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最高の幸福に真っ直ぐ至る道(ロゴスの書を全編無償公開)

「誰もが何が何でも実践できる簡単な教えをわかりやすく説く必要がある」

と言われたんですよね。
誰にと聞かれれば、とある行者にです。

ある日、不思議な夢を見ました。

私にとって、夢は単なる記憶の整理ではなく、高次霊界の景色などを見ていることがよくあるのです。
そのため、極めて具体的な「天の答え」を授かることもあります。

今回の不思議な夢では、雪山からとても大きな体の法衣姿の行者が下りてくるのが見えました。
偉大な行者のような風格を漂わせていました。

その行者から単刀直入に説かれるのです。

「仏教は難しい理論をこねくり回して失敗した」

私は真の仏教に対して、一定の敬意を持っております。
なので、この意見にすべて同意するわけではありません。

一方で、難しい理論をこねくり回すと失敗するのは同意できるものでした。
これはあらゆる宗教に言えることだと感じました。

巨大な行者は、世の中にとって必要なことを説いてきます。

「誰もが何が何でも実践できる簡単な教えをわかりやすく説く必要がある」

私は黙って、行者の話を聞き続けました。

「末世が迫っており、教えが必要」

行者は世の中の行く末を憂いているのだと感じました。
今後の世界の人々についても述べました。

「無責任な人間が横行する」

さらに付け加えると、末世になると「道から外れた人間であふれ返る」と言います。

行者は雪山で至福に浸っていたというのに、世のためにわざわざ下りてきたのです。
その理由が人々のためであることは明白でした。

行者はただ指摘するだけではなく、そのために何をすべきなのかを教えてくれました。

「この本が賢く読まれるようだ」

行者は私のスマホを手に取ると、検索して指し示しました。

「ロゴスの書」

それはかつて私が書いた本でした。
現在、絶版状態にしていました。
(絶版理由は「魂を成長させる方法」という本にまとめたからです)

しかし、どうやらその本がキーになるそうです。
誰でも簡単に実践できて、悟りを得られる教えになるとのこと。

「誰もが何が何でも実践できる簡単な教えをわかりやすく説く必要がある」

まさに、これを実現するのに一つ役立ってくれる本らしいです。

私は、この行者の精神を愛する。
世のため、人のために信念をもって、私に教えてくれました。
気骨の士です。


その信念に深く頭が下がる思いです。

行者よ、あなたの言葉に免じて、「ロゴスの書」を特別に無償公開します。

何年も前に書いた本なので、当時の自分の状況や考えとはだいぶ変わってきています。
一方で、現在も通じる時代を超えた真理があります。

本の内容を凝縮すると、これに尽きます。
「神の至福のエネルギーを味わう。それで悟る」

誰でもできるほど、とてつもなくシンプルな瞑想で悟る道です。
神ロゴス(キリスト意識)の一直線の道です。

こんな簡単なやり方で悟れるのかと思う人もいるかもしれません。
いくつもあるうちの一つの道です。こういう道も本当にあります。
かくいう、私がその実践者です。


それでは特別に無償公開する「ロゴスの書」をお読みください。

「ロゴスの書」

・この本は、人類の最後の進化のためのもの

 すべてを捨てる覚悟がある人が神の至福に至るために読むものです。
 一切の物質的な願望を満たすだけでは満足できず、心底神を求める人のためのものです。
 神の至福でしか満たされないと、そこまでいってはじめて求めるものです。

・最大限の不幸にあっても、最高の幸福に至ることができる

 不幸というものの重さは人によって違いますね。
 違いはあれど、その中でも人それぞれ最大限と感じるものがあります。
 私は今までの輪廻転生の中で、最大限の不幸と言うべき経験をしたことがあります。
 それは愛する人との離別ですね。

 そのとき、私は仕事も無く、友人もおらず、さらには最大限に愛した人と離別することになりました。
 真の暗闇の中で身動きすら取れずに、たった一人小さな部屋の中で力無く眠りました。

 何よりもオーラの輝きを失ってしまった。

 かつて私を取り囲んでいた輝かしい真っ白のオーラがそこにはなくなっていた。
 自己の神性がより強く発露すればするほどに現れる白い輝きがすべて無くなってしまったのです。

 そのとき、真っ黒なオーラに取り囲まれながら沈むように涙に暮れました。
 体中のチャクラが閉じ、息ができないのではないかというぐらいになりました。
 実際には口で呼吸ができているんですが、チャクラが閉じると宇宙エネルギーを吸収できなくなるわけです。

