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拗ねてしまうお父さん。それは僕です。

子どもが生まれて無事退院した後のことです。
もう1年と半年以上前のことですが、当時を思い出すと自分の未熟さに嫌になります。
これも一種の黒歴史なのでしょうかね?

さて、拗ねてしまうお父さん。
これは一体何なのか。

あくまで僕個人の振り返りから感じることですが、子どもが生まれる前の心構えというものはやはりお母さんの方が早く出来上がっていくのだと思います。
僕も早い段階から準備を進めたり、母体を気遣って家事を多く行い、休みの日にお母さんが平日の日中楽を出来るよう1週間分の作り置き。
頑張っていたつもりですが改めて考えると、これは「お母さん」のためにやっていたことだと思うのです。
対象が「赤ちゃん」ではなかったのです。

それに対してお母さんは命を授かった瞬間から「赤ちゃん」の為に。
それが出来ているんだと思うんですね。
普段の生活からお腹を気遣うようになり。
食べる物も多く制限し、好物でも胎児に良くないものであれば我慢。
お腹が大きくなっても適度な運動で体力づくり。
精神的にもきつい部分がお父さんより多いのではないか。
生活の中で常に「赤ちゃん」の為にを考えて行動している。
僕はそう感じました。

生まれた時から経験値が違うんですよね、そもそも。
これはオムツ替えや沐浴、ミルクのあげ方などの技術的な事ではないのです。
何をしてあげるのが赤ちゃんの為になるか、何をしてあげるとこの子は嬉しいんだろうか、そういった思考に向かう為の精神的な経験値です。
それが赤ちゃんにも伝わっていたのではないかと思うのです。

僕は我が子が不機嫌で大泣きしている時に一生懸命あやしました。
しかしどうしても泣き止まないのです。
お母さんに抱かれるとあっという間に落ち着いて、またスヤスヤ。
悔しいじゃないですか。そんなの。

「僕だって一生懸命頑張ってるのに」
「もういいから!みたいな感じで子ども連れていくなよ」
「こんなんじゃ、これからずっと子どもの世話なんか出来ない」

そんな風に考えていました。拗ねていたんですね。
今考えると、うるせえよバカ。って感じです。
お前がどう思うかなんて知らねえよ、と。

お父さんは拗ねていたんです。
お母さんにもそれが伝わりますよね。新生児の世話でいっぱいいっぱいなのに助けて欲しい最大の相手であるお父さんは不貞腐れています。
地獄ですよ、こんな状況。

我が子の為にという経験値の差は埋まりません。
それどころか成長をする1日1日ごとに広がっていくのです。
追いつく、隣に並べないまでも追い縋るくらいはしなければいけない。
子どもに拒否されて辛くてもお母さんにため息を吐かれて惨めでも。

悔しかったですが当時の僕はハッキリお母さんに伝えました。

「交代してくれたら泣き止むのはわかってるし、いつまでも泣かせていると子どもがかわいそうになるのもわかる」
「でも、僕に泣き止むまでやらせてほしい。心配かもしれないけど僕だってお父さんなんだから、最後までやらせてほしい」

こんなことを口に出すのは悔しかったです。
振り返ってみればこの時が僕のお父さんデビューだったかもしれません。
お母さんは僕に任せてくれました。
まだ肌寒い春の夜に汗をかき腕をパンパンにしながら何とか夜泣きを超えたのです。

もう拗ねているお父さんはいませんでした。
自分にも出来るんだという自信と、拗ねていても子どもは待ってくれない現実。
一生懸命やるしかないのです、やらないならお父さんをやめてしまえと。

今でもムッとしたり、何なんだよ、と思う瞬間はあります。
ですが僕もお父さんなので。
毎日お母さんに追い縋って我が子のために頑張るのです。

こんなに幸せな悔しい思いを出来るのも今だけ、なんて考えていたりする。
そんなお話。

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