
富士山登頂記録(驚愕のラスト4行)
日本一高い山「富士山」
標高3,776メートル。
言わずと知れた日本を代表する山である。
富士山に魅了される者は多い。写真で切り取っても、絵で切り取ってもこれだけ美しい山は世界を見渡しても数少ない。
そんな富士山を僕は登頂した。約20年前、あれは忘れもしない夏の日のこと。ここに登頂記録を残しておこうと思う。
同じ過ちを犯すものが今後生まれないことを祈る。
大学2年生か3年生。若気の至りといえば、犯罪以外全てが許される年である。僕は大学にもろくに行かず、バンドとアルバイトに精を出していた。
アルバイトはファミレスのような寿司屋のウェイター。その寿司屋がなかなかユニークでとても楽しかった。
洗い場や裏方の料理場には住み込みのミャンマー人が大勢いた。週1休み日14時間労働という労働基準法違反待ったなしのミャンマー人たちと僕は仲が良かった。
片言の日本語と、教えてもらったミャンマー語の下ネタ。これだけでコミュニケーションは充分取れる。
きっと世界の共通言語は英語じゃなく下ネタだと思う。
洗い場に行っては下ネタ、飲み物を作るパントリに行けば下ネタ、ミャンマー人がいるところではとにかく楽しく下ネタを連呼していた。
「リーソゥバ!サパイェメ!」
ミャンマー語を知っている人ならヒクに決まっている言葉は常に大爆笑だったんだな。
そのせいか僕はなかなか人気があって、ある同い年位のイケメンミャンマー人男子から異性として好かれてしまった。
それを教えてくれたのはミャンマー人の次郎さん(日本の通称)で、「シンちゃん(僕のことね)のこと好きよ、ほんとだよ」と、とてもいらない情報を受け取ってしまった。
名前は確か一郎くん(日本の通称)。一郎君はあまり日本語が話せないので、下ネタのコミュニケーションしかしていない。なのに人は人を好きになるということは不思議だった。
しかし聞けば、一郎くんは近々ミャンマーに帰ることになっていた。そこで一郎くんから次郎さん経由でこんな提案があったんだ。
「富士山に登ってみたい、シンちゃんと」
そんなこと言われたらさぁ、ボーイズラブとかに興味は無いけど一緒に行くってのが漢ってもんじゃん。
もしかしたら新しい世界も開かれるかもしれないし。。。
そんな淡い期待もあって、二つ返事でオーケーを出した。
そしたら、次郎さんと一郎君が明後日休みっていうから、明日の夜から富士山に行くことに決めたんだ。
バイトは17時-24時。1回帰って僕の実家のハイエースで行くことになった。
メンバーは僕、次郎さん、一郎君、日本人のモギさん(当時28くらいに先輩フリーター)で行くことになったのだった。
ほぼほぼみんな寝ないで富士山に向かった。僕が運転し富士山の五合目あたりまで車で行く。(吉田ルートかな)
早朝6時、一郎君念願のシンちゃんとの登山が幕開けだ。
ここで補足、当時インターネットは僕らにはちゃんと流通しておらず、ほぼ何も情報なしで富士山に来ている。
服装を説明しよう。
Tシャツにハーフ・パンツ・スニーカー以上である。持ち物はコンビニでおにぎり3つとお茶を1本買った。コンビニ袋をぶら下げての登山である。
僕らが知っていた情報は「富士山は結構登りやすい山である」という情報だけで、東京の高尾山とかそんなレベルで物事を考えていた。
アルピニストからはぼろくそに言われても仕方がない。とにもかくにも僕らはTシャツ・ハーフパンツ・コンビニ袋というちょっとした散歩気分の登山を始めたのだった。
富士山を登り始めて秒で気づく。
「この山をこの格好やばくね?」「こんなお散歩気分誰もいなくね?」
夏場でカラっとしたいい天気とはいえ、皆一様にそれなりの装備をして山を登っている。こんな散歩気分は僕らだけで山を冒涜しているとしか思えない。
最低でも帽子・長袖・リュック・タオル・飲料は必要な装備なのに、なぜ誰も提案しなかったのだろう?
