義母が帰った話

こんにちは。
しおだです。

そういえばずいぶん前に
義母がフィリピンから来た話をしたような気がしますが、

その後の事を話していなかったので、
じとじとと書いてみます。
ドロドロするような話が嫌いな人は、
この記事は読まないほうがいいと思います。

結論から言うと、
「1ヶ月ちょっとで帰ってしまいました!」
それも、まぁ後味が悪い形で。

6月20日に日本の僕たちの家に到着、
8月1日にフィリピンにむけて出発。

ということでした。

本来ならば、3ヶ月間いてもらい、
Nicoとの時間を過ごしてもらう予定でしたが、

それは、かなわずまさかの短期で帰国。
そこには様々なドラマがあったのでした。。

ただ、この経験で妻の母の性格や振る舞い方が
わかってきたので、それはそれでプラスだったのでよかったかなと思います。

義母到着する

6月20日に関西空港に義母到着。
妻はまだ産後の身体から回復していなかったのと、
Nicoの世話をする必要があったので、

僕一人で電車で迎えに行きました。
空港で義母と再開したときは、

「Nicoに会えるのと、世話をお手伝いできることを楽しみにしている!」

と嬉しそうにしていました。

義母の性格や行動

妻から聞いている義母の性格は

  • 性格はアカルイガ、芸術家ちっくで、性格が面倒くさい。やる気があるときしかやらない。

  • 旦那さんと今は別々のところに住んでいて、1週間に一度だけ夫婦で会っている。

  • 何かあったときに連絡するのは旦那さんではなく、義母の兄弟。

ちょっと僕の中では変わった性格の方です。

初期のころの義母

6月20日の最初の週、
Nicoのおむつ替えやミルク以外にも、
洗濯(干すのもたたむのも)、料理、掃除もやりたいということで、やってもらいました。

僕は内心、「そんなに、たくさん無理やと思うわー」と思いながら様子を見ることに。

掃除は、なぜか家にある掃除機は使いたがらずに、
ほうきとちりとりがいいということで、わざわざAmazonでポチリました。

だんだん初期設定が揺らいでくる

最初の方は、僕と妻が普段やっていたおむつ替えやミルク、
それから家事全般をほとんど引き受けてもらったので、
すごい助かっていました。

その時間、僕はちょっと、プログラミングの勉強をしたり、
仕事復帰している妻は仕事に専念することができました。 

最初に初期設定が崩れた事案というのが、

料理

理由は思った味の料理が作れないから。
最初僕は、フィリピンの調味料とか手に入れるのが難しいからかなぁと思っていましたが、

実際は、義母がもう何年も自分で料理をしたことがなく、
上手く作れないからという理由でした。

ということで、比較的料理ができる僕にその役割が交代になりました。

これがわずか1週間の出来事だったのでびっくり。

続いて、

洗濯(干す方)

人数が増えた分、1日に干す量が増えたのかわかりませんが、
なんか大変に感じたそうで、

この家事は僕と妻で時間がある方がすることになりました。
これは2週間目くらいでした。

続いて、

掃除

これも最初の2周目くらいまではやってもらいましたが、
途中で、やらなくなったので、

僕と妻がちりとりやホウキではなく、掃除機を使って掃除するようになりました。

Nicoのお世話について

最初の1週間は日中と夜も見てもらいましたが、
そのころのNicoは夜中に2, 3回ほど起きてミルクを飲むので、

義母にはしんどかったのでしょう。

2週目から、夜は僕と妻でのベッドルームでNicoをお世話することになりました。

それでも助かってると感じていた

以上のように、だんだんとやってもらう家事や、Niciのお世話時間が減っていったとしても、

  • 洗濯たたみ

  • 日中のNicoの世話

の2つはやってもらっていたので、
十分僕と妻の時間ができたのでかなり助かっていました。

その前までは、
Nicoの寝る時間がばらばらで常に
僕と妻は寝不足でしたし、

僕が育児休暇しているとはいえ、
妻と自分以外に人がいるだけでも
こんなに助かるんだと思った瞬間でした。

突然帰りたいと訴える

それまで何も問題ないように思っていたのですが、
到着して3週間目に義母が、「帰りたい」
というようになりました。

妻とは喧嘩しているような感じで、
「体調が悪い」
「日本でこのまま死にたくない」

といった感じでした。
ほんとうに体調が悪ければ
僕も心配しますが

次の日はけろっとしているようで、
何も悪そうには見えなく、

妻が言うには、
「フィリピンでもよくあった、母の癇癪だよ。」
ということでした。

ともあれ、
帰りたいということだったので、
その日から1ヶ月後の飛行機を予約してあげました。
費用はすぐだと高いので。。。費用はこちら持ち。。。。

再び帰りたい

それから1週間後の夜、

義母が再び癇癪。
その時は義母と妻が話していたのですが、

なにやら喧嘩していたようです。

その中でも、
僕がショックだったのは
義母が妻に向かって

「あんたは生まれなかったらよかった」とか、

「あんたが生まれて来たせいで私の人生が〜〜」

みたいなことを言われたことだそうで。

これまでも何回も言われたことがあって、
その度に自分を責めてしまうのだそう。

僕はいくら喧嘩だからって、
そういうことを言ってしまう義母には
内心腹が立ってしまいました。

普段怒らない(怒れない?)僕ですが、
このときばかりは義母に対して怒ってしまいました。。

ただ、義母は耳を塞いで私の言ってることは
聞こうとしなかったので、とても残念でした。

どっちが歳上なのだろうか、、、 

とも思うように。

そんなこんなで、
「すぐにでも帰りたい」
ということだったので

次の日の飛行機に義母が予約しなおしたみたいです。
直前の飛行機なので、
飛行機代が跳ね上がって、

7万ほどだったのが、
20万円近くになりました。

費用は僕と妻の家計からです。。。

義母、帰る

次の日の朝早くに、カトリックの教会で知り合った
フィリピンの人に空港まで送ってもらうそうなので、

それまでの時間、
僕は後味が悪いので、

せめて、
来てくれて、Nicoの面倒を見てくれたことに感謝する手紙を書いてみました。

僕と顔をあわせるのは嫌だそうなので、
そっと書いた手紙を義母の靴の上に置きました。


次の日の朝、
起きてみると、もう既に義母は出てていなくなっていました。

手紙を持っていったのか確認すると、
下駄箱の隅の方に未開封で放置されていました。


まぁいつか会ってくれる日がくるといいと思いつつ、
一緒に生活することの大変さを感じた1か月でした。

ただ、義母が癇癪を起こして喧嘩したり、泣いたりするのは
Nicoのためにもよくないと思うので、これはこれでよかったのかもしれません。

残念なのは、僕と妻のことを義母が今もまだ拒否していることです。

いつか成長したNicoと僕と妻にも会ってもらいたいですが、その時が来るのはいつでしょうか。ちょっとは期待しておきます。

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