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遊ぶ【ありのまんまでいいじゃない vol.10】

GWははしゃぎ過ぎて結構疲れが残っている。
こういう疲れ方をするのは高校生ぶりな気がする。
3月くらいから高校生ぶりに遊ぶことをやり始めた。
今の自分の頭の中での想像力の限界が見えたからだ。想像力を超えないと革命は起こらないからね。
想像力を豊かにするには自分の理解の外側に一歩ずつ踏み込んでいかなきゃいけないと思う。

子供の頃から僕には「遊ぶ」って概念がなかった。周りの人間のいう「遊ぶ」っていうのは僕にとっては「自分が他者とコミュニケーションを円滑にする手段」でしかなくて面白さが全く分からなかった。
そんなことするより家の中で妄想の世界をぬいぐるみやおもちゃで再現する時間の方が好きだった。
今思うと変わった子供だったと思う。

親から見たら男の子なのにぬいぐるみ遊びが好きな子にしか映っていなかったと思う。
頭の中に描いた世界やシナリオを目で見たくて再生する時間が当時の僕にはぬいぐるみ遊びだったんだろうな。
たまに喧嘩はするけど共に分かち合って平和に暮らす世界っていうのを夢想してそれをぬいぐるみ達に吹き込んで遊んでいたんだ。
それがいつからか早く大人になりたいと思うようになった。
当時の僕の大人というのは成人することでもなく、身体的に大人になることでもなく、自力で金を稼ぐことだった。
それが叶えば大人が僕の言葉に耳を貸してくれると、周りの同級生がもう少し僕の言葉に耳を傾けてくれると信じきっていた。
そんなこを14歳くらいから24歳までの10年間本気で信じて生きていた。
その歳までの僕はとにかく金を稼ぎたくてしょうがなかった。

24歳になって金を稼ぎ、いくら業績を上げようともそれは叶わなかった。
むしろ業績を維持するために毎日朝から晩まで仕事に打ち込み続ける会社員時代を過ごしていた。
会社にとっては都合の良い労働力だったし、同年代や当時耳を傾けて欲しかった大人達には会う時間なんてなくなって、昔の願いなんて埋没しきって憔悴して、ぶっ壊れた。

そんな後会社を辞めて、運良く個人事業を出来るようになって今日飯を食えているわけだが、最近の日記で分かってもらえるように今は人と分かち合うことに夢中だ。
メンバーはもちろんのこと、その先の音を聴いてくれる人、僕達と関わってくれる人達とどんどん分かち合っていけたらいいなと思う。
分かち合うにはコミュニケーションが大切になってくる。そこで思い出したのが「遊び」だ。
僕にとっての「他者とのコミュニケーションを円滑にする方法」である。

だから最近遊びをしている。
どうやったら一緒に楽しめるかな?
どうやったら一緒に分かち合えるかな?
そんなことをひたすら考えながら遊んでいる。
僕が1人で楽しむなら散歩してアニメ観て歌って飯食って寝るだけだ。
それだけでもある種幸せなんだけど、僕は欲をかいて分かち合いたい。
だから今年はいっぱい遊んでみようと思う。

もう一歩自分の身近なことを考えると、LIVEだって考えてみれば「遊び」だ。
5/11と5/14の2本。
その場にいる人達と一緒に分かち合えるように準備をしていこうと改めて決心しよう。

読んでくれてありがとう!
僕に興味を持ってくれたら、誰かと分かち合いたくて続けている「宙を走る六等星」の音楽を聴いてほしい‼︎
よろしくねb

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