見出し画像

【不登校までの経緯】みぃ、悟るの早すぎ!

みぃが小学校に行かなくなった過程を詳細に残しておこうと思います。

幼稚園をほとんど行かずに卒園したみぃなので、小学校もゆくゆくは行きたくなくなるだろうと、入学前から想定していました。

スクールカウンセラーさんにも、「まぁ、小学校は合わないと思うけど、そうなったら、その時にまた考えて、あまり無理せずにやればいいですよ」と言われていました。

なので就学相談で特別支援教室(通級)の利用の希望もしておき、いざとなったら通級だけかな、とも考えていました。入学式直前の、学校とのアレルギー対応のための面談でも、みぃの特性を話し、小学校もしんどくなることを想定していると校長先生含めて伝えてありました。

ですが、本人は小学校をとても楽しみにしていました。やる気満々。完璧な小学生になる!と言い、人知れず目標を紙に書いていたり…

(「音楽宿題スポーツがんばる一年生」 年長の夏頃。小学校への意気込みがすごい。)

幼稚園は、行く意味を見いだせなかったけど、小学校は勉強が出来るのだから、知的好奇心が強いみぃは期待いっぱい。歴史の勉強したいな!とか。(それ、六年生からだよ…)

勉強だけでなく、友達のことも、給食のことも楽しみにしていました。

わたしは内心、期待し過ぎだよ、困ったなぁと思っていました。

それでも、入学式の服を選んだり、ランドセルを揃えたりすることは、わたしとしても前向きで楽しいことでした。

入学式の朝。みぃは、とってもルンルンでした。笑顔で学校に向かいました。

入学式と書かれた看板の前でも、昔から変わらずのモデル風ポージング。(二歳から、カメラを向けると指さき、爪先、首の角度など神経の行き届いたポーズをさっと決める、決してカメラ目線、ピースサインなどはしない。ポリシーと表現力が凄まじい)

そして、入学式の退場の時も、一人だけスキップという変化球。さすがでした。

しかーし!式が終わって教室へ移動し、席に着いたら、もうその時には笑顔は消えて、机に突っ伏して無言。

体育館で記念写真の撮影のときも、もう限界という雰囲気。

その日の夜、布団に入ったら、少し悲しそうに、遠慮がちに、「あした学校ある?」と聞いてきて、「うん、でも明後日は休みだよ」と告げると、「よかった」と言ったのでした。


入学式の日は誰だって疲れるけど、疲れただけじゃない、失望というか、悲しみというかをわたしは感じました。膨らんでいた期待の風船がもう萎んでしまったような。

翌週一週間はなんとか普通に登校したけど、そこからは行けば行くほど、元気をなくし、表情が消えていき、様々な体調の変化も起きていきました。

学校がつらくなるの、思っていたよりも早かった。まだ二週目でした。


いま思うと、入学式の日にいろんなことを察知したんじゃないかな。もしかしたら、「ここはわたしのいるべき場所じゃない」。そんな感覚的な。


なにせ、並々ならぬ感性の持ち主です。4、5歳で、人は何で生まれてくるのだろうとか、怒りとは、嘘とは、笑顔とは、など哲学するような子ですから。

担任のベテランの先生は、学校に来ていれば、少しずつ楽しくなっていきますと言ったけれど、学校は自分らしさを封印するしかなくて、歴史が好きなことも、おかしいと思われると隠し始めました。学校で書くものは、周りに合わせたものへ同調し始めました。本来は独創的でユーモアに溢れているのに。

しかも、運が悪く、担任が厳しく威圧的な先生。細かいルールを徹底的に守らせるので、教室には常に怒られる子がいる。

縄文時代の身分の差のない平和な暮らしに夢を抱くようなみぃにとって、封建的な先生との関係性は悲しいものだと思います。

さらに、みぃは全体指示が入りにくく失敗を繰り返してしまうので、やり直しをさせられたり謝ったりする場面が多い、などのことから、教室ではずっと肩に力が入って、緊張と不安の連続。ストレスで、感覚過敏もひどくなりました。「学校は光が多すぎる」と言い、家でも光過敏を発動するようになってしまい、カーテンを閉め、夜はテレビの明かりだけで生活した日もありました。爪噛みや、おねしょなども復活しました。

一番の変化は、毎朝「学校」ということばを聞いた途端に、ため息、表情がなくなり、言葉が出ない。寡黙になることでした。

早退したり、遅刻したり、休ませたりをしながら、学校に連れて行くときは一生懸命励まして、なんとか連れて行く。時には、声もなく涙を流しながら。わたしも毎日午前中はみぃの気持ちに引きずられて憂鬱。二人して朝がとてもつらかったのを覚えています。

六月二週目からは、ついに通級にだけ、登校させることにしました。家では、学校のプリントを見ると「悲しい気持ちになっちゃう」と言うので、宿題も出来なくなりました。

本来は学ぶことが大好き、思考することが大好き、創作することが大好きなみぃです。

学びの意欲を失って、キラキラした表情が消えて、体調も崩して、というところまできたから、もうこれ以上は無理をさせられないなと思いました。ここまでが限界だなと。今思うと親のわたしのリミットだったのかな。みぃの気持ちは、入学式の夜には学校から離れていたけれど、親側が納得して離脱できるようになるまでに時間を費やしたのかなと思います。

限界まで頑張ったからもういいよね、と思えた。それが六月でした。

みぃが学校がつらかった理由は、いくつもあると思うのですが、『芸術家に、画一的教育が合うわけないよね』という一言でも言えてしまうかもしれません。(本当に明確な理由は本人だって分からないかも)

わたしは岡本太郎が好きなのですが、彼も小学校をドロップアウト。我が子を太郎にあてはめると、いろんなことが、そりゃ無理だよね、と思えます。一日中、先生の指示で動くことや、決められたものを書かされることなど。TAROもやらないはず。(笑)

(2016年 岡本太郎とみぃ。川崎市岡本太郎美術館。アンニュイな表情でカメラから視線は反らしています。)

(みぃ画、6歳。)

結局、みぃが元気に登校したのは、入学式の朝だけでした。悟るの早かったー!

これが、ホームスクールに至る過程です。今は週に一度の通級には元気に通えています。たまに、給食だけ食べに通級に行ったりもします。先生たちと歴史や美術館の話をして盛り上がっています。(先生方、盛り上げてくれています)

※タイトルバックの写真は、箱根彫刻の森美術館。一年生の四月。学校がスタートして三週目の平日。ここまで学校すごく頑張ったから思い切りリフレッシュしよう!と学校を休んで家族で日帰り旅行をした思い出深き日です。

本日も長文読んでいただき、ありがとうございました。

#不登校

#ホームスクール

#アート

#美術館

#岡本太郎











































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?