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神社仏閣巡りの記 (1) --浅草寺その2--

 僕は貧乏でバカが多い下町の育ちのクルクルパーだったので浅草寺には度々行ってたのだが、浅草寺が観音様のお寺だって知ったのは大学に入ってからだった。その上、浅草寺の周りのあたりにも色んな名前の通りがあったりするのを知ったのも大学に入ってから。さらに言うと、境内に立派な五重塔があるのに気が付いたのは小学校高学年になってからだった。ただ、クルクルパーはクルクルパーなりに浅草寺の中に浅草神社があり、そこで三社祭っていうのをやって、吉原っていういかがわしい所が浅草寺の北の方にあるっていうのはやはり学校の友達だかから聞いて何となく知っていた。
 ガキの頃から親しんでいるがゆえに情報をアップデートしないのでこのように無知なので、従って未だに浅草の界隈は無知であり、なんとなくあの辺にあんな店があった気がする。あの角曲がるとガキの頃おばあちゃんに連れてってもらった寿司屋があるぞくらいの解像度でしかとらえられていないし、困ったら都バスか東武でうちに帰ればいいし、最悪歩いて帰れるやっていう甘えのようなものがある。

 そういう自分の浅草についての無知に気が付いたのは先ほど述べたように大学に入ってからだった。僕はクルクルパーだったので、その当時は浅草あたりは六区か雷門かしかわからない田舎ものであった。

 あるとき、ある女と浅草に行くことになった。大学生の頃だった。
 何故か新宿で待ち合わせをしてから中央線で神田に行って、銀座線に乗り換えて浅草まで行った。

 銀座線というのは日本で一番古い地下鉄で、俺がガキの頃に東洋最古の地下鉄銀座線開業70周年記念とかいうのをやっていた。その中でもとりわけ古いのが上野と浅草の区間で、これが昭和二年に開業している。

この時代には今の地下鉄のようなシールド工法というのは普及していないし、何といっても東京一古い地下鉄だから一番地べたから近い所、つまり、浅い所を走っている。何がいいかというと、階段をそんなにたくさん下らなくてもホームにたどり着ける。そしてその他にも鉄道好きには興味深い話があったりするのだが、その女は傾聴がやたらとうまく、僕のそういうくだらない理系っぽい話に一々相槌を打ったりして聞くようなやつだった。

 浅草の駅を降りると地下のちょっとバッチい感じの地下街がある。やはり僕がガキの頃からあり、ここを通ると仲見世の途中あたりに出られて、浅草寺にお参りに行くにはいい感じのショートカットになる。昔の地下街なので、狭苦しく地上出口も今では到底建築許可が出ないようなちょといかがわしい所から出ることになる。

 ただ、そこを通るとその女と時間をつぶす尺が短くなってしまうので、ただしく地下街を通り抜け、一旦東武の浅草駅の方に上がる階段から地上に出て、松屋デパートを眺めて雷門の方に向かった。大体その手の人たちはああいったレトロだけどモダンな雰囲気が好きなことが多く、僕も松屋はガキの頃からしょっちゅう来ていたので心得たものだった。
 松屋の方を冷やかしてから雷門に行くと、その日は7月の上旬でほおずき市が始まる前の日で、植木屋さんたちがほおずき市の準備をしていた。

 うちの近所の家は浅草の勢力圏内に入る地域だったので、夏が近づくと軒先に自分ちで育ててるほおずきを出したり、ほおずき市で買ってきたほおずきを出してる家がおおかった。うちの親は朝顔や鉄扇が好きだったのでほおずきは置かなかったが。
 そして俺たち洟垂れのクソ小学生たちはクルクルパーなので、赤い色を見ると目立ってなんかいじり倒したくなるので学校の帰り道にそういうほおずきを出してる家のほおずきを摘んで中を剥いて玉を出して齧ってはうまくねえと捨てて歩いて帰る。今では警察に通報されるような蛮行だし、昔もそんなことをすると怒鳴りつけられるのだが、そういうことをするクソみたいな時代だった。
 因みに俺たちはバカなガキだったので、ほおずきに毒があるなんて言うのは知らずに毟って、中身を齧ったりしていた。ほおずきに毒があるって知ったのは高校生くらいの頃だった。

