才能が枯れたとて

満たされない欲が無数にある。満たされなかった欲も無数にあった。
年相応に満たすべき(やるべきことは)全くできていない。
完璧に欲が満たされたらそこで満足して終わってしまう人も多いだろう。何をしても欲が満たされない、ちょっとの欲を満たしただけでは満足できない、言い方を変えれば完璧主義者。長い年月をかけて自分の人生を捧げるものに人生を賭ける。そうしなければ辿り着けない境地、見えない景色がある。僕はそこにいきたい。そこで生きたい。僕が満たされるとするならばそのときだ。それに簡単に満たされる欲ではつまらないではないか。

そのためには書かなければならない。僕は僕の才能が日に日に、老いていく度に劣化していくのをひしひしと感じる。の子も同じようなことを歌詞で言っていた。「若いとき僕は、若いとき僕はもっとやってやれるような気がしていたんだ。」と。ハタチすぎればただの人とはよく言ったものだ。才能はいつか枯れる。才能だけでは限界がある。才能が枯れてくると情熱が、魂すら枯れてくる。消えた天才は世界には何千万といるのだろう。

こうなったとき大切なのは才能が枯れてきたと自覚しても焦らないことだと僕は思う。枯れたからといってまた開花しないとは限らない。長い年月をかけてもう一度咲くことを信じる。仮に咲かなかったとしても受け入れて、魂だけは枯らさない。焦ってはダメだ。自分のために自分の欲を満たすために作品を書きたい。尊敬するアーティストや作家は自分のために作品を創作していると言っていた。僕もそうでありたい。そして読者や聞き手が勝手に読んで面白がったり、救われたりしてしてほしい。僕は僕のためだけに創作する。そのためにはもっと書かなければならない。表現が抽象的すぎて曖昧すぎる。年齢的にも遅い。僕の年齢でマスターピースを完成させている人たちはたくさんいる。

おそらく僕は生涯、一作しか書けないと思う。
しかしもし全てを賭けて、魂を込めて書き上げることができたのならば、この世に無数にある大多数の作品を討つであろう。

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