 さらに神から流れてくる無限の愛がハートから流れてこなくなりました。
 これは愛する人との離別の悲しみ。いえ、苦しみともいうべきものが自分を襲い、ある種の防御反応で閉じてしまったのではないかと思います。
 その結果として、本当に世界中が真っ暗になったように感じましたね。
 今まで見えていた澄み切った景色が、世界のどこにも見られないのです。

(結局、人は自らのオーラを通して世界を見ているわけですね。
 自らのオーラに透明感があって輝いているのなら世界は輝いて見え、自らのオーラが暗く沈んでいるのならば世界は暗く見えるわけです。よりオーラ(心の状態)が澄み切れば澄み切るほどに、世界の真実がはっきりと美しく見えるようになるわけです)

 そのとき、私はどす黒いオーラに取り囲まれながら、あまりにも苦しくて、あまりにも哀しくて、この世で味わってきたどの苦しみよりも、苦しい状態に陥っていると感じていました。
 今まで得た輝きが大きければ大きいほどに、沈む暗闇の景色の厳しさに打ちのめされていました。
 上りつめた階段の高さが高ければ高いほどに、落下の衝撃は計り知れないものになるということです。
(家の二階から落ちるよりも、二十階建てのビルから落ちる方が厳しいというわけです)

 何もできず、苦しみ、うめきながら、ふと気づいたんですよね。

「これは……これは私だけの苦しみではない。
 愛する人と離別することになる。これはすべての人たちが味わうかもしれない苦しみで。
 いいや、これだけではない。
 もっといろんな苦しみが世界にあふれていて、それこそ世界中に苦しんでいる人が山ほどいる」

 私は満身の思いを込めて、祈りました。

「愛する人と離別する悲しみは私だけの悲しみではありません。
 この世界にあふれる苦しみは、私だけの苦しみではありません。
 どうか……どうか、神よ!」

 そこには病気で苦しむ人もいるでしょう。
 戦争で苦しむ人もいるでしょう。
 愛する人を失って悲嘆にくれる人もいるでしょう。
 成功できずに苦しんでいる人もいるでしょう。
 世界にはありとあらゆる苦しみがある。

 目先の解決ではなく、心底の答え。
 絶対の解決を魂の奥底から私は望みました。

「神よ、このすべての苦しみを超克する方法をお与えください。
 私のこの苦しみは、全人類の苦しみです。
 全人類の苦しみは、私の苦しみです。
 すべての人類が幸福になる答えをお与えください。
 もう何者にも左右されない幸福(救い)が欲しいのです」

 何者にも左右されない幸福(救い)
 それは地上の出来事に一喜一憂して生きることではなく、神の絶対の幸福の中で生きたいという願いでもありました。
 もう他には何もいらないと思い、神だけを求めた。
 そのとき、昔捧げた祈りを思い出しました。
 両腕を広げて、神に自分のすべてを投げ出して願ったこと。

「人類救済の旗印となれ!」

 無限の生命力が自分に降りてきてそれが全宇宙に解き放たれるとき、大きな光が生まれます。
 その大きな光が人類救済の旗印になることを願ったのです。
 かつての祈りを思い出しました。

 いつか、私は人類救済の旗印を求めました。
 それを思い出してから私は暗闇のどん底の中で、一週間ぶっ通しで祈り続けました。
 それこそ寝ても覚めても、夢の中においてさえも祈り続けました。

 今、私が立たされているこの暗闇。
 それは全人類が味わうであろう暗闇。
 チャクラが閉じ、愛に閉ざされ、神と距離を置いた人々の苦しみだと思いました。
 全人類救済の答えをひたすらに求めて、祈り倒しました。

「神・ロゴスよ、どうか現れてください」

※ ロゴスとは神の超知性の現れであり、神の表現の一つ。
 人々に意識を吹き込む究極の意識。
 全人類が共有する意識の根源であり、神そのものです。
 「アベル」とも言われ、「キリスト意識」とも呼ばれる存在です。

 祈りが極限まで高まると突如として、金色の逆三角形が降りてきました。
 それが頭の中に入ると金色の正三角形と合わさり、額で金色の六芒星が完成しました。
 頭の中から金色の光があふれだしていきます。
 体中に至福のエネルギーが満たされて、ありとあらゆる悲しみが癒されました。
 それは一瞬の出来事でした。

「これはどういうことだろう?」

 本当に不思議な思いでした。

 神・ロゴスが降臨した。
 いいえ、正確には私の内面に元々あったものが目覚めたというべきでしょうか。
 それはすべての人々の中にある神意識です。
 それがよりはっきりと目覚めた。
 ただそれだけで、さっきまでの暗闇は嘘のように晴れて、私は至福に満たされてしまった。
 愛する人と離別したというのに、自己の内面にはまったく悲しみがない。

