見出し画像

わたしと『暇と退屈の倫理学』


以前、紹介され、気になっていた國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』。"読書会"を2回、行うことにしたのであるが、私の琴線に触れたポイントを、ざっと、私なりにまとめておこうと思う。


ただし、私の解釈した『暇と退屈の倫理学』の結果であって、受け手によっては、大きく違う印象を持つ
ことでしょう。それが、哲学の面白さとは言えるかもしれないけれど。

様々な哲学者の様々な理論を引用して、展開していた本著だったけれど、結局のところ、この本で言いたいことは、ここにあると思った。

人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけでは生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾らねばならない。

ここで言う、パンは「生きるための暮らし=生活」を、バラは「生活を彩る贅沢と暇=人生」と解釈した。
少し脱線するが、芥川賞作家の遠藤周作氏がこのようなことをエッセイで語られていた。

目先に役にたつことを追いかけるのは文明であって文化ではない。東京には文明はあるが文化が乏しいのはそのためだ。
これは何も都市の問題だけではない。我々の人生にとっても同じことがいえる。さしあたって役にもたたぬことの集積が人生をつくるが、すぐに役にたつことは生活しかつくらない。生活があって人生のない一生ほどわびしいものはない。

まさしく、この本の主旨であり、「暇を愛する自由」があることを豊かに思い、自分で彩っていくしかないのだ、という強いメッセージだと私は受け取った。
暇や退屈は、自由だからこそ生じていて、それの何が悪いのか?というようなエクスキューズに聴こえた。いろんなヒントを与えて、自分で答えを見つけろというのは、至極丁寧で、至極意地悪ともいえるだろう。

そのほか、私が印象に残った部分を、引用しておこうと思う。

ジョン・ガルブレイス(経済学者)
現代人は自分が何をしたいのか自分で意識してしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられてはじめて自分の欲望がはっきりする。
欲望は生産に依存する。
豊かな社会=余裕のある社会
余裕を獲得した人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつも叶わなかったことではない。
人間に期待されていた主体性は、人間によってではなく、産業によってあらかじめ準備されるようになった。産業は主体が何をどう受け取るのかを先取りし、あらかじめ受け取られ方おうしたなかにの決められたものを主体に差し出している。
資本主義の全体展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。
だが、その暇を人々はその暇をどう使って良いか分からない。何が楽しいのか分からない。
そこにに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまではむしろ、労働者の暇が搾取されている。
→人々が退屈することを嫌うから
人間の不幸の原因
人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。
欲望の対象:何かたい、何かが欲しいと思っているその気持ちが向かう先のこと
欲望の原因:何かをしたい、何かが欲しいというその羨望を人の中に引き起こすもの
解決先→神への信仰
ウィリアム・モリス
革命が到来すれば、私たちは自由と暇を得る。そのときに大切なのは、その生活をどうやって飾るかだ。
生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうした中に生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。
ラッセル
動物は、健康で、食べるものがあるかぎり幸福である。人間も当然とうだと思われるのだが、現代世界ではそうではない。 
ニーチェ
退屈の反対は、快楽ではない
退屈の反対は快楽ではなく、興奮である。

人が豊かに生きるためには、贅沢がなければならない。
社会学者・ボードリヤール
浪費とは、「必要を超えて物を受け取ること、吸収すること」。浪費はどこかで限界に達するため、満足をもたらす。(例:たまの)
消費とは「観念的な行為」
消費されるためには、物は記号にならなければならない。記号にならなければ、物は消費されることがでにない。
浪費できる社会が、豊かな社会。

そして、結局のところ、暇と退屈の解決法は、ラッセルのこの文面にある気がする。

ラッセル
幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味をひく人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり有効なものにせよ。

要は、色んなものに好意的に興味を持てよな!ったハナシである。「んなこと、分かってるよ!」と斜に構えず、気になることにドンドン首を突っ込むことは、人生をちょっとばかり豊かにすることを、私も経験則で知っている。その一見無駄に見える「浪費」が豊かな明日を作っていくわけだ。

もっともっと視野を広げて、人生という、途方もない"暇と退屈"を楽しんでいければなと思う。そういう気持ちにさせてくれる、何だか、元気のでる一冊であった。

少しでも気になった方は、ぜひ、ご購入あれ…!笑 オードリーの若林さんの帯がついてるよ!(刷り部数的におそらく )


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?