note始めて200日過ぎてた
去年にnoteを始めまして、毎日短い記事というか日記というかそんな感じのものを投稿し続けてあっという間に200日経っていました。
色々な方に見てもらったりスキを押してもらったりとありがたい話ではあります。
しかし、自分でも毎日毎日よく記事を上げる事ができているな、と思ったりするのです。
基本的に息子の事ばかりを記事にしているのですが、それだけ毎日息子を見ていて自分の中に思うものがあるという事でしょうか。
単純に可愛い可愛いを記事にしていることもあるのですが。
日々の中での小さな成長記録だと思い文字に起こしてきたのですが、最初の頃の投稿を見返すと1歳半頃の内容でした。
自分がお父さんになれた、と思った日の事を思い返す所から始まり。
まだまだ食べる事が出来ないチョコビスケットを息子が欲しがるままに購入してしまった失敗を書き起こしていたり。
お出かけをした日や、初めて何かをした時には間違いなくその事を記事にしているので懐かしむにはちょうど良い媒体です。
当時は初めて何かが出来た時にはお父さんは大興奮していたみたいですが、いつの間にか当たり前の事になっていて今その姿を見ても大きな反応をしてあげられていないのかも、と思ったりした訳です。
息子が始めて自分でスプーンを使ってご飯を食べられた時も「器用!天才!」なんて思って褒めそやしていたものですが、今となっては自分で食べるのは当たり前の光景です。
器に残らないほど上手に食べていても軽く褒めて終わってしまっているのです。
これはいけない。
そう思ったのです。
息子にとって初めての成功経験の時は大興奮でたくさん褒めてくれたのに、それよりも難しい事を一生懸命頑張っても最初の時ほど褒めてもらえない。
コレって寂しい事のような気がします。
もちろん褒められる為だけに何かをする子にはなってほしくないのですが、褒めてもらえるハードルがどんどん上がっていくのも辛いものだと思うのです。
自分でスプーンを使ってご飯を食べるというのが0から1の成長だとして、そこから綺麗に食べ切るというのは派生の成長だとお父さんは思ってしまっていたのです。
「ソレができるならコレもできるでしょ?」
そう期待してしまうのは残酷なことです。
当たり前のことですが、お父さんにとっては
初めての〇〇からの延長線上にあるものでも、息子にとっては全てが初めての成功なのです。
アレもコレも、と期待してしまうのは親として仕方ないことなのかも知れません。
でも、それだけじゃないよな。と。
お父さんが見えなくなってしまっているだけで、息子はきっと毎日毎日初めての何かを成し遂げているハズなのです。
それをしっかりと見落とさないようにして息子の成功経験を一緒に喜んであげられるお父さんでいたいな。と。
過去の記事を自分で見返して思ったのです。
それだけのお話。
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