生活。

久しぶりに書きたい気分だ。10月から隣の県で働き始め、やっと休みの金曜日である。安いハイボールを飲みながら辛いレトルトカレーを食べ、焼き鳥を食べ、カップ焼きそばを食べた。最悪の食生活である。でも仕方ない。自炊する元気もなければ何かをやりたいわけでもない。一体なんのために生きているのだろうか?今の答えはただただお金を稼いで、返済していくことでしかない。欲しいものも無ければ、やりたいこともない。多分こういうのは一気にではなく、徐々に徐々にすり減っていくものだと思う。これを老いと呼んでいいのかもわからない。

人間関係で困っていないのが唯一の救いなのかもしれない。そもそも働けて、ご飯が食べられて、寝る場所がある。これだけで幸せなのかもしれない。それでも虚無感は残る。季節ももうすぐ嫌いな冬になる。この生活を耐えて耐えて耐えて一体何が残るんだろうか。何も残らないならせめて何も残らないということだけは文章に残しておこう。

みんななんのために生きているんだろうか。今なら宗教に縋る人々の気持ちもわかるかもしれない。しんどい。しんどい。言葉を吐き出しても吐き出してもマイナスの言葉しか出ない気がする。

孤独な人の孤独な物語を孤独じゃない人が読む物語のモブにすらなれない人生。

退廃的で盲目的で半永久的に退屈な〜〜〜世界

とても会心の一撃を出せるようなメンタルじゃない。

それでもそれでも時間は流れ、時は流れる。生きていくしかないのだ。

2年後に2年前の僕らを笑い飛ばせるように

まだ涙だけで終わるときじゃないだろう。

覚悟を覚悟で終わらせないように。

地獄を自ら選んだ人の先がどうなっているかは進み続けなければわからない。

生きる意味などは後からつく。

最近は心に響くセリフも聞かなくなった。感性が死んだのかもしれない。3年後の想像すらもできない。26才の夏休みに、3年前の今年の楽しかった23才の夏を思い出して感傷に浸っているような自分をぶっ殺してそして33才の夏に向けて生きていく。その後はもう考えてすらいない。生きてても死んでてもどっちでもいい。

死ねよりも死にたいが強い今の感情は危険だけど、危険と分かっている自分がいるなら大丈夫と信じたい。 どうでもいい文をどうにでも解釈できるように書きたかった。思っているうちの三分の一も書けなかったのだけれど、最後の締めはこの歌詞にする。

生きていてよかった生きていてよかった生きていてよかったそんな夜を探してる。




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