地獄を二人ではんぶんこ

僕には僕の君には君の地獄がある。地獄の大きさや深さは釣り合っていて同じくらいであってほしい。そこに愛の融点が恋の沸点があってもなくてもいいから。僕には僕の地獄がある。
きっと君にもあるのだろう。踏み込んで聞きはしないし、無理に語らなくてもいい。僕だって語る気は更々無いし、君に理解してほしいとも背負ってほしいとも思えない。
だけど、いつか心の中にある大きな地獄を同じだけの地獄を理解し合えたら、なんて奇跡みたいなことを思う日がある。
落とし穴の中で幸福にしている二人とでも言おうか、たとえこの先ずっと不幸でも君と一緒ならいいと思えるか。その中で生まれて惹かれるものはなんなのかをずっと探して考えている。
文章の中でこそ誠実でいるのか、文章だからこそフィクションを、嘘をつくのか僕にはわからなくなる時がある。そしてそのどちらが美しいことなのだろうか。
これまで生きてきた上で誰しも必ず、地獄を経験しているし、地獄を持っていると思う。15歳の時も16歳の時も17歳の時も25歳のときも今に至るまで僕は毎年のように地獄を見てきた。もちろん幸福なこともあった。だけどいいことも悪いこともプラスマイナスゼロだなんて決して言えないしならない。マイナス>>>>>>>プラスくらいだ。君はどうだろうか。もしかしたら生きるのが楽しすぎて、まるで自分が主人公のような人生を送っていて、全くもってマイナスを感じない人もいるかもしれない。そんな人はおそらく文を書こうとは思わないだろうし、書くことと無縁な人なのではないだろうか。
なにが言いたいのかわからなくなってきた。
僕は君の地獄を包み込みたい。そして願わくば僕の地獄を包み込んでほしい。同じだけの地獄を同じだけの苦しみを、同じだけの病みを抱えた僕らならきっと理解し合えると思うんだ。そう信じて生きてきた。

人は皆それぞれ己の地獄を背負って生きている。

それだけで充分すぎるほどだけれどそれでも僕は願いたい。
いつかみんな同じだけの地獄を持った人と出会うことを。同じだけの地獄を二人で背負いながら笑いあえたら。そんな奇跡的で嬉しいことはないだろう。アイネクライネの歌詞のような優しさを。
何回も何度でも言おう。

僕には僕の私には私の貴方には貴方の君には君の彼には彼の彼女には彼女の地獄がある。

同じだけの地獄を二人で背負いながらはんぶんこにもしできたら、そこから、いや底から地獄から抜け出せると僕は祈り願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?