見出し画像

ダイアナ妃やヨーロッパの富裕層について

ヨーロッパおよび世界を牛耳る一族


この記事では、次の内容が書かれています

  1. 知られていない一族……人知れず支配を行う一族

  2. ダイアナ妃と婚約者が宿泊していたパリのサヴォイ・ホテル

  3. サヴォイ一族とは、どんな一族か

  4. タクシスとモナコ、そして富裕層

  5. メッテルニヒ侯爵邸で持論を披露するプーチン氏

知られていない一族……人知れず支配を行う一族

ヨーロッパには数多くの城があります。
シンデレラ城のモデルとなったノイシュヴァンシュタイン城などです。
その中でも、ドイツにあるエメラム城の部屋数は500室です。

これは、イギリスのバッキンガム宮殿の部屋数を上回っており
部屋数の差は力関係の差を表しています。

つまり、ドイツには、英国王室の力を上回る一族が居住しているということになります。
多くの人がこの一族について知らないのは、本当の実力者は
表には出てこないからです。

モーツァルトのトルコ行進曲は有名ですが
かつて、ウィーンはトルコ軍の猛攻により、陥落寸前までになった事がありました。

その時に、ウィーンを守り抜いたのが、サヴォイ公オイゲンです。
ハプスブルグ帝国における、軍事面での最高責任者でした。
軍事の専門家です。
スイスなどから傭兵を連れてきていました。

ハプスブルグ家は、ベルサイユのばらにも出てきますので
ご存知の方も多いと思います。
マリー・アントワネットは、ハプスブルグ家の皇女です。

そして、金融面を担当したのがロスチャイルドです。
敵方に関する情報を提供したのはタクシスです。

サヴォイ一族は、BIS、国際決済銀行も支配下に置いています。
英語のバンクの語源になったとされるデル・バンコ一族が実務を担っていると思われます。

金融関係でビジネスをされている方は、バーゼル3といった
国際合意または、BIS規制により規制されている事実を良くご存知だと思います。
BISの本拠地は、スイスのバーゼルです。

ダイアナ妃と婚約者が宿泊したパリのサヴォイ・ホテル

ダイアナ妃が泊まったホテルがパリのホテル・サヴォイでした。
サヴォイ一族が経営するホテルです。
運転手は、サヴォイ家の下僕だということです。

ダイアナ妃の婚約者はドディで、その父親はロンドンの老舗デパート、ハロッズのオーナーでした。

キュートな頃



タクシスとモナコ、そして富裕層

先ほどの、エメラム城の城主タクシスは
ヨーロッパの郵便制度を統一しました。
中世においても、旅をする際に現金を持ち歩くことは危険でした。
郵便為替制度を確立し、現地の郵便局で現金を引き出せるようにしたのもタクシスです。

また、情報屋としての情報提供を行っていました。
じつは、世界の単位を統一したのも、この一族です。
例えば
「敵が、5インチの大砲を8門そなえた、長さ1000フィートの軍艦を作っています」
といわれて、すぐに大砲の規模や、船の長さをイメージできるでしょうか。
やはり、日本で使われている単位でなければ、ピンときませんよね。

国際的に情報を提供する上で、単位が国ごとに異なっていれば
必要な情報が伝わりにくかったのです。
そこで、メートル法が定められ、世界の単位が統一されました。

タクシスの本拠地はドイツだとしても、一族もしくは支部は、各国に分散しており、広く情報を集めています。
単なる情報屋ではありません。

モナコ公国

また、地中海に面したモナコという国があります。
カンヌやニースに近い気候のよい土地です。
モナコを建国したのはタクシス一族です。

モナコには富裕層が住んでいますが、タクシスから情報を得て、投資しています。
情報料を1億円払ったとしても、その情報により10億円の利益が得られるならば情報料を払いますよね。
実際には、10億円払って100億円の利益とか
100億円払って1,000億円の利益が得られるといった具合だと思います。
これがモナコに住む富裕層の実態です。

かつて、ソ連邦が崩壊する前に、ベルリンの壁が崩壊しました。
多くの人は、これを市民運動の成果だと考えていると思います。

実は、あの市民運動は市民が手弁当で参加したわけではないのです。
食費だけを見ても1人3食を食べるとして、その費用は、1,000円にもなります。
12月でしたので火を燃やして暖をとっていましたが暖房費や防寒着を加えれば、1人当たり1,000円ではすみません。
1万人が参加していれば、1,000万円です。
30日で3億円にもなります。

これらの費用は、どうやって賄われるのでしょうか。
例えば、ハプスブルグ家の子孫は、当時はアメリカにいて
かなりの費用を提供していた可能性があります。

ハプスブルグ家では、かつての領地であった東欧諸国をソ連邦に踏みにじられ
ソ連邦に対して恨みを抱いていました。
ベルリンの壁の周辺には、CIAもKGBも入り乱れて市民に紛れ込んでいました。
ベルリンの壁は、市民運動の成果によって崩壊したのではなく

市民運動を主導、もしくは援助して、壁を崩壊させようとする
勢力が存在しました。

メッテルニヒ侯爵邸でプーチン氏がロシア再建のための持論を述べる

また、先日、記事を書きましたが

この記事にメッテルニヒ公爵邸が出てきます。
まだ、新生ロシアが誕生して間もない1991年を過ぎたころ
プーチン氏は、大統領になる、はるか以前の無名だったころに
メッテルニヒ公爵邸に招かれ、メッテルニヒ公爵夫人を前にして
ロシアを再建するための実際的な方針を述べています。

メッテルニヒ公爵夫人の後ろには、ドイツの主な企業の重役たちが控え
一緒に、プーチン氏のロシア再建案に聞き入っていました。
2000年にプーチン氏が大統領になると、原油や他の地下資源を開発して販売し
再び強いロシアを作り上げるという当初の目論見どおり
強いロシアが実現してゆきました。

プーチン氏が大統領になってから、「再び強いロシアにする」という
メッテルニヒ公爵夫人の前で述べたであろう施政方針が実現してゆきました。

ナポレオン後のヨーロッパは、メッテルニヒが仕切りましたが
冷戦後のヨーロッパも、メッテルニヒが仕切るともいえます。

メッテルニヒ公爵






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?