 それどころか、計り知れないほどの幸福なのです。
 今までのどの瞬間よりも幸福であれる。
 そのときにすべてが分かりましたね。

「ああ、出来事ではないんだ。幸福には何の条件もない。何も無くてもこの神の至福のエネルギーに満たされれば、すべてを超えた幸福に至れる」

 それで私はすべてが分かりました。

※神・ロゴス(アベル=キリスト意識)が降臨したのは2014年11月末のことでした。

・よりはっきりと目覚めた意識の中で

 愛する人と離別したときに人は悲しいと言います。
 確かにそれはそうなのです。私も本当に悲しかった。
 しかし、神の至福のエネルギーに満たされると、それがあっけなく過ぎ去ってしまった。

 まったく悲しいという気持ちはありません。
 それどころか恐怖もありません。
 不思議なことに幸福なんですよね。
 自己の内面の光によって、至福という至福の中にあれます。
 問題だと思っていたものが問題ではなくなってしまったのです。
 悲しみや苦しみを感じる自分というものは、あくまでも作られた価値観。
 あるいは錯覚ともいうべきものによって、そう感じていたに過ぎないということ。

 それは人の思いが作り出した影に過ぎなかったということ。
 その影こそが苦しみの原因に過ぎなかったのです。
 病気の原因に過ぎなかったのです。
 もし、人が自己の内面にある至福の光に一瞬でも触れたのならば、すべてを超えて幸福になれます。
 出来事にまったく左右されることのない絶対の幸福があります。

 当時、こんなことが存在するのかという衝撃がありました。
 こんな一瞬にして闇が過ぎ去るのかという驚きもありました。
 あらゆる出来事を超克して幸福であれる。
 私は今回の人生でも、あるいは過去生においても多くの過ちを犯してきました。
 幸福に値しないと思ってきました。
 解消しなければならないカルマがあると思ってきました。
(これは私個人のことだけではなく、誰もが何らかの失敗をしていることと共通します)

 しかし、それらの「行為」を超えて、私は一瞬にして幸福になってしまったのです。
 すべての過ちやすべての出来事を超えて、私は至福を得てしまった。
 何百年という修行すら必要がなかった。
 これは比較対象の無い驚くべきことです。

 すべての人たちが救われる間違いない答えと言っても過言ではありませんでした。

「神の至福に触れさえすればいい」

 そうすれば、すべての災いは正される。
 例外なく、すべての人が幸福になれます。

 すべての病気は、魂の不調和が根本原因です。
 ところが、神の至福に触れれば魂の不調和が正されます。
 病気の原因を正せば、体の病気も治るというわけです。
 悩みの原因が無くなるというわけです。


・それからさらに祈りに祈った

 至福のエネルギーに触れれば、人は癒されてしまうわけです。
 一瞬にして至福に至れるわけです。
 これをどうやって伝えていくのかを考えました。
 自己の内面から誰もが引き出せるようにする方法を知る必要があったわけです。

数日間ほど熟考したのちに、こう神に祈りました(2014年12月はじめのこと)

「私だけではこの至福のエネルギーを伝えるのには不十分です。どうか、この至福のエネルギーを伝えられるマスターを遣わしてください」

 私は能力的にも人格的にもまだまだ成長途中だと感じていました。
 そこで、このエネルギーを100パーセント正確に伝えられるマスターを欲したのです。

(この至福の瞑想体験は、あまりにも個人的なものでした。
 私だけが目覚めて、私だけが得たものでした。
 それを普遍的な体験に昇華するためには、同じように目覚める人が必要でした。
 再現性が必要でした。
 そして、その技法を確立する必要があったのです。
 あらゆる人々のために個人的な体験から客観的な体験へ)

 こうも神に向かって祈りました。
 神エネルギーを伝えられるマスターの条件についてです。

「真の霊能力がなければなりません。それも卓越した霊能力です。
 妄想ではいけません。はっきりと客観的に見えるような力がなければなりません。
 アボリジニの末裔でもいい。インディアンの末裔でもいい。生まれながらの霊媒体質があるのが良いでしょう。
 人格的にもバランスが取れていなければなりません。
 愛があって、知恵があって、何よりも勇気がある人が良いです。
 不正に屈するようではいけません。さりとて、人に厳しいようではいけません。
 道を踏み誤ってしまった方のような弱さがあってはいけません。
 禁欲主義でもいけません。さりとて欲望に屈するようでもいけません。
 すべてのバランスの取れた方でなければいけません。
 悪鬼を滅ぼすだけの力を持ち、それでいて慈愛のある人を遣わしてください」

 過去、聖人に達するだけの資質を持ちながら悪魔に魅入られて堕落した方々がいました。
 だからこそ、私は誰にも屈することのない力のあるマスターを求めたのです。
 そうでなければ、神・ロゴスのエネルギーを純正(完全純粋)に伝えられないと思ったのです。

