり、ニュージェネと『シン・~』の特撮の特徴について並べてみたが、55年前の原作とも比べると、『巨大戦』描写はそれだけでこんなにも驚きがあるものなのだ、ということにあらためて気づく。

 東京スカイツリーのタワーを見上げるたびに「こんなにデッカイものが建ってるなんてどういう科学だ?」と思ってしまうのだが、巨大なだけにとどまらない空想上の存在が縦横無尽に動く姿というのは、何か本能を刺激するのだろう。それは憧れかもしれないし、畏怖かもしれない。

 また別の切り口の巨大戦が観たいという人には『ULTRAMAN(2004)』『ブレイブストーム(2017)』『大日本人(2007)』をお勧めする。

『ULTRAMAN(2004)』は、『シン・~』に比べるとリブート色が強いが、それ故に「ならではの映像」を意識して撮られたように見受けられる。『ブレイブストーム』は、ウルトラマンベリアルの生みの親である岡部監督作品で、銀座を舞台に重厚な巨大ロボットによる殴り合いがCGで描かれている。『大日本人』は「巨大ヒーローとは、巨大ヒーローを扱う映像とは、すなわちどういうことか」を考えさせられる稀有な作品だ。

3回目を観た後に

 オタク的な観点はこれくらいにして、SNSへの刺さり方も、物語の構造やディテールも一切忘れて3回目を観たときのことを書きたい。

 米津玄師によるテーマ曲が流れるエンドロールで、唐突に思い出した。数年前に母が、いまだに特撮作品を愛好しているぼくを評して「あんた小さい頃、テレビに怪獣が映るだけでワンワン泣いてたのにねぇ」と言ったことを。

 そりゃエンマーゴに首を切り落とされるウルトラマンタロウを観たら泣くだろ!

 不思議なもので、そこから芋づる式に様々な記憶が蘇り、怪獣カードを手に近所の子どもとゴッコ遊びをしたこと、叔父からもらい受けた『空想特撮映像のすばらしき世界PARTII』をボロボロになるまで、それこそページが抜けるのをガムテープで補強してもらって何度も何度も読み返したこと、UGM隊員セットをもって走り回ったこと、じいちゃんがパチンコの景品でもらってきたソフビのセットのバルタン星人が変な水色だったこと、ダダとバド星人が怖かったこと、メカギラスの絵をたくさん描いたこと、大学生になり巨大特撮は子供っぽいと言いながらもティガの実相寺監督回を録画しては何度も観て通ぶったこと、大人になってギンガでメトロン星人がオタ芸を打ったことからニュージェネ視聴勢として復帰したこと……。

 何かの場面を詳しく思い出したわけじゃなく、ただ、とめどなくウルトラマンや怪獣が常に自分のそばにいた場面場面が瞼の裏に溢れてきて、そこに悲しさなんてないのに、涙が止まらなかった。

 小さい頃、テレビに怪獣が映るだけでワンワン泣いていた子供は、40年経って、スクリーンに怪獣が映るだけで歓喜し、そしてエンドロールでさめざめ泣くおっさんになったよ。

(了)

余談

 これはツイッターでは迂闊に書けないことなのでここに書くのですが、2018年の夏ごろに樋口監督と焼肉をご一緒する機会があって、すでにあのとき撮影に入っていた『シン・ウルトラマン』について、

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。ここから先は有料ですが、重要な情報や、監督の言葉はなく(プライベートな会話のことだし)、ただひたすらオタクの後悔が書き連ねてあります。それでもよければ投げ銭代わりにお読みいただければ。

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