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ジョナサン・乃木坂・ノープロブレム

「スィマセン」
 次発の電車を気の抜けた表情で待っていると、後ろから慣れない日本語が聞こえてくる。
「はぇ?」
 あまりにも急な出来事だったので、気色の悪い返事をしてしまった。(十中八九表情も同じだろう)
 振り返るとそこには外国人の老夫婦がスマホを片手に、これ以上日本人は逃がすまいと、僕の目をじっと見つめて立っていた。
 推測するに既に彼らは何人かの日本人に『Q&A』の『A』の部分を断られているのであろう。「あなたは逃げないで!」と言わんばかりの表情だ。よく見ると、彼らの周辺には『Q&A』になれなかった『Q』が沢山落っこちていた。

 僕は仕事に間に合わなさそうなギリギリの時以外は、外国人旅行者の質問に答えるようにしている。
 日本を楽しんでほしいし、いい印象で帰国して欲しい。そして何より「外国人に質問されていた」と、遅刻する言い訳を作ることが出来るので人助けにも自分助けにもなる。
 現に僕は友人との待ち合わせの遅刻が完全に確定している。言い訳をつくつならここしかない!
 そんな不純な善意は置いておいて、目の前の二人を助けてやらねば。僕は「イエス?」と口角を上げて彼らを見る。
 救世主という意味で「イエス」と言ってみたのだが、全く通じていなかった。恥ずかしい。

 二人は「Oooh…!」と、ようやく成立した会話に歓喜しているようで、スマホをせっせと操作して僕にマップを見せてきた。
 マップには『国立新美術館』の文字が。
「嘘だろ…」と、僕は一瞬。本当に一瞬、それに対応したことを後悔した。
 ……いや、ほんとに一瞬なんやって。なんだその疑いの目は。
 何を隠そうここは神保町。そして国立新美術館は乃木坂にある。どう頑張っても電車の乗り換えは1回は必須になる。幸い半蔵門線にいるので、ここから表参道まで行って千代田線に乗り換えて乃木坂という行程だ。
 僕はつたない英語で頑張って話してみる。
「あー…なんだっけ。That train? Transfer? あー…表参道? ほんでなんや、You have to go to…」
 こういう時に限って英語が出てこない。英語は全く出てこないが、その全く出てこない英語を教えてくれたALTのジョナサンの顔は鮮明に出てくる。
 頭の中でジョナサンが僕に笑顔でアシストをしてくれているが、完全にミュート状態。口パクのジョナサンは全く役に立たない。
 これは無理や…難しすぎるわこの伝言ゲーム……なに笑ってんねんジョナサン。助けろや。可愛い生徒が困ってんのよ。
 そういえば、ジョナサンが言ってたっけか「ノープロブレム! これは魔法の言葉だよ!」と。
 出ない英語を頭から絞り出しながら、チラッと老夫婦を見る。うわ…ちょっと心配そうにしてるじゃん…。どこがノープロブレムだよと、10数年越しにジョナサンに腹を立ててしまう。
あぁ、どうしよう。「コノジャパニーズハ、エイゴノヒトツモ、デキマセンネー」と思わせたくない! 何か打開策は…駅員に託すのは負けた気がする…あぁ…出ろ、何か出てくれ! ……ジョナサンもうええわ!

 気付くと僕は表参道で彼らを引き連れて千代田線の電車を待っていた。
 老夫婦はカレンとジェームズというらしい。なんとか名前は聞き出した。
 ……いやいやいや。何で俺も千代田線待ってんねん。何してんの?
カレンとジェームズは「アリガトゴザイマス」と、孫の年齢にも達してないような僕にも丁寧に感謝をしてくれている。
 しょうがない、ここは日本男児、二人を無事に美術館まで案内することが使命だ。待たせてる友達? 知らんがなそんなもん。

 僕ら3人は、乃木坂に着くころにはある程度仲良くなっていた。
 2人は序盤、僕が乃木坂までついて行くことに若干引いていたが(引くなや)ここまできたら日本人の厚かましい好意に乗っかって楽しんでやろうと、ツアーガイドよろしく、僕にどんどんと質問を投げつけてくる。
 ただ、僕の英語力では答えられる範囲も少なく、不正確な回答ばかりを2人にしてしまうのだった。
 それならば英語翻訳を使えばいいと考える人が多いだろうが、ここでそれを使ったらば、今までの乗り換えは何だったんだとなる。ここまでくる必要もなくなっていた。それを考えるとなんか全部嫌になる。
 おい、今更とか言うなやジョナサン。もう脳から出ていけや。

 ようやく国立新美術館の前まで来ると、2人は「Oooh!」と喜んでくれた。ここまで一緒に来てくれてありがとうと彼らは僕をハグする。
「一緒に来るかい?」と気を遣って聞いてくれたジェームズ。
 それはええわ。と、「もう行かなきゃいけないんだ」とやんわり断る僕。
 僕が遠慮したことで、3人とも胸をなでおろす。美術館まで3人で行くとなれば、もうそれこそ意味が分からない。
「日本を楽しんで!」と簡単な英語で2人に別れを告げて、満足した顔で駅に向かう僕。友人を待たせていることを忘れながら。

 乃木坂駅に戻っている最中、前もって遅刻するのは伝えていたのだが、しびれを切らしたのか友人から連絡がきた
「流石に遅すぎるわ」と。
 その怒りに満ちたLINEを見て、僕は空を眺め呟く。
「ノープロブレム」
 ありがとうジョナサン。

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