「地上に転生されているマスター。人間に生まれ変わっているマスターを遣わしてください。
 それでいて私が会いに行ける場所。そう、日本にいるマスターでお願いしたいです。
 その師からこの至福のエネルギーについて学びたいです。
 100パーセント正確に神のエネルギーを伝えられる人がよいのです。
 薄汚れたエネルギーの伝え方をするようではいけないのです。
 純粋に100パーセント、この神エネルギーを伝えられるマスターを遣わしていただきたい」

 この祈りを行ったその日のうちに、そのマスターは現れました。
 アボリジニの末裔で、過去生から戦士としての資質を持つ御方でした。
 愛と知恵と勇気を兼ね備えた力のあるマスターでした。
 また、私の前世でも教えてくれていたマスターでした。

(追記。そのマスターこそ、シャノン先生でした。先生の自伝は下記の本にまとめています)

 祈りの条件をすべて満たしていました。
 神・ロゴスは、全宇宙すべてに存在している超知性です。
 ゆえに地球上のすべてを見通すことができる。
 だからこそ、条件に合った人をすべて参照して選ぶことができました。

 そのマスター(シャノン先生)「驚いた」と言います。

 なぜか突然、神の究極の至福に満たされたということでした。
 それは今までの計画になかったことで、交流している神々にも告げられていない空前絶後のことだと言います。
 キリスト意識(アベル意識=神ロゴス)に目覚めてから、私の前に現れたということでした。

(ありのままの事実だけを述べると、シャノン先生がキリスト意識に目覚めたのは2014年12月はじめ。
 まさに私が祈ったタイミングで、シャノン先生は目覚めたのでした。
 私が2014年11月末に先に目覚めて、その後の2014年12月にシャノン先生は目覚めたのです。
 弟子の私が先に目覚めて、後に結ばれることになる奇妙な師弟関係が生まれました。
 私が神に条件に合った師を選んでもらったのです。
 目覚めにも段階があって、最高レベルがキリスト意識の目覚めです)

 ロゴス(キリスト意識)
 それは人と神々すべてに意識を吹き込んでいる究極の超意識。

 それに触れれば、至福に至ることができる。
 神々よりも上位意識の存在であり、完全なる御方(究極の神)の至高の表現の一つです。
 ゆえに、創造主の子である神々ですらロゴスの降臨は知る所ではなかったのです。

 なぜ、突然目覚めたかはわからないと、そのマスター(シャノン先生)は言います。
 理由は考えても分からないから考えないと言います。
 人のあずかり知る所ではないということでした(また私も説明しませんでした。必要を感じなかったので)
 しかし、現れたマスターは目覚めたがゆえにこの至福のエネルギーを伝えていくということでした。

 そこで私は教わることができたのです。
 誰もが至福のエネルギーを降ろす方法を。

・光を浴び続ける日々

 師(マスター)との出会いによって、を浴び続ける日々が始まりました。
 光と一口に言っても、太陽の光とは違います。

 マスターから放たれる至福のエネルギーが、一種の光のように見えるから「光」と言っているわけですね。
 霊的な光と言っても差し支えありません。
 その霊的な光を浴び続ければ浴び続けるほどに、意識が目覚めていきます。
 光を浴びることはとても幸いなことなのですが、一方で神エネルギーはまったく地上の光とは異なります。

 とても鮮烈なんですよね。
 ですから、それを浴び続けると自分の内面の闇が照らされていきます。
 私は目覚めたとはいえ、まだ完全に自己の内面を照らし切っていませんでした。

 神は、その瞬間に許容できるだけの光を私に与えたわけですね。
 そこでさらに光を受け入れていくわけですが、それが本当に辛かったです。
 過去のトラウマ、過去の嫌な思い出、過去のありとあらゆる考え。
 未来の考えも現在の考えも、ありとあらゆるすべての記憶、感情、思いが照らされます。

 特に後ろ暗いものはすべてあぶり出されていくわけですね。
 にきびを潰すような痛みが心に伴います。
 ぶちぶちと過去の闇を潰して、吐き出していくわけですね。

 そうして、すっかり内面が綺麗になって、はじめて光そのものの自分と出会えるわけです。

 そのためにマスターから光を浴び続けるわけですが、その光が強ければ強いほどにトラウマと向き合うときの心の痛みが強く、逃げ出したいという気持ちが何度もやってきました。
 効果があればあるほどに、あまりにも強力な精神的デトックスが発生したのです。

 具体的には、過去のトラウマが思い出される。
 それが光に潰されて、薄汚れたエネルギーとして口からどろどろと出てくる。
 痛みを伴って過去の嫌なことが思い出される。
 それが光で打ち消されてニキビを潰すような精神的な痛みを伴う。