杖を持っている人も多い。杖は疲れを軽減させてくれそうだ。そりゃ嫌な予感はしてくる。
当然予感は的中。登っても登っても一向に進まない。ロープを使う岩場などそういった場所はないが山は山である。
片道登りで7時間くらいかかるんだね。情報不足で2、3時間だと思ってると痛い目に合う。20歳くらいの若いパワーをもってしても、不眠で登る山ではない。
それでもミャンマー人の一郎君と次郎君は元気そう。日本人のモギさんと僕は疲れてる。
やはりブラック労働を続けるだけある。日本へ出稼ぎに来れるなんて優秀に違いない。まったくタフな人種だ。
最初は僕だって得意の下ネタでコミュニケーションを取っていたけど、しまいには無口になってくる。
朝6時から登り始めて途中で秘密兵器のおにぎりを食べて、お茶を飲む。これで晴れて手ぶらで富士山だ。
山頂まではもうすぐというところまできたが、もうヘトヘトだった。もう歩きたくない。不眠でここまで来たことも影響して眠くて仕方がない。でも、ここまで来て引き返すこともできない。
そしてそして、午後2時頃どうにかこうにか山頂に到着した。感動の景色と達成感!と思いたいところだが、富士山からの景色を僕は覚えていない。
感動よりも疲れと眠さがピークだったんだ。そして、こともあろうに僕とモギさんの2人は山頂のベンチで感動もつかの間仮眠を取ったのであった。
仮眠中は上を向いて寝ていた。なんだか無性に暑く、寝苦しかったことを覚えている。
ミャンマー人の一郎君と次郎さんは少し山頂を散歩してくるといい、まだ歩いていた。つくづくタフだと思う。
しかし、この山頂での仮眠が最悪で、1時間後の3時ごろ起きたときには頭がガンガンとして割れるように痛い。
俗に言う高山病で、吐き気を伴うほどの頭痛に僕は耐えられなくなる。
体もズシンと重い。
暗くなる前までに帰らなくては!登頂の感動も薄ーく帰路に向かう。頭痛はそしてピークに向かう。
突然の吐き気と共におにぎりを富士山に吐き出した。頭が痛い、気持ち悪い。
一郎君が僕の背中をさすってくれる。
一郎君やさしい。ありがとう。今なら抱かれてもいい。
それにしてもこんな地獄があるとは思わなかった。早く帰りたい。早く寝たい。もはやその気持ちしかなかった。
下りはそんな気持ちがあってか、上りのスピードの3倍以上のスピードで進む。2、3時間で下山してしまった。
下山したときに気づく。ビックリするぐらい頭痛と吐き気がなくなっている。
何だったんだ。あの時に感じた死ぬほどの頭痛と吐き気は?
僕はもう一度富士山を見上げた。
少し前まであそこに僕はいたことがとても信じられなかった。
夕焼けの富士山を見ながら、富士山はやっぱり下から眺めるモノだと理解したのだった。
そして翌日。
僕とモギさんは悲惨なことになる。富士山の頂上で寝たせいか顔は顔の日焼けがとてつもないことになっていたんだ。
顔中の皮がボロボロにはげ、真っ赤に変色していた。
とても接客できるような状態ではないと店長から怒られて、次郎さんに代わって飲み物を作るパントリをするよう指示された。
一郎君と次郎さんはというと日焼けもせずにピンピンしている。どんだけ彼らはタフなんだ(笑)
ギチギチの体で一日のバイトを終えて、次郎さん、一郎君、モギさんと改めて富士山登頂を振り返る。
「山頂で上向いて寝なきゃよかった」僕はつぶやいた。
日焼けも高山病も山頂での昼寝の影響だろう。
そこで、一郎君と次郎さんは顔を見合わて肩をすくめた。
僕はハッとする。
僕が寝ている間に一郎君は起きていた。
何をされていてもそれは思い出だ。
扉は開かれている。
富士山は心と体を開放してもおかしくない。
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