 ほおずきを自宅で育てるとこもあったが、ほおずき市で買ってきたほおずきとは違いが一目瞭然だった。
 まず、ほおずき市で買ってきたほおずきはこじゃれた籠にぶるぶら下げられていて、その籠を見るとあれはほおずき市で買ったもんだってわかる。その次に、これが一番大事なのだが、ほおずき市で買うほおずきはプロの植木屋が育てたものなので、ほおずきの粒が小さく揃っていて、しかも色が鮮やかに出る。
 素人が軒先で暇つぶしに育ててるようなのはちょっと色が薄かったり、大きさもまちまちだったりして、さすがのクルクルパーのガキにもわかるものだった。俺たちクルクルパーの中のいちの馬鹿が例えばほおずき市で買ったほおずきに手を出そうとすると比較的ものを知ってるクルクルパーが、それはほおずき市で買ったやつだからやめとけとたしなめるのだった。しかしご近所のおじさんやおばさんが大事に育てたほおずきを黙って毟っていい道理もないので、所詮たしなめるクルクルパーもクルクルパーであることに変わりはない。

 ほおずき市もいちどこでやるかとか、どんな感じのものが売ってるかなんてのは知ってるのだが、やはり混むし、ほおずきを買わない家だったので、ほおずき市に行ったのはそのときが初めてだった。
 流石に大学生だったので、なんかいわれがあったりするのだろうとは察してはいたのだったが、未だによく知らないでいる。詳しいのはこっちのホームページに載ってるので興味があれば見ていただければと思うし、ほおずきはいいものだからほおずき市にもぜひ一回行ってみてほしい。

 その女にほおずき市のことをわからないなりに話しながら境内を進み、お寺でお参りをしまして、仲見世の戻りしなに右に曲がるとそこに伝法院通りっていうのがある。この通りの名前を知ったのもこのときが初めてで、そこを進むと六区の方に出る。
 そのあたりにはちょっと前に話題になったお寺の境内に不法占拠してたといわれてる出店なんかがあるが、その当時はそんなことも知らずに、冷やかしながら歩いて行った。

 そうしていくとこちらも浅草で有名な天ぷら屋の大黒屋があり、

更に進むと浅草の公会堂がある。スターの手形なんてのが脇にあったりして、さらに進むと浅草の演芸場がある。この辺は浅草芸人といわれる人たちが活躍するところで、ビートたけしとかナイツが出ていたりするし、寄席の名所だったりするのだが、俺は落語が好きなガキだったので、祖母に寄席に連れてってくれとせがんでもあんなところは子供の行くとこじゃないと連れてってくれなかった。未だに行けてないがいつか行ってみたいものである。

 それをさらに進むと国際通りに行き当たるのだが、つくばエクスプレスの浅草駅はこの国際通りの下にあり、その女と浅草に行ったときにはじめてその場所を知った。

 国際通りに出ると車通りも多く、五月蠅くてかなわないので適当なところで左に折れて新仲をぶらぶらしていると段々日が陰ってきて、腹が減ったからあっさりしたものを食いたいというので、俺は浅草で唯一知ってる尾張屋 (前紹介した蕎麦屋) に連れていき、かるく冷酒を二合頼み、おしんこと板わさをつつきながらちびちびとやり、話をして一しきり飲み終わった頃合いでお蕎麦を頼んで、さてこの後どうするべえかと思案していたら、親から急ぎの用があるのですぐに戻れなんて言われてしまった。

 浅草は古い町であるから昔ながらのオーセンティックな喫茶店やバーがあったりするし、神谷バーなんかもあったりする。ここの電気ブランはいかにもで好きであり、ベタベタに神谷バーに行くかそれともちょっと奥まったいい感じの所に行こうかなんて考えてたらこのざまだった。

 その女といると確かに俺はツキがなかった。
 全然ついてなくて、そいつと会うと次の日かその次の日に大抵ろくでもない目に合う。
 それでもなんだかよくわからず付き合ってたのだったが、親の話を聞くにそれなりに深刻そうであり、しかし目の前の女は何かよくわからねえけどニコニコしてるし、さてこれは本当にこの女が悪いのか、それともたまたまなのかわからなくなってしまった。
 よくわからないまま、酒に酔った頭で物事を考えてもいいことが思いつくこともなく、蕎麦を啜りながら今日はここら辺が潮時だなと思い、親に今遠くにいるから明日行くと連絡し、その女をつくばエクスプレスの浅草駅まで送って俺はその足で東武の浅草までほっつき歩いて当時借りていた激安狭小アパートまで帰った。

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