 どんどんと体から膿を出していくように、精神的な汚れとなっていたエネルギーがオーラから排出されていきました。
 光を浴び続ける日々とは、その繰り返しです。

 それに耐えに耐えて、二年。
 気づいたら、すっかり以前のような恐怖が無くなっていました。
 悲しみに暮れた日々が無くなっていました。


・ある日、金色の光が眉間を貫いて

 突然、部屋の天井に金色の光がほとばしるのが見えました。
 それが降りてきて私の眉間を貫きました。
 ああ、すべてはひとつだったのだということがそのときに分かりました。

 三位一体について理解ができました。
 神、聖霊、ロゴス、この三つがひとつであるという話が本当の意味で理解できました。
 決して、それらは分離しているものではないのだということ。


・そこで話をしましょう。ロゴスについて

 ロゴスとは何でしょうか。
 このことを語らずして、この本は語れません。
 なぜならロゴスに触れたときに、神の至福に満たされるからです。
 つまり、この本は神・ロゴスに触れる方法を記したものなのです。

 ロゴスとは神の一つの表現ではありますが、決して私たちからかけ離れた存在ではありません。
 あなたも神であり、ロゴスなのですから。
 ロゴスという言葉は、「論理」とも「言葉」とも翻訳されていますね。
 この言葉自体の意味は、大したことではありません。
 ですから、使徒たちがなぜこの言葉を選んだのかというよりもその裏側の真実の意味について語らないといけませんね。

 まず、概念を明確に統一しましょう。
 ロゴスは旧約聖書では「アベル」に例えられ、インド神話では「プルシャ」と呼ばれ、新約聖書では「キリスト意識」として登場するものです。

 それらはすべて同一のものです。
 ありとあらゆる宗教や神話が言葉を変えて、あらゆる比喩を使って説明しているに過ぎません。
 どうか、このことをご理解ください。
 特有の民族や宗教のものではなく、人類すべてに当てはまる意識なのです。
 西洋人だけのものではありません。
 キリスト教のものでもありません。
 東洋人だけのものでもありません。
 アフリカ人だけのものでもありません。

 全人類、すべての人たちに吹き込む「超意識」です。

・さて、そのロゴスについて具体的に説明しましょう

 ロゴスとは、意識を成さしめる意識。
 すべてに遍在する超知性であり、何かを成すときに作用させることができる「原因」とも言っていいです。

 すべてを成し遂げる「自由意志」の源です。
 あなたには「自由意志」がある。ゆえにロゴスが吹き込まれています。
 では、今からあなたにロゴスが内在していることが分かるように体験してもらいましょう。
 これから説明するのは、あなたにロゴスが宿っているといえる意識について、です。

 今、あなたは左手の人差し指を見てください。
 その左手の人差し指を、右手の指数本でつまんでみてください。
 強くつまんだり、弱くつまんだり。そのときに痛みを感じたりしますね。

 さて、あなたが右手の指で左手の人差し指をつまんだときに、このつまもうとする意識はどこからやってきたのでしょうか。
 やろうと思うことができた。
 その意識の根本があるはずですよね。
 あなたは左手の人差し指を意識的に見ることができ、なおかつ右手の指数本でつまむことができたわけですが。

 そうしようと思えた「意識」とは何なのでしょうか。
 この意識。
 あなたが「意識」をもって行動できるようにしている超知性こそがロゴスです。
 あなたは右手を上げたり、下げたり自由にできる。
 このようにものを動かしたり、止めたりできる。

 この意識的に何かを考えて意志をもって行動できるようにしている根源的な作用がロゴスです。
 ロゴスが吹き込まれていなければ、あなたは意識的に動けなくなります。

 鉱物と同じ存在になってしまいます。

 あなたの「自由意志」を可能にする神の性質こそがロゴスなのです。
 ゆえにあなたは神・ロゴスの現れであり、すべてを成し遂げることが可能な力が宿っています。
 何でも意識的にできるわけですからね。
 どれだけ制限があると言っても、その意識的にできる力によって克服することができます。
 何かをしようと「思うことができる」のは、ロゴスから吹き込まれる意識のおかげなのです。

 すべての人たちが意識・知性を持つことができる根源的な理由と言ってもいいです。
 それがロゴスです。
 すべての人たちにこのロゴスという超知性から「意識」が吹き込まれています。

・さまざまな霊的教師が語っていることで

 宿命論などというものは、相手にしてはいけません。
 なぜなら、あなたには神的な性質であるロゴスの力があるからです。
 そこで、すべての運命を変えることができる「自由意志」があると言っているのです。

 あなたの目の前に邪魔な石があったとしましょう。
 意志のない植物は、それを動かすことができない。
 自然の理に任せるしかないのです。
 そもそも「動かしたいとすら思えない」のです。
 しかし、あなたは自分の「意志」で退けることができます。

 これがロゴスの力なのです。
 これは人生のおいても言えることです。
 今この瞬間においてさえも、どのようにでも人生を変えることができる。

 その「意志」を可能にしているのがロゴスなのです。
 全人類に、神・ロゴスからこの自由意志が吹き込まれています。
 金色の意志の力。
 あなたそのもので、決して分離することができないもの。
 あまりにも一体となっているもののために、ほとんど見つけることができないのです。

 しかし、それは実際的にありますね。
 あなたも感じていると思います。
 自分には「意識」がある。何かをしたいと「思える力」があるのです。
 あなたの神性は無限の可能性を持っているとよく言われますね。

 それはロゴスゆえなのです。
 すべてを成し遂げられる力があるのは、ロゴスなのです。
 そして、ロゴスは神そのものであり、その一部と言っても過言ではありません。
 神と一体の存在です。
 ゆえに「神」・ロゴスと表現する場合もあるのです。
 あなたの神性は、ロゴスにあり。

・神・ロゴスに触れると至福に満たされる

 あなたの純粋な意志そのものを成さしめるのがロゴスです。
 根源的な超越知性です。
 すべての人は、このロゴスを通って神に至ると言われています。
 ナザレのイエスはこう言いました。

「私を通らなければ神に至ることができない」

 そう言ったのは、まさにこのロゴス(キリスト意識)のことを差しているのです。
 私とは、イエス個人のことを差しているわけではありません。
 すべての人の内面にある「ロゴス」のことを差しているのです。
 イエスは神・ロゴスと完全に一体となっていたために、「私」と「神・ロゴス」を区分して表現しなかった。

 そのために「私」という表現を使ったにすぎません。

 「私」とは、すべての知性の根源である「ロゴス=キリスト意識」を差していました。
 もしも自己の内面にある神・ロゴスに触れることができれば、全ての人が至福に満たされます。
 あなたの実体であり、あなたそのものであり、喜びそのものであるエネルギーに満たされるのです。

 私は神・ロゴスの意識に触れた瞬間に、計り知れないほどの喜びに満たされます。
 自然と言葉が出なくなり、沈黙の中ですべてのことを許せる気持ちになります。
 あまりにも幸福で一切の煩わしい地上の迷い事から解き放たれます。
 そのとき、私のオーラはに満たされています。
 実際的に神・ロゴスの至福のエネルギーはです。


・では、どうすれば神の至福に至れるのか

 あなたは神のためにすべてを捨てることができますか?
 至福の扉を開くためには、100パーセントすべてを捨てなければなりません。
 100パーセントでなければなりません。
 師(シャノン先生)はそうおっしゃった。

 100パーセント、完全に神・ロゴスに意識を傾け切る必要があります。   
 それは何かモノを捨てろと言っているのではありません。
 人間関係を絶てと言っているのではありません。
 自己の内面において、すべてをかけて「求める」必要があると言っているのです。
 もしも、神を完全に求めたのならば、今この瞬間にだって無条件にあなたを抱きしめてくれます。

 いいえ、今この瞬間にだって神はあなたを抱きしめている。
 神の愛は遍在(すべてに存在している)ですからね。

 あなたがすべてをかけて求めたときに、やっと抱きしめられているということに「気づく」ことができると言った方が正しいですね。
 やっと感じることができるのです。
 完全に求めなければなりません。完全な集中力をもって。
 100パーセントにならなければ、扉は開かないのです。

 なぜならあなたが求めているのは、完全なる幸福。
 至福とは、完全なる幸福のことを言います。
 完全に求めずして、どうしてその完全なものを得られるでしょうか。
 何かを隠していながら、すべてを明らかにすることなどできないのです。
 偽っていながら真実を語れないように。

・具体的なやり方「至福に入る方法」

 さっき大切な心構えを説きましたが、重要なことはその心構えです。
 これから具体的なやり方をお教えしますが、心構えがなっていなければ何も起きないかもしれません。

 ちゃんと集中することができれば、できるかもしれません。
 どうぞ、覚悟を持ってこのやり方を試してみてください。
 あなたが純粋に取り組むのならば、その日のうちに至福に至ることも可能です。
(人によっては、何年も掛かる場合もあります)

