好き嫌いをするのは成長の証?

少し遅いのかもしれないが、最近息子が自分でスプーンを使いご飯を食べるようになった。
事の発端はお母さんがテレビで見たという、息子と同年代くらいの子が自分で上手に食べていた映像。

他の子と比べるのもいかがなものか、と思うがこのままずっと僕やお母さんが食べさせ続けるのもな、とは思った。
息子は食べるのが好きで毎回お腹パンパンになるまで食べるので、自分で食べるようにさせても特に問題は無いのではないか。

甘すぎた。
確かに食べることが好きなのだが、もちろん嫌いな、苦手なものだってある。
それにブロック遊びなどである程度手先が器用な事もわかっていたので、スプーンの扱いもまぁまぁ出来るのでは無いかと思っていた。

お椀から弾け飛ぶお米。
全く掬おうとしないおかず。
何故?後頭部に張り付いたしらすごはん。
前掛けは水や牛乳で溢れている。

こうも難しいものなのか。

スプーンを使う姿を見て気付いたのだが、口に運びスプーンが出てきた時には掬う部分が反対を向いている。
下向きのスプーンで一生懸命お米を掬おうとするのだが構造上そこにお米は乗らない。
食べたいのに食べられないストレスで癇癪を起こす息子。
その怒りを体現するかのように四方八方へ散布されるお米。

食べたくない具材はお椀の方を見もしない。
食べさせてあげていた時は嫌がりながらも口に運ぶと食べていた。
息子の自由意思に任せた結果
「コレはいらない」
と完全な拒絶になったのだ。
食べない事を選択した息子は頑として食べない。
そうなってしまうと、僕が口に運んであげてもそっぽを向く。

僕だって、嫌いなものは食べない。
必要に迫られれば仕方なしに食べる事はあるが、自分から進んで食べる事はない。
今の息子も同じなのではないか。

自分で食べる。
この状態は食べることを必要に迫られたり、食べる事を強制されている訳ではない。
息子にとっても他のものを食べて満足すれば食べたくないものはいらないのだ。

息子が自分でご飯を食べるという成長をする中で生まれている弊害とでもいえばいいのか。
お母さんも僕も栄養面の心配もあるし、せっかく用意したものを食べて貰えないのは悲しい。

息子には息子の考えがあり、他の子どもだってそうだろう。
大人だってそうなのだ。
苦手なものや嫌なことは極力回避したい。
それでも様々な兼ね合いやどうしたって仕方ない事があるから辛うじて立ち向かえる。

子どもは自由だ。
ハッキリ拒絶することだって出来るし、嫌なものを眼前に出された時は全てぶちまけることだってできる。
成長するにつれ、周りとの調和や相手を慮ることで嫌なことや苦手な事にも立ち向かうようになっていくのだろう。

だから、今は食べたくないものは食べないということを選べばいい。
それを食べてくれるように工夫するのは僕とお母さんの仕事だ。
好きなように振る舞って、幸せでいてくれればそれで言う事は何もない。


そんな訳ないんだよなぁ!!

現実逃避的な事を考えたりもしましたが、僕が立ち向かう現実は
好き嫌い大爆発の息子と、テーブルクロス引に大失敗したの?と言いたくなるような無残な床。
歩けば足裏にお米、しばらくすれば何処からともなく登場する人参の細切れなどなど。
な訳ですから。

嫌いなものがあるのは仕方ない!
食べやすいように工夫もしよう!
だから息子もほんの少し頑張ってくれ!

一番辛いのは毎食用意して食べる所を補助してあげているお母さんです。
頭が上がらない気持ちでいっぱいです。

世の中の食育で苦労している
お父さん、お母さん。
その他の食に関わる人々に幸あれ!!

と、大暴れ息子の食卓を片付けながら思った。

っていうお話。

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