聖なる本を書くのを妨害してきた悪魔。悪魔を払いのける方法。絶対の勝利者について
どうも、真仙です。
突然ですが、悪魔は実在すると思いますか。
天使がいるなら、悪魔も存在しているのでしょうか。
歴史上の聖人たちを調べ上げると、悪魔と対話している記述が見られます。
キリストも荒野で悪魔の誘惑を払いのけました。
仏陀も悪魔と問答していたと言います。
これらの話は教訓をもたらすために作られた話なのでしょうか。
いいえ、違います。
実は霊的な道を進める時に、悪魔の誘惑を受けることがあります。
決して、抽象的な心の話ではなく、本当に悪魔が存在します。
その試練を乗り越えたときに、また一歩、一歩と霊的な高みに上がることができます。
天使の話もした以上は、悪魔の話もしたほうがいいということで。
この話を知ると、落とし穴に気づいて、災いを避けられることでしょう。
結論を述べると。
この宇宙世界は、光こそが絶対の勝利者となっています。
自分の心の弱さを克服すれば、悪魔など恐れるに足りないとわかります。
あらゆる誘惑や試練をもたらす悪魔から、どうすれば自分を守れるのか。
聖なる守護をもたらす祈り方も、最後にお伝えします。
誰もが知っておいた方がいいです。
霊的な道の脱落者を少しでも減らし、安全に歩けるようにするための話だからです。
シャノン先生は、私におっしゃいました。
「強くなりなさい。自分を守れるくらいに」
霊的な道を歩むと、神の愛と共に深い優しさを身に着けていきます。
しかし、それは決して弱くなることではありません。
断固として、悪に打ち克つ「強さ」も身に着けるのです。
本当に強い人こそが、一番優しくなれる。
今から話すのは、本当にあった話です。
私自身が実際に体験してきたことでもあります。
・悪魔が試してくるタイミング
悪魔はどんなタイミングでやってくるのでしょうか。
実は、試しに来るタイミングが存在しているのです。
この話を聞けば、それがわかります。
今から10年以上も前に、自己流の精神武道を編み出しました。
その精神武道は非常に瞑想的なもので宇宙創造をイメージし、自分を神に捧げて、感謝するというものでした。
その結果として、オーラが白く輝き出すようになりました。
私の兄も一緒に瞑想していくうちに、高度なオーラ視ができるようになりました。
そのオーラ視によって、調子の良い時と悪い時がわかるようになりました。
調子の悪い時は、オーラは暗くなっています。
絶好調の時は、オーラが輝いています。
編み出した精神武道の形を日頃から打つと、ほとんど常にオーラが白く輝き出すようになりました。
絶好調の時は、部屋全体に白い光が満ち満ちるほどでした。
ある日、兄弟と一緒に瞑想していると、私は頭の上に違和感を感じました。
いつもと違って、だるい感じがしたのです。
兄がオーラ視をすると、不思議なことに気づいたようです。
私のオーラ全体は白く輝いているのですが、頭の上にギリシャ式の陶器のようなものが勝手にできているというのです。
さらにその陶器に、上から灰色の水滴のエネルギーがぽとぽと落ちてくるそうです。
水滴の元を辿って見上げると、そこには悪魔が見えてきたそうです。
悪魔は爪先が長く、黒い翼が生えているといった具合で、典型的な姿かたちをしていました。
悪魔は気づかれたことに驚いたそうです。
兄は、なんでこんなことをしているのか?と問いかけました。
悪魔「地上の人間にしては光りすぎているから遊んでいる」
兄がやめてくれと頼むと、悪魔はすぐに去って行きました。
私のオーラにあったギリシャ式の陶器もなくなり、頭の上に灰色のエネルギーが落ちてくることもなくなりました。
その瞬間から、私のオーラは輝きを取り戻して、とても晴れやかな気持ちになりました。
しかし、なぜ悪魔は私を試してきたのでしょうか。
実は光を放つようになると、とても霊的に目立つそうです。
世界が霊的な夜闇にあるとしたら、まるで夜の外灯のようになるわけです。
その結果として、試しにやってくることがあるそうです。
聖人たちがなぜ悪魔に試されていたのかがわかりました。
神に目覚めると、光明を得ます。
そのオーラから光が解き放たれるようになり、それがあらゆる諸存在に示され、その中で悪魔が妨害してくるわけです。
悪魔にとって、光を放つ人間は厄介です。
他の人にも光と繋がる方法を教えるようになったら、みんな光を放つようになって、悪魔の居場所がなくなるのです。
その前に潰しておいたほうがいいということで、試しにやってくるわけです。
一方で試された方は、様々な誘惑と試練を通して成長できます。
本当に大切なものがはっきりします。
時には脱落する者もいますが、さらなる上昇を得る人もいます。
一般的な人は心の目が開いておらず、自分から悪魔と関わらない限りは目撃することもないかもしれません。
そもそも光明を得ることもないので、悪魔が妨害する必要もありません。
すでに闇の状態にあって、わざわざ改めて手先になれと口説く必要もないですからね。
しかし、霊的な道を一歩でも歩み始めたら、神の光を得るようになります。
悪魔の誘惑に打ち克つ必要が出てきます。
その時に、断固として払いのけることです。
私が試されたのは、一度、二度ではありません。
何度も試され、そのたびに乗り越えて成長していきました。
次は、本を書く時に妨害してきた悪魔の話です。
・本を書くことを妨害してくる悪魔
シャノン先生と出会い、ガネーシャ・ヨガを行じるようになって、その素晴らしさに感じ入りました。
先生がガネーシャ天から直接聞き取った聖音を唱えるたびに、聖なるエネルギーが流れ込んでくるのです。
以前の私は精神的な落ち込みによって、輝きを失うことがありました。
しかし、ガネーシャ・ヨガを実践し、内面的な浄化を繰り返していくと、心が安定してきました。
何よりも内面的な問題が克服されることで、幸福感が増してきました。
ガネーシャ・ヨガは初心者が誰でもできるほど簡単なのに、とても奥深いものでした。
ガネーシャ天の聖音を唱えるだけでも、オーラが金色に輝き出すようになるのです。
誰もが光明に至れるヨガだと確信しました。
この素晴らしいヨガを多くの人に伝えたいと思いまして。
シャノン先生と相談した上で、本にまとめて出版することにしました。
光明に至れる方法をすべての人に明かしたかったのです。
その際にシャノン先生が本を作る協力者の方を紹介してくれたのですが。
驚くべきことが起こりました。
なんと、その協力者の方が、ひたすら作業を遅延するだけ遅延して、最後の最後で一時間近く罵倒を繰り返してきました。
その人の言い分は一切筋が通っていませんでした。
私のことをさんざん罵って、人格攻撃まで繰り返し、最後には協力せずに離脱しました。
いやはや、どういうことなのかと思いました。
明らかに変だと思っていたのですが、絶対に本は完成させるつもりでした。
断固として、この程度のことでやる気を失ったり、屈するつもりはありませんでした。
この本の向こう側に、光明を得る人たちがいるという思いがありました。
ほとんどの本の制作作業は、自分一人でやり切りました。
表紙の制作などは生徒の協力を一部借りつつ、なんとか自分で作り上げることができたのです。
力を尽くして、見事にガネーシャ・ヨガの本を出版することができました。
事の本質が発覚するのは、その後です。
先生から協力者として紹介されたにもかかわらず、協力しなかった方のその後です。
その方は精神的に落ち込んだ時に、突然口から悪魔を吐き出したというのです。
その人自身も悪魔の姿をはっきりと目撃して、あまりにも怖かったそうです。
シャノン先生に相談して、助けを求めていました。
「なるほど……」
私は妙に納得してしまいました。
あの一時間近くの常軌を逸した罵倒の数々は、悪魔がさせていた。
あまりにも理屈の通らない妨害や批判など、狂った人の中には悪魔が潜んでおり、何らかの働きをしていることがあるわけです。
悪魔が取り憑いて、その人を操作して妨害していたということが判明しました。
悪魔はガネーシャ・ヨガの本の出版を妨害して、とにかくやめさせたかったのです。
ガネーシャ・ヨガの本を書くことで誰もが実践できるようになったら、光明に至る人が増えるからです。
光を得る人が増えていったら、悪魔の居場所がなくなるというわけです。
そこら中が光だらけなら、闇の住まう所などなくなります。
私は成長することで精神が安定していました。
キリスト意識やガネーシャ天の聖音を唱えることで強い光を得て、霊的なガードが固くなっていました。
神の光を帯びること自体が、ある種の強固な防御になるのです。
悪魔はその光に触れた瞬間に体が焼け付いて、死んでしまいます。
直接、私にアタックできないから、周りの人間を使って攻撃・妨害してきたわけです。
悪魔の言動はわかりやすくて、「俺はすごいんだぞ」とばかり言うのです。
俺はすごくて、お前はどれだけひどいのか、ということばかり言ってきたりします。
傲慢の極みとしか言えない発言を繰り返し、しかも何一つ筋が通ってない批判をするのです。
あまりにも言動が不自然すぎると思ったのですが。
その方の心の隙間に悪魔が入り込んで攻撃させていたのだとしたら、すべての合点がいきました。
悪魔の言うことは一つも理屈が通っていないし、私はまったく屈することがありませんでした。
むしろ、私はさらなる覚悟を固めて、本を書いて書いて書き抜きました。
その後、2~3年近くずっと本を書いており、ガネーシャ・ヨガの本を何冊も出しております。
皆さんが気を付けないといけないことがあります。
心の隙間をなくしていかないと、人はいつでも悪魔に取り憑かれるリスクがあるのです。
怒りであったり、寂しさだったり、嫉妬だったりとか、精神的な問題などが心の隙間を生むのです。
あるいは欲望などもそうです。
お金や名声を求めて、自分の心まで売り渡してしまうような精神状態などもそうです。
その時に悪魔がやってきて、お前の願いを叶えてやるというわけです。
そんなものいらない。神だけあればいい。
そう言える人こそが、悪魔の誘惑に打ち克つことができます。
ガネーシャ・ヨガの本は悪魔も出版を妨害するほどのものです。
それだけ光を得られるということで、よかったら読んでみてもいいかもしれませんね。
上記の本にはチャクラを浄化し、内面的な弱点を克服し、悪魔が付け入る隙を無くす方法を書いています。
もちろん、光によって霊的ガードをがっちりと固めて、悪魔が寄り付かなくなる方法も書いています。
特にガネーシャ・ヨガの一冊目の本に書かれたピラミッド瞑想がそうですね。
ガネーシャ天のピラミッド瞑想のやり方は、上記の本に書いています。
霊的な問題に悩まされている人は試してみてもいいかもしれません。
ガネーシャ天の恩恵で、守られるようになります。
・邪気を滅する黄金の剣について
ある日、私はシャノン先生から教わった不動明王のマントラを唱えていました。
それは邪気を浄化するマントラでした。
邪気を浄化する力。悪魔に打ち克つ力。
霊的な強さも必要と考えて、そのマントラを唱えていたのです。
数時間ぐらい唱えていると、不動明王様が姿を現してきました。
ビジョンの中ではっきりと見え、美しい黄金の輝きを放ち、銅像よりも凛々しい顔立ちをされていました。
不動明王様は大日如来(梵天、ブラフマー)の現れであり、聖なる存在です。
悪を滅する偉大な力をお持ちであり、宇宙世界の霊的警察のような存在です。
人々を邪気から救い出し、悪魔を倒し、光明へと導いていきます。
私が頭を下げて礼拝すると、不動明王様はおっしゃいました。
「邪を滅せ」
その言葉と共に、不動明王様は黄金の剣を差し出されました。
これは師も授かったという金剛刀。
悪魔を切り倒すためのものでした。
私もその黄金の剣を拝命し、自分のオーラの中にしまい込みました。
いつでも不動明王様のマントラを唱えて意識すれば、取り出せる状態になっていました。
しかし、平和主義者の私はなかなか使うことがありませんでした。
・聖なる力で悪魔の首を落とす
闇を帯びた人は光に直面すると、自分の中の邪気がうずき出します。
邪気に導かれて、光の道を歩む人を攻撃することがあります。
何でもいいから理由を付けて、人が私のやることを妨害・批判することがありました。
聖なる本を書くこともその一つです。
特に気にしていませんでしたが、妨害者の中には本当に狂った人もいて、悪魔が憑いていたりしました。
その日までは、どの悪魔がそれをさせているのかがわかりませんでした。
ある日、瞑想中にとうとうその悪魔が姿を現したのです。
その悪魔は全身が赤い肌で黒い翼が生えており、クマンバチのような肌の形状と容貌をしていました。
悪魔が歯ぎしりをしながら、私をにらみつけているのがわかりました。
私が神の光を帯びているだけで、この悪魔は恨んでいるのです。
人が光明に至れるように教えることがそんなに恨めしいのか。
周りの人間に取り憑いて私を攻撃させたり、本当に色々としてくれたと思いました。
私が無視すれば、その悪魔は何もできないことがわかりました。
長年の行でオーラの霊的ガードががっちりと固まっており、私に触れることすら許されていませんでした。
問題は周りの人間の心の隙間に働きかけ、私を攻撃させるということでした。
しかし、この悪魔は私の師を知らないのか。
この世界で一番悪魔を殺したマスターだというのに、その弟子と関わろうとすれば、どうなるのか。
私は不動明王のマントラを唱え始め、オーラに霊的な炎がみなぎってきました。
不動明王様が姿を現して、告げてきました。
「斬れ」
私は自我を差し挟むことなく、自らのオーラから黄金の剣を取り出します。
問答無用で、素早く一閃しました。
その直後、悪魔の首が吹き飛びました。
悪魔の首元から黒いエネルギーがあふれ出して、そのまま倒れ込みました。
私は意志の力を使って、不動明王様にその悪魔の死体を送りました。
不動明王様は、聖なる炎で悪魔の身体をすべて燃やし尽くしていきました。
はっきり言っておきます。
光は、この宇宙の絶対的な勝利者です。
悪魔と百戦しても百勝するぐらいに、神の力は絶対的です。
私は黄金の剣を与えられ、すべての悪魔を殺す権利を天から授かっています。
しかし、悪魔と云えども、むやみやたらに殺したりはしませんでした。
それは悪魔にも神から与えられた役割があると知っているからです。
人間に試練を与える役割です。
そうであったとしても、不動明王様が「やれ」と言えば、問答無用で葬り去ります。
不動明王様は天上の立場から全てを見通し、何が正しくて間違っているのかを知っているからです。
ある人が言いました。
悪魔を殺しても、悪いカルマになるのではないかと。
私の意見を述べると、そんなことは決してありません。
あなたの血を吸いに来た蚊を殺したら、罪になると思いますか。
悪魔の成り立ちを理解すると、悪魔を殺してもカルマにならないとわかります。
悪魔の起源は、闇の大天使ルシファーにあります。
ルシファーが想念を投影すると、悪魔が生まれるのです。
二元性を維持するために、ルシファーは神の支配下で働いています。
つまり、悪魔とはルシファーの想念に過ぎません。
人の想念を溶かしても、何かを殺したことにはなりませんよね。
マスターと呼ばれるような人は、公衆の悪しき想念を溶かすことがよくあります。
たとえば、よくケンカが起きる広場の怒りの想念を溶かして、平和を取り戻すのです。
それと同じように悪魔はルシファーの単なる想念体に過ぎず、人の怒りの想念を溶かすように悪魔も焼き尽くすことができるのです。
人に害を成す想念を溶かしたからといって、何のカルマになるというのでしょうか。
霊的な掃除をしたというだけです。
普段の私は人の髪の毛を一本も損ねないように話し、道端の虫さえも殺さないような柔和な性格です。
しかし、悪と直面した時には毅然とした態度で払いのけるのです。
それが聖なる生き方です。
師からいつも口酸っぱく言われてきたことです。
「強くなりなさい」
どんな悪や誘惑と直面しても、屈することのない強さを身に着けることです。
その強さを身に着けてこそ、霊的な道は全うできます。
・ハリウッドから悪魔が逃げ出してくる
皆さんの霊的な判断力を高めるために、今までしてこなかった話をします。
この話を聞くと、この社会にどれだけ悪魔が浸透しているのかが見えてきます。
そこら中に落とし穴があり、何に警戒すればいいのかもわかります。
これは数年前にさかのぼる話で、シャノン先生がまだ東京で教えていた時のことです。
ある日、シャノン先生がヨガクラスの指導を終えた後のこと。
助手的な立場にあった生徒がおかしくなったのです。
その生徒は、突然に変なダンスを踊り出したのです。
「やめなさい」
先生がそう言っても、その生徒は変なダンスをやめなかった。
明らかに、何かに取り憑かれているのがわかりました。
その生徒が取り憑かれるのは一度二度の話ではなく、何度もありました。
まだまだ修行が足りず、心の隙間が多いせいで、低級存在が入り込んできたのです。
先生はそのたびに見放すことなく、助け続けていました。
シャノン先生は生徒に取り憑いたものに向かって、叱りつけるように言いました。
「出てこい!」
おかしくなった生徒を指差してから、部屋の片隅へと指先を変えました。
先生の言葉と霊的な力によって、その取り憑いたものは引きずり出されました。
部屋の片隅に姿を現したのは、悪魔でした。
その悪魔の名前は書きませんが、その容貌は明かしておきます。
頭には角が生えており、顔は山羊のような容貌をし、胴体には女性の乳房を真似したものが付き、下半身には尻尾と獣の毛が生えていました。
それは、性的倒錯をもたらす悪魔でした。
悪魔はすでに参ったように、勝手に語り始めました。
「こういうことがあって……」
シャノン先生は、いつでもその悪魔を処断するつもりでした。
どういう処分を下すかを思案していました。
その間に悪魔が説明した内容はこのようでした。
実は、その悪魔はハリウッドの映画界に取り憑いていたそうです。
ハリウッドのセレブたちが悪魔崇拝の儀式をし、性的倒錯に満ちたパーティを開いたときにそのエネルギーを頂いていたというわけです。
ハリウッドのセレブたちは悪魔崇拝の儀式をすることで、ある種の魔法の力を得ていたそうです。
それが魅力(charm、チャーム)の魔法です。
砕いて言えば、人々を魅了する黒魔術です。
悪魔曰く、その力をハリウッドのセレブたちに与えて、人気者にしていたということです。
代わりに契約によって、ハリウッドの映画や俳優を利用していたとのことでした。
私は、謎が解ける思いでした。
正直に言って、ハリウッド映画は誰がどう見ても低俗なものばかりで、何の価値があるのかと思っていました。
にもかかわらず、世界的にその映画は人々を動員し、多くの収益を得ていたのです。
どうやって、そんなことを可能にしていたか。
それは、この悪魔の魔法によるものだったと明かされました。
しかし、悪魔が言うには、突然にカトリック教会からエクソシストがやってきたそうです。
そのエクソシストに払われてしまって、日本に逃げ出してきたわけです。
悪魔はすでに去勢されており、性的な快楽を得ることができなくなっていました。
シャノン先生の霊的な力を借りて、再起をはかりたいということでした。
先生の力があれば、逆襲できるというわけです。
その悪魔は、悪魔らしく言いました。
「毎週、私の力で処女を連れてきてやろう。49週にわたって自分のものにできるようにしてやる。だから、私と契約して力を貸してくれ」
シャノン先生は両手を広げて、あっけらかんと言いました。
「それだけ? 少ないな」
悪魔は困ったような顔になって、頭を下げて言います。
「申し訳ない……それが限界」
シャノン先生は、笑うしかありませんでした。
悪魔は、人間のジョークをまったく理解していなかったのです。
シャノン先生が悪魔と契約するわけがありませんでした。
ただ、冗談で返したのに悪魔は真に受けて、申し訳なさそうにしていたのです。
知力という面において、悪魔は低いものが多いです。
人間の冗談も見抜けないし、まして神の知恵など理解できるはずもありませんでした。
しかし、悪魔は人間が見えないことをいい事にやりたい放題だったわけです。
シャノン先生は、悪魔を注意深く観察しました。
霊的にその背景を見抜くと、驚くべきことがわかったのです。
その悪魔の霊的領域(地獄の一地域)に、ありえない数の人間の魂が閉じ込められていました。
悪魔は、3億3000万個の魂を集めたというのです。
その大量の魂からソウル・エネルギーを頂いて、魔法を使えるようにしていたのです。
これだけ人魂を持っていたら、悪魔の中でも偉そうにできるわけです。
しかし、一体どうやって、それほどの魂を集めたのでしょうか。
その3億人近くの魂は、ハリウッド映画に魅了されて死んでいった者たちの魂でした。
ハリウッド映画に心を囚われながら死んだら、死後はこの悪魔の地獄に吸い上げられ、延々と魂のエネルギーを奪われて、こき使われるのです。
その悪魔曰く、ハリウッド映画は地獄に通じる魂の収集車だったわけです。
あまりにも巧妙な罠でした。
みんな気づかずに数十年近く騙されており、ありえない数の魂が集められてしまったわけです。
一度、その地獄に入ったら、自分では抜け出すこともできません。
生まれ変わることもできず、永遠の拷問を受け続けることになります。
悪魔と契約することで一時的に地上で成功を収めても、死後にあるのは際限のない苦しみと後悔のみです。
この悪を見逃すわけにはいきませんでした。
シャノン先生は悪魔の領域に手を突っ込んで、切り開きます。
3億3000万近くの魂を一気に解放しました。
爆散するように魂の光の玉が立ち上っていきました。
「やめてくれーっ」
悪魔は叫び、懇願しました。
いくら懇願しても、シャノン先生は囚われた魂を解放するのをやめませんでした。
地獄から解放された魂は、また生まれ変わることができるようになります。
悪魔は、マスターに力を借りに来たというのに、実際には力の源泉を奪われるという事態に陥ったのです。
シャノン先生のことを何も知らないから、悪魔は会いに来れたのです。
先生は光のマスター。大天使の生まれ変わり。
神の正義を履行するもの。
大天使(龍)には、悪魔や邪神を抹殺するという役割が本当にあります。
まさに、断頭台に自分から頭を突っ込む死刑囚でした。
シャノン先生はほとんどの魂を解放しましたが、極悪人の魂を数個だけ悪魔の領域に残しました。
その魂は元凶となった存在であり、神の意志によって救い出すわけにはいかなかったのです。
シャノン先生はその悪魔を殺すこともできたし、すべての魂を取り上げて、補給路を断つこともできました。
しかし、そうはしませんでした。
悪魔には人間に試練を与える役割がある以上、すべての悪魔を殺せばいいというわけではないですから。
悪魔が人間の魂を集めるのは、そのエネルギーで生きているからです。
悪魔は自ら光を放つことができない存在です。
人間の魂は自発的に霊的な輝きを放ち続ける存在であり、その魂を手に入れてこそ、悪魔はやっと生きていくことができます。
つまり、人間の魂は悪魔にとってエネルギーの源であり、食料源でもあり、力の源泉ともなるものだったのです。
道理で、悪魔は是が非でも人間の魂を欲しがるわけですね。
悪魔はあきらめきれずに、お願いしてきました。
「魂を返してくれっ」
先生は、しらばっくれたように聞き返します。
「え? その残した魂も取り上げていいの?」
「いやいやいや、これだけで十分。大丈夫」
悪魔は焦ったように引き下がり、もう何の文句も言いませんでした。
さすがに残された数個の魂も取り上げられたら、生きていくことができません。
その悪魔は生きることを許されましたが、もう何も悪さができないほどに力を奪われました。
塩をかけられたナメクジのような存在に成り下がったのです。
シャノン先生は、悪魔から幾億の魂を救い出しました。
このことは語らなければ、誰も知ることもなかったことです。
私たちがこの話から学べるのは一見すると世の中でもてはやされ、人気があるものに落とし穴があるということです。
地獄の穴に繋がっているということがあります。
真価を見抜いて、回避するということが大切です。
この悪魔との遭遇は数年前に起きたことです。
ハリウッドの映画界はまやかしの魔法を失い、衰退していくことは間違いないことでしょう。
昨今のハリウッドのMeToo運動とかを見ていると、さもありなんと思うことばかりでした。
ハリウッドが力を失い、闇が暴かれるに至った真の背景は、この悪魔の逃亡にありました。
・聖なる守護を与えてくれる祈り方について
基本的には自分から黒魔術に手を出したり、変なスピリチュアルの講座に参加したりしなければ、邪気や悪魔に取り憑かれたりはしません。
ただ地獄への落とし穴は、日常の中に潜んでいたりもします。
怒りや嫉妬が低級存在を引き寄せたりすることもあります。
心の隙間を突いてくるわけですね。
だからこそ、自分を守る祈り方を知りたいと思うことでしょう。
不動明王のマントラなどは、以前は先生が公開していましたが、今は非公開となっております。
代わりに、誰もができる強力な守護の祈りを伝えます。
聖母マリア様の祈りをお伝えさせていただきます。
それは先生もYouTubeで公開されているので、お伝えできます。
実は聖母マリア様は、邪気や悪魔から守る力がとても強いです。
母性的な慈愛や癒しを与えてくれるだけではなく、邪な存在からの守護者としてのお顔もあります。
この聖母マリア像をよく見てください。
足元に蛇がいませんか。
蛇を足先で踏んでいますね。
この蛇は悪魔のことを象徴し、聖母マリア様は悪魔を踏んでいるのです。
悪魔を踏み殺す力を持っており、それを象徴しています。
聖母マリア様が足で蛇を踏んでいる銅像や絵画は、一般的によくありました。
カトリックの間では知られているわけですね。
聖母マリア様に祈れば、どんな悪魔が来たとしても追い払ったり、踏み倒してくれます。
どんな女神に祈るよりも、素晴らしい守護と霊的恩恵をくださります。
聖母マリア様は神意識(キリスト意識)のマスターであり、彼女を通って、神に至ることもできるのです。
その深い慈愛によって我が子を守るように、どんな時でも困っていることを助けてくれます。
守護を頂くには、最高の守り手となります。
私も聖母マリア様によく祈っています。
それでは聖母マリア様への祈り方をお伝えしましょう。
聖母マリア様には聖なる音があり、一般的には知られていません。
私の先生が聖母マリア様から直接聞いたものであり、その音を唱えると一瞬で振り向いてもらえます。
「Shu Am(スー アム)」
これが聖母マリア様の音です。
この音を唱えて、次のように胸の前で両手を合わせて祈ってください。
「Shu Am(スー アム) 聖マリア、天の母、どうかあなたと繋がらせてください。あなたの聖なる力で私をお守りください。どんな邪なものも近づけないでください。代わりにあなたに近づけてください。私はあなたを通して、神と繋がりたいです」
この祈りの言葉を繰り返し唱え続けてください。
声に出してもいいし、心の中で唱えてもいいです。
15分~30分と続けると、聖なる繋がりと共に深い愛と平安のエネルギーに満たされることでしょう。
そうして、聖母マリア様がいつも側にいてくれるようになります。
その人のオーラを見ると、本当に聖母マリア様が守護についているのが見えてきます。
悪魔や邪な存在を感じた時は、1時間~2時間ぐらいみっちりと祈ってください。
低級存在が感じられなくなるまで祈るのです。
代わりに、しっかりと聖母マリア様が守護についたと感じるまで祈るのです。
そうすれば、必ず守られます。
シャノン先生が教えてくれた祈りの言葉は以下のものです。
「崇拝する聖マリア、天の母、私を憐れんでください
聖のマントは夜空の星であり、新月の上に立ち出す
人の魂を目に映し出す貴方、悪を払いのける人
私の裸の顔を見て、罪を洗い流して
私がより良い人間になるのを助けてください
罪から離れるように助けてください」
こちらの言葉で祈ってくださっても、大丈夫です。
聖母マリア様から守護を与えてもらえます。
心から聖なる存在の守護に信頼を置くなら、何があっても大丈夫です。
そうして、日々の精神の向上に努め、より良い人間になって、心の隙間がなくなるぐらいに神の光に満たされるようになってください。
自らの道が光で満たされたときに、どんな邪な存在も取るに足らない幻影だと気づくことでしょう。
その人の道は力強く晴れやかで、平安に満ちたものになります。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。