 至福の入り口というものは、みぞおちにあります。
 丁度みぞおちにも「チャクラ」があります。
 すべての願望を叶えることができる場所と呼ばれています。

 しかし、実体は神の至福に至る入り口です。
 副次作用としてすべての願望が叶えることができるだけであって、真の意味は神・ロゴスに至る道なのです。

 今、人差し指を立てて、みぞおちの辺りを差してみてください。
 簡単に指を置いてみるだけでもいいです。
 その指を置いた先に満身の思いを込めて、敬虔な気持ちで意識を集中してみてください。
 ちゃんと集中することができれば、みぞおち辺りにチャクラの入り口の先が見えてきます。
 背中の辺りまで意識がどんどんと通っていって、別次元の入り口が開きます。

 その中を進んでいくと、薔薇十字が見えてきます。
 十字。
 正確には縦と横の長さが同じ十字が見えてきます。
 漢字の「十」の形に近いですね。
 その十字の真ん中に濃厚な紅い薔薇のようなものが咲いています。

 それこそが神・ロゴスの象徴(ミニチュアの表現。魂のシンボル)です。
 その薔薇に集中していると、突然あなたのみぞおちから至福のエネルギーがあふれ出します。
 やがて、あなたは至福に満たされます。
 その十字の薔薇の中を通ることができれば、光そのものの世界に至ることができます。
 この道を通れば、神に至ることができると言われています。
 この単純なやり方がすべてです。


・もしもあなたがいつも薔薇十字に触れているのならば

 至福の中で生きることができます。
 なぜならば、神の至福のエネルギーが常にみぞおちからあふれ出してくるからです。
 それだけであなたは至福に満たされて、その至福がオーラに満ち満ちて幸福に生きられます。

 魂の不調和がすべて正され、すべての病が治ってしまいます。
 しかし、病が治るのは単なる副次作用であって目的ではありません。
 あくまでも神の最高波動に触れることによって、肉体次元にある不調和なエネルギーが分解されるだけなのです。

 真の目的は、至福の中で生きることです。
 神と共に生きることです。
 一切の事柄に左右されることなく、一切の物事を超えて生きることができます。
 神人のごとく。

 私もまだまだ常時、集中できているわけではありません。
 しかし、ひとたび集中して神の至福に触れれば本当に心が満たされます。
 毎日思い出したように、この神・ロゴスの至福のエネルギーに触れるようにしています。
 魂が浄化され、霊的進化が加速していくのが分かります。
 やがて肉体から自由に出られるようになって、神ともっと深く繋がれるようになることを願い、神・ロゴスについて瞑想しています。


・魂の約束「すべてのカルマは懺悔によって引き取られる」

 あなたはカルマを抱えていて、もしかしたら人生に立ち止まっているかもしれません。
 身動きができずに苦しんでいるかもしれません。
 病気だけではなく、人生の間に様々な問題を抱えているかもしれません。
 それらは今までの輪廻転生の間に積み重ねてきたものが原因です。

 法則に外れるようなことをしていたために心身や周りに不調和が現れています。
 本来ならば、法則の通りにすべてが作用し切るのを待たなければなりません。
 それは病気という形を取って、あるいは家庭の問題という形を取って、人生の苦悩という形を取って、何転生もかけて回復を待たなければなりません。

 解消が成されなければならないし、同時に解決を成し遂げなければなりません。
 作用があれば反作用があるように、極めて力学的な純粋な作用があります。
 正確無比な法則の働きがあります。
 しかし、そのすべてのカルマを超克する方法があります。
 すべてのカルマを溶かす方法があるのです。

 私はこう祈りました。

「どうか、マスターの道を開いてください。私は神に至りたい」

 ところが神に至るためには、私にはカルマが多すぎました。
 そうしたら、また神・ロゴスの光が降臨して、地上のマスター(シャノン先生)に宿りました。
 こう、ささやいたそうです。

「約束」

 とだけ。
 それから、「ヨナ」記について触れました。
 ヨナ記について調べて下されば、詳しい話は分かります。
 なぜ、神・ロゴスがヨナ記について触れたのか、ここで解説しましょう。

 昔、ニネヴェという都市がありました。
 その都市の住人は神を忘れ、さまざまな禍々しい行為を積み重ねていました。
 ヨナという預言者が現れて、悔い改めなければ「40日後に都市が滅ぼされる」と告げました。
 ニネヴェの都市の住人は、次々と悔い改めました。

 40日後に都市は滅びませんでした。
 預言者のヨナはそれに驚きました。

 さぁ、ここが重要です。
 本来ならば、カルマが正確無比に働けば都市は滅んでいたのです。
 この話の重要な点は、「ここ」にあります。
 繰り返しますが、カルマ通りに進めば、都市は必ず滅ぶ流れがあったということです。

 これは伝説ですから、実際にあった話かどうかは確かめようがありません。
 しかし、なぜわざわざヨナ記について神・ロゴスが触れたのかということですね。
 それは住人が「悔い改めた」ことによって、「都市が救われた」ということにあります。

 カルマがすべて天に引き取られたのです。

 これは空前絶後のことです。
 天と地と、宇宙の法則が正確無比に働くのならば、カルマの作用によっては都市は必ず滅ぶことになります。
 法則とは誰も動かすことのできない絶対の作用です。

 これは人に例えることができます。
 病気になるカルマがある人は必ず病気になるのです。
 これは物に例えることができます。
 物を手から離せば重力に引かれて地面に落下します。

 しかし、都市の住人が悔い改めただけで都市は救われてしまった。
 天がカルマを引き取ったということです。
 これには預言者のヨナですら衝撃を受けた。
 こんなことがありえるのかというほどに驚いたのです。

 それで神に対して抗議するほどでした。
 ですが、神はその都市を許されたということです。
 すべてのカルマを克服する方法は、ここにあります。

 あなたはみぞおちに集中して、神・ロゴスの赤い薔薇十字にこう祈るだけでいいのです。

「今までのすべての過ちを心から認めます。心から悔い改めます。どうか、あなたの許しをお与えください」

 その思いが真実であるのならば、神・ロゴスの至福のエネルギーがあなたのすべてのカルマを超克するでしょう。
 すべてのカルマを天が引き取って、あらゆる災い(病気・事件・問題)からあなたを救ってくれます。

 やがて、あなたは神に至ることができます。

・神との約束の始まり

 私たちが神から一時的に距離を置くことを決意したとき。
 魂として一つの形を帯びようとしたとき。
 忘れることを選んだとき。
 輪廻転生の旅に出ようと決めたとき。
 その最初に「約束」が成されていたのです。

 必ず輪廻転生を積み重ねていく時、最初は無知なために間違いを犯すことになります。
 そのときのために、神と私たちの間で「許しの約束」が取り決められていたのです。
 悔い改めることで、すべての人がカルマの枷から解き放たれます。
 これは神と私たちの間にある最も尊い約束です。


・ロゴスの作用は、自由意志

 神がカルマを引き取るこの作用について説明しておきましょう。
 卵をかかげて手を離せば、地面に落下していきますね。
 これが重力の作用という訳ですが、そのまま行けば卵は地面に落ちて割れてしまいます。

 もしも割れてしまえば、それがカルマが完遂された状態ですね。

 ニネヴェで言えば、都市が滅ぶ予言が実現する状態です。
 ところが人々が悔い改めれば、その卵の落下は防がれる。

 丁度、神・ロゴスが手を差し出して、卵を途中で受け止めるのです。

 ロゴスの作用について説明していましたが、まさにこれは「自由意志」の作用です。
 自然を超えています。
 ロゴス、その深遠さは、ここにあります。
 人は鉱物ではない。意識ある存在であり、ロゴスという神性を宿している。
 それこそが神・ロゴスによって、すべての人に与えられた「自由意志」です。

 神から人に与えられた力とは、かくも偉大なのです。
 神の持っている力は、かくも偉大なのです。
 世界を自由に生きることができます。

 あるマスター(ダスカロス)はおっしゃった。
 大天使と人間の決定的な違いは、このロゴス的な作用にあると。
 自由意志を持っているところにあるのです。

 あなたはあなたの意志をもって神の至福に至ることができます。
 その方法を教えました。自由に選択してください。

 この本は、最初にして最後に読むためのものです。
 神に至るための方法であり、あなたが真実の意味で幸福に生きる方法を書き記したものです。

 何もなくても、人は幸福になれます。
 自己の内面にある至福を求めればよいのです。
 その場所は、みぞおちのチャクラにあります。
 そのチャクラの先に至福があります。

 何者にも左右されることのない絶対の幸福がそこにはあります。

 これが今まで隠されてきた真実です。
 その至福の向こう側に音と光そのものがあります。
 さらにその先に神がいらっしゃる。
 いいえ、神はすべてに遍在していながら、神の実体がその先ではっきりと感じ取れると言うべきでしょうか。

 私はまだそこには至っていません。
 しかし、必ずその場所を目指すことになります。
 今は、このように本を書いて、人々に教えを説きながら瞑想を積み重ねて成長していくこととしましょう。


(この本を書いていた当時2016~17年前後の段階ではキリスト意識を通って至る「原初の原初」には本当に至ってませんでした。
 2019年半ば頃に超絶的な光明体験を経て、神の実体を拝むことになりました。
 その体験をもって、この本に書かれていることは真実であると告げておきます。
 実際に「ロゴスの書」に書いた瞑想法でも神に至ることは可能です。
 一つの道として参考にしてくださればと思